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第三話

 地平線に日が落ちる。

 そんな時間の冒険者ギルドは、朝とは違う顔を見せる。


 疲労やモンスターの体液や返り血の混ざった独特の穏やかさと生きたまま帰還した安堵に包まれている、独特の空間。

 クエストをクリアすることで活気に満ちる冒険者がいない訳ではないが、ギルドではなく酒場に場所を変えて騒いでいることだろう。


 そんな空間に混ざらない人物が奥に向かって歩いていた。

 服装に大きな汚れもなく、疲労も安堵も見られない表情のまま、奥へと進む。

「はい、今日の分」

 彼は懐から革の袋を四つと五つの瓶を取り出し、カウンターに置くと、目の前に立つ無表情のアイドル嬢に微笑みかけた。



「毒カエルの手と変種ゴブリンの耳と角、毒液に浸食されていない岩竜の鱗。そして岩竜、巨大ウサギ、音波鳥、毒カエル、オークの血液。確かに受け取りました」

 カウンターの奥から、マリアットが複数の革袋を盆に乗せて歩いてきた。


「合計、金貨が五千九百枚になります」

 コルトはその革袋を懐にしまい、代わりに五枚の羊皮紙をカウンターに置いた。

「確かに受け取ったよ、マリアットちゃん」

「ありが――」

「ねえ」

 二人のやり取りを終了させる言葉を、コルトは遮る。

「来月は何位になれそう?」

 その言葉に、マリアットはわずかに顔を引きつらせる。


「現状維持でしょう。わざわざ私のカウンターで受付する冒険者の方はコルト様以外いません」

 マリアットの言葉に、コルトの顔に影が差す。

「そっか」

「だから」

 無理に私のところへ来なくていいんです。

 そう言おうとした言葉は、コルトの頬に伝う涙に吸い込まれた。


「なんで泣いてるんですか」

「悔しいから。俺のせいだから」

 そう言いながら口角を上げようとする様子は痛々しい。

「私がこうだから悪いのであって、コルト様は悪くありません」

 マリアットが話す間にも、コルトの涙はとめどなく頬を伝っていく。


「それに私、もう今月で辞めるので。来月には違う町へ行きますから」


 マリアットの言葉に、コルトの目が見開かれる。

「え……」

「私は以前冒険者をしていまして、その頃同じパーティにいた剣士と結婚をすることになりましたので」

 他の冒険者より腕の立つはずの上級冒険者は、倒れるようにその場にしゃがみこんだ。



 マリアットのカウンターに、コルトがやってきたのは一週間後のことだった。

 ほぼ毎日、マリアットの元へやって来るコルトだったが、時たま来ない日があった。

 それは昇格試験を受けている日がほとんどで、それでも一週間も訪れないことは初めてだった。


「おはようございます、コルト・ルエット様。本日はどのようなご用件でしょうか」

 普段通り挨拶をしたマリアットだったが、その挨拶には自分自身でわかるほどの喜びと安心感が含まれていた。

 挨拶に含まれた感情について言及されることを考え、身構えたマリアットだが、その構えは無駄になる。


 目に生気は感じられず、マリアットに向けられ続けた笑顔も、今は見る影もない。

 目の前に立つコルトと、マリアットの記憶に残るコルトでは、大きな差があった。


「コルト様、体調がすぐれませんか?」

 心配そうに見つめる目線は、彼の目の下にできた深いクマを捉えた。

 明らかに万全ではない様子の冒険者に、クエストを勧めるわけにはいかなかった。

「今日はお休みになってはいかがでしょう」

 マリアットの言葉に、コルトは力なく首を横に振った。


「最上位討伐クエストを」

「できません」

 マリアットの表情は無表情のままだが、その声色は怒気に染まっている。

「今の状態のコルト様にクエストをお渡しすることはできません」

 その怒気にひるむことなく、コルトはベルトに付けられたガントレットを装着する。

 そのガントレットには、最上位冒険者の証として、赤色の宝石が装着されていた。


「三日悩んで、最短で取ってきた。昨日はちゃんと睡眠取った」

 うつむきながら、コルトは淡々と話を続ける。

「会えないのは悲しい。相手の男を殺してやろうかと思った。そいつが、マリアットちゃんの写真を嬉しそうに眺めているのを見たから、できなかった」

 マリアットは言葉を遮ることなく、話を続ける。


「マリアットちゃんのためにできること。考えた結果、マリアットちゃんをナンバーワン受付嬢にすることだった」

 コルトが顔を上げる。その顔は、悲しみと決意に染まっていた。

「だからって……」


 コルトから逃げるよう、マリアットは顔をそむけた。

 確かに、最上位クエストは一件成功するだけで、中級クエストの何百倍もポイントを獲得することができる。

 そのポイント数なら、マリアットがこのギルドのナンバーワンに輝くことも不可能ではなかった。


「そうしないと、俺、後悔するから」

 コルトは、ガントレットをマリアットに向ける。

 マリアットは、視界の端でガントレットを捉えた。

「脅迫ですか」

「どうしてもだめなら、助けを呼んでもいい」

 当然、マリアットが助けを呼んでも誰も来ない。

 このギルドでは、それが当然なのだ。

 さらに相手は、最上位冒険者だ。

 どんな攻撃をしてくるかわからない。


 マリアットは深いため息をつくと、カウンターの奥へ入っていった。

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