静寂が満ちた大広間。
魔法陣の淡い光がゆらめき、古びた魔道書のページが微かに揺れる。
ここに立つのは、俺、レイシア・フォン・アルザードと――蒼真、そしてユージン。
「……ついに、ここまで来たな」
俺は静かに呟く。
長い間、探し求めた"帰る方法"が、今、目の前にある。
この魔法陣を使えば、俺は元の世界へ戻ることができる。
神崎蓮として、男の姿に戻ることができる。
それが、俺の最初の目的だったはずなのに。
「蓮……」
蒼真が、絞り出すように俺の名を呼んだ。
「お前……本当に、戻るのか?」
「……」
俺は魔法陣を見下ろしながら、拳を握る。
「最初は……絶対に戻るって決めてた」
「……」
「でも、今は……俺の中で、もう"帰る"ことが唯一の答えじゃなくなった」
蒼真の目が揺れる。
「……それは」
「俺は……」
俺はゆっくりと、目を閉じた。
この世界に来て、俺は多くのものを経験した。
王女としての宿命を背負い、剣士としての誇りを貫こうとし、そして――この世界の仲間と共に歩んできた。
蒼真。
ユージン。
クラリス。
そして、この世界の人々。
彼らと共に生きることが、俺にとって"当たり前"になりつつある。
俺は、ただ"元に戻りたい"という理由だけで、この世界を捨てられるのか?
「俺は……王女レイシアとして、生きる」
言葉にした瞬間、自分の中で何かが決まった気がした。
「……!」
蒼真が息を呑む。
「戻らない、のか?」
「……ああ」
俺は蒼真をまっすぐに見つめた。
「俺は、もう"神崎蓮"じゃない。この世界で生きる"レイシア"なんだ」
「でも……」
蒼真の手が、ぎゅっと拳を握るのが見えた。
「お前は、ずっと帰ることを望んでたじゃないか……! それなのに、今さら……」
「今さら、じゃねぇよ」
俺は微笑んだ。
「俺は、もうここで生きるって決めたんだ」
蒼真は唇を噛みしめ、俯く。
「……そうかよ」
彼の声が、かすかに震えた。
「じゃあ、俺は……」
「お前は、お前の道を行けよ」
俺は、静かに言った。
「お前は"勇者"なんだろ?」
蒼真は目を閉じ、深く息を吐いた。
「……ちくしょう」
彼は小さく笑った。
「お前らしいよ、ほんと」
「だろ?」
「……けどさ」
蒼真は、ふっと俺の前に歩み寄る。
「俺は、まだお前のことを諦められねぇよ」
「……!」
蒼真は俺の手を握り、まっすぐな瞳で見つめてくる。
「お前が王女として生きるって言うなら、それを止めたりしねぇ。でも、それでも俺は、お前のことが好きだ」
俺の胸が、ざわつく。
「……」
「俺は、お前のそばにいる」
「……バカ」
俺はそっと、蒼真の手を振り払った。
「お前は勇者として生きろよ」
「それでも、お前が俺の心から消えることはねぇよ」
蒼真の言葉に、俺は何も言えなくなった。
静かに、ユージンが近づいてくる。
「姫様」
彼は、微笑んだ。
「お帰りを望まれるなら、私は何も言いませんでした。しかし、貴方がこの世界で生きることを選ばれたのなら……私は、心の底から誇らしく思います」
「……ユージン」
「私は、王女レイシアに仕える騎士です。これからも、どこまでもお供いたします」
ユージンの言葉が、胸に深く染みた。
「ありがとう、ユージン」
俺は、そっと微笑む。
魔法陣の光が、ゆっくりと消えていく。
俺は、元の世界には戻らない。
この世界で、王女レイシアとして生きる。
そして、俺は剣を手に取り、歩き出した。
この新しい人生を、自分の意志で選んだから。
俺は、もう迷わない――。