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第八章:喪失の夜

夜の帳が静かに王都を包み込んでいた。




 城のバルコニーに立ち、俺は無言で夜空を見上げる。


 星々は輝いているのに、まるで手が届かないほど遠く感じる。




 魔王軍との戦いが終わり、王国は復興へと向かっている。


 だけど、俺の心は今、戦場で剣を振るっていた頃よりもはるかに混乱していた。




 政略結婚の話が進み、王族としての役割を押し付けられそうになっている。


 剣を握り続けたい自分と、王国を守るために「王」となることを求められる自分――


 その狭間で、俺は答えを見つけられずにいた。




 そして――明日、蒼真が旅立つ。




 「……何で、こんなに胸が重いんだ?」




 ぼんやりと呟く。




 今までずっと一緒にいた。


 俺たちは幼馴染で、剣を交えたライバルで、いつも隣にいた。




 だけど、これからは違う。


 蒼真は勇者として異国へと旅立ち、俺は王女として王国に残る。




 それが当然の流れのはずなのに――




 「……」




 心臓が、妙に痛む。




 その時――




 「よぉ」




 背後から、馴染みのある声がした。




 俺はゆっくり振り向く。




 「……蒼真」




 彼は、いつものように腕を組み、バルコニーの入口に立っていた。




 「やっぱりここにいたな」




 「……何で分かった?」




 「お前、考え事する時は決まってここにいるだろ」




 蒼真はそう言って、俺の隣に並ぶ。




 「夜風が気持ちいいな」




 「……そうだな」




 静かな時間が流れる。




 俺たちは並んで夜空を見上げた。




 いつもなら、蒼真が軽口を叩いて場を和ませるのに、今日は妙に静かだった。




 しばらくの沈黙の後――




 「……明日、行くんだな」




 俺はようやく、その言葉を口にした。




 「ああ」




 蒼真は小さく頷く。




 「異国の地で、勇者としての使命を果たせってさ」




 「そっか……」




 俺は視線を落とす。




 分かっていたことなのに、言葉にした途端、胸が締め付けられる。




 「お前がどこにいても、俺は変わらねぇよ」




 蒼真が、ふっと微笑んだ。




 「お前が王女でも、剣士でも、何でもいい。お前はお前だ」




 「……」




 俺は、初めて"何かを失う"という感情を自覚した。




 今までずっと隣にいた存在が、遠くへ行ってしまう。


 それが、こんなにも苦しいことだとは思わなかった。




 「なぁ、レイシア」




 蒼真が、俺をまっすぐに見つめる。




 「もし、お前が望むなら……俺は、すべて捨ててここに残る」




 「……!」




 俺の心臓が跳ねる。




 「勇者の使命も、何もかも……俺には関係ねぇ」




 蒼真の声は、今までにないほど真剣だった。




 「お前が一人で戦うのが辛いなら、俺はお前のそばにいる」




 「……っ」




 俺の手が、震える。




 「だから――言えよ」




 蒼真は、俺の肩に手を置く。




 「"行くな"って、お前が言うなら……俺は、行かない」




 その言葉を聞いた瞬間、涙が零れそうになった。




 でも――




 「……バカ」




 俺は、静かに首を振った。




 「お前は勇者だ。行けよ」




 蒼真の手が、ゆっくりと離れる。




 俺は涙をこらえながら、微笑んだ。




 「俺は、ここで戦う。だから、お前もお前の道を行け」




 「……」




 蒼真は、しばらく俺を見つめていた。




 そして、深く息を吐くと――




 「……そっか」




 小さく笑った。




 「やっぱり、お前はお前だな」




 蒼真は、俺の額を軽く小突く。




 「頑固で、真っ直ぐで、手がかかる」




 「お前に言われたくねぇよ」




 「ハハ……そうだな」




 蒼真は、静かにバルコニーを後にする。




 去り際――




 「……バカ」




 それだけ呟いて、蒼真は消えていった。




 俺は、一人、夜空を見上げる。




 星々は相変わらず美しく輝いている。




 だけど、今夜の星は、いつもより遠くに感じた。




 ――"何かを失う"ということは、こんなにも苦しいものなのか?




 涙は流さなかった。




 でも、胸の奥で、何かが痛んでいた。




 俺は、剣を握る。




 戦うことを選んだのは、俺自身だ。




 それなら――




 "喪失"すらも、背負って進むしかない。




 静かに、夜の風が吹き抜けた。

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