夜の静寂が、城を包み込んでいた。
俺はバルコニーの手すりに肘をつき、遠くの星を眺める。冷たい夜風が頬を撫で、長くなった髪をそっと揺らした。
――俺は、もとの性別に戻るべきなのか?
この問いが、最近ずっと頭の中を渦巻いていた。
「……」
異世界に召喚され、王女として扱われ、最初はただ混乱し、否定し続けてきた。
俺は男だった。剣士だった。力強く剣を振るい、蒼真と競い合い、誰かの後ろに隠れるような生き方なんて、したことがなかった。
でも――今の俺は、王女として生きている。
ドレスを着せられ、貴族たちの前で優雅に微笑み、誰かに守られる存在として扱われる。
最初はただの屈辱だった。だけど、最近――その感情が、少しずつ変わり始めている気がする。
「……慣れちまったのか?」
自分の呟きに、苦笑が漏れる。
「姫様?」
突然、背後から静かな声がした。
「っ!」
振り向くと、そこにはユージンが立っていた。
「……お前か」
「夜風に当たられるとは、珍しいですね」
「まあな……ちょっと、考え事をしてたんだよ」
ユージンは俺の隣に静かに立ち、同じように夜空を見上げた。
「……何か、お悩みですか?」
俺は少しだけ逡巡し、それでも口を開いた。
「……俺は、もとの身体に戻るべきなのかって、考えてた」
ユージンは驚いたように俺を見た。
「もとの身体、ですか?」
「ああ」
俺はゆっくりと頷く。
「この世界に来て、ずっと元に戻る方法を探してた。男の身体に戻って、前の世界に戻る……それが俺の目的だったはずだ」
「……」
「でも、最近……本当にそれが正しいのか、分からなくなってきたんだ」
ユージンは俺をじっと見つめていた。
「……どうして、そのように思われるのですか?」
「分からねぇ……ただ、俺は……」
俺は胸の前で拳を握る。
「この世界で、"王女"として生きることが、当たり前になりつつある」
自分で口にして、胸が苦しくなる。
「剣士だった頃の自分が、どんどん遠ざかっていく気がするんだ」
ユージンはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「姫様」
「……なんだよ」
「剣士として生きることと、王女として生きることは、決して矛盾するものではありません」
「……え?」
ユージンの言葉に、思わず顔を上げた。
「姫様は今、この世界で生きておられる。そして、王女としての役割を担いながらも、戦う道を選ばれている」
「……」
「ならば、それは"剣士の道を捨てた"ということではないのでは?」
俺は何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「私は、姫様がどのような道を選ばれようとも、その決断を尊重します」
ユージンの声は、いつになく優しかった。
「しかし、一つだけ申し上げるならば――」
「……」
「姫様が何者であろうと、私は変わらずお仕えいたします」
俺は息を呑んだ。
「……ユージン」
「男の剣士だった頃の姫様も、今の王女としての姫様も、どちらも同じ"レイシア"です」
ユージンは俺の手をそっと取る。
「私は……その"レイシア"という存在に忠誠を誓います」
心臓が、強く鼓動を打つ。
「……俺は、レイシアなのか?」
「そうです」
ユージンは静かに微笑む。
「貴方は、貴方です。変わることなく――ただ、今は違う形で生きているだけ」
俺は何も言えなかった。
「姫様が元の姿に戻ることを望まれるなら、それを否定はしません」
ユージンの手が、そっと俺の手を握る。
「ですが……」
「……?」
「私は、今の姫様がこの世界にいることを、決して悪いことだとは思いません」
俺は、ただ、夜空を見上げた。
――俺は、どうすべきなのか?
もとの身体に戻り、前の世界へ帰るのか?
それとも――このまま、この世界で"王女"として生きるのか?
答えは、まだ出せなかった。
ただ、ユージンの手の温もりが、俺を強く引き止めている気がした。