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第16話「俺は戻るべきなのか?」

夜の静寂が、城を包み込んでいた。




 俺はバルコニーの手すりに肘をつき、遠くの星を眺める。冷たい夜風が頬を撫で、長くなった髪をそっと揺らした。




 ――俺は、もとの性別に戻るべきなのか?




 この問いが、最近ずっと頭の中を渦巻いていた。




 「……」




 異世界に召喚され、王女として扱われ、最初はただ混乱し、否定し続けてきた。


 俺は男だった。剣士だった。力強く剣を振るい、蒼真と競い合い、誰かの後ろに隠れるような生き方なんて、したことがなかった。




 でも――今の俺は、王女として生きている。




 ドレスを着せられ、貴族たちの前で優雅に微笑み、誰かに守られる存在として扱われる。


 最初はただの屈辱だった。だけど、最近――その感情が、少しずつ変わり始めている気がする。




 「……慣れちまったのか?」




 自分の呟きに、苦笑が漏れる。




 「姫様?」




 突然、背後から静かな声がした。




 「っ!」




 振り向くと、そこにはユージンが立っていた。




 「……お前か」




 「夜風に当たられるとは、珍しいですね」




 「まあな……ちょっと、考え事をしてたんだよ」




 ユージンは俺の隣に静かに立ち、同じように夜空を見上げた。




 「……何か、お悩みですか?」




 俺は少しだけ逡巡し、それでも口を開いた。




 「……俺は、もとの身体に戻るべきなのかって、考えてた」




 ユージンは驚いたように俺を見た。




 「もとの身体、ですか?」




 「ああ」




 俺はゆっくりと頷く。




 「この世界に来て、ずっと元に戻る方法を探してた。男の身体に戻って、前の世界に戻る……それが俺の目的だったはずだ」




 「……」




 「でも、最近……本当にそれが正しいのか、分からなくなってきたんだ」




 ユージンは俺をじっと見つめていた。




 「……どうして、そのように思われるのですか?」




 「分からねぇ……ただ、俺は……」




 俺は胸の前で拳を握る。




 「この世界で、"王女"として生きることが、当たり前になりつつある」




 自分で口にして、胸が苦しくなる。




 「剣士だった頃の自分が、どんどん遠ざかっていく気がするんだ」




 ユージンはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。




 「姫様」




 「……なんだよ」




 「剣士として生きることと、王女として生きることは、決して矛盾するものではありません」




 「……え?」




 ユージンの言葉に、思わず顔を上げた。




 「姫様は今、この世界で生きておられる。そして、王女としての役割を担いながらも、戦う道を選ばれている」




 「……」




 「ならば、それは"剣士の道を捨てた"ということではないのでは?」




 俺は何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。




 「私は、姫様がどのような道を選ばれようとも、その決断を尊重します」




 ユージンの声は、いつになく優しかった。




 「しかし、一つだけ申し上げるならば――」




 「……」




 「姫様が何者であろうと、私は変わらずお仕えいたします」




 俺は息を呑んだ。




 「……ユージン」




 「男の剣士だった頃の姫様も、今の王女としての姫様も、どちらも同じ"レイシア"です」




 ユージンは俺の手をそっと取る。




 「私は……その"レイシア"という存在に忠誠を誓います」




 心臓が、強く鼓動を打つ。




 「……俺は、レイシアなのか?」




 「そうです」




 ユージンは静かに微笑む。




 「貴方は、貴方です。変わることなく――ただ、今は違う形で生きているだけ」




 俺は何も言えなかった。




 「姫様が元の姿に戻ることを望まれるなら、それを否定はしません」




 ユージンの手が、そっと俺の手を握る。




 「ですが……」




 「……?」




 「私は、今の姫様がこの世界にいることを、決して悪いことだとは思いません」




 俺は、ただ、夜空を見上げた。




 ――俺は、どうすべきなのか?




 もとの身体に戻り、前の世界へ帰るのか?


 それとも――このまま、この世界で"王女"として生きるのか?




 答えは、まだ出せなかった。




 ただ、ユージンの手の温もりが、俺を強く引き止めている気がした。



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