王宮の大広間は、普段よりも厳かな雰囲気に包まれていた。
豪奢なシャンデリアの光が柔らかく降り注ぎ、静かに佇む貴族たちが沈黙の中で視線を交わしている。
俺――レイシア・フォン・アルザードは、王座の前に立っていた。
今日、隣国ヴィストリア帝国から正式な訪問者がやってくる。
それも、ただの使者ではない。
――王子、レオナルド・ヴィストリア。
俺の政略結婚の候補として、直接王宮に姿を現すというのだ。
「姫様、王子がお越しになりました」
侍女のクラリスの声が響くと、扉がゆっくりと開かれた。
白銀の刺繍が施された深緑の軍服を纏い、長身の青年が堂々と歩み寄る。
彼の瞳は鋭く、それでいて冷静な知性を感じさせた。
髪は黄金色に輝き、口元には穏やかな微笑が浮かんでいる。
「アルザード王国の王女、レイシア殿。初めまして」
彼は丁寧に膝を折り、俺の前で頭を下げた。
「ヴィストリア帝国第一王子、レオナルド・ヴィストリアです」
「……ご足労いただき感謝する、王子殿下」
俺は表情を崩さずに言う。
「さっそく本題に入らせてもらうが、貴国は俺との婚姻を望んでいると聞いた」
「ええ、その通りです」
レオナルドは少しも動じることなく、静かに頷いた。
「我々の国々は長きに渡り複雑な関係にありました。しかし、今こそ手を取り合うべき時です」
「それが、結婚という形でなければならないのか?」
俺の問いに、彼は微笑みながら言った。
「結婚とは、ただの義務ではありません」
「……」
「貴女が戦う姿を拝見しました。剣を振るう王女として、貴国の未来を守ろうとしていることも理解しています」
「……ならば、どうして結婚を持ちかける?」
レオナルドは静かに目を閉じ、一拍置いてから答えた。
「私は、貴女の理想を否定するつもりはありません」
「……」
「だが、アルザード王国がより強くなるためには、安定した統治と外交関係が不可欠です」
「……」
「我々が手を取り合えば、貴国はより強くなる」
彼の声は穏やかだったが、そこに宿る誠実さは疑いようがなかった。
俺は、無意識のうちに拳を握る。
――彼は理知的で礼儀正しく、俺の価値観を頭ごなしに否定するような男ではなかった。
そして、その言葉に込められた誠実さに、わずかに心が揺れる。
謁見の後、俺は夜のバルコニーで一人、風に当たっていた。
「お前、難しい顔してんな」
その声に、俺は振り返る。
そこに立っていたのは――蒼真だった。
「……蒼真」
「王子とのご対面は、どうだった?」
蒼真は柵に寄りかかりながら、少しだけ口角を上げる。
「結構なイケメンだったらしいじゃねぇか」
「……何だよ、急に」
「いや、ちょっと気になっただけだよ」
俺は目を細める。
「お前、何か変だな」
「……まあな」
蒼真は、夜空を仰ぎ、しばらく沈黙した後、ぽつりと呟く。
「俺、明日、旅立つことになった」
「……!」
驚きに、思わず息を呑む。
「異国の地に行って、勇者としての役目を果たせってさ」
「そう、か……」
俺は、うまく言葉が出なかった。
「お前とは、これが最後かもしれねぇな」
蒼真は冗談めかして言うが、その声には微かな寂しさが滲んでいた。
「そんなわけねぇだろ」
俺は強く言い返す。
「お前がどこにいようが、俺たちはずっと繋がってる」
蒼真は、少しだけ笑った。
「お前、そういうとこ変わんねぇな」
「当たり前だ」
夜風が俺たちの間を通り抜ける。
「……なあ、レイシア」
蒼真は少しだけ顔を伏せ、低く呟いた。
「もし……もし、お前が本当に王子と結婚することになったら……」
「……?」
「そんときは、俺がぶっ壊しに来てやるよ」
俺は一瞬、言葉を失った。
「お前、何言って――」
「じゃあな」
蒼真はそれ以上何も言わず、くるりと背を向けて去っていく。
俺はただ、その背中を見つめていた。
夜空を見上げる。
結婚とは義務ではない、と言ったレオナルド。
「逃げちまえ」と言いながらも、最後まで俺を気にかけた蒼真。
俺の選択は――まだ、分からない。
だけど、今はただ、この気持ちを抱えて、考え続けるしかなかった。