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第3話 幼き少女の花


 リアナは震える少女の前に立った。よっぽど恐かったのだろう。可哀想に幼き少女はすっかり怯えていた。


「どうしてこんな真似を?」


 だが、感情の希薄なリアナには震える少女の気持ちを理解できない。


 だから、慰める術を知らず、いつもの抑揚の無い声で問い掛けてしまった。しかも、少女の背はリアナの半分ほどしかない。彼女は自然と少女を見下ろしていた。


「ご、ごめんなさい、わたし、わたし……」


 リアナの無機質な対応に少女はすっかり萎縮してしまった。怒られたと勘違いしたようである。するとリアナは躊躇ちゅうちょする事なく地に膝をつけ少女の黒い瞳と視線を合わせた。


「謝る必要はありません」

「で、でも、わたしリアナ様を困らせて……」

「私は何も困ってはいません」


 リアナにとって信者の幸せこそ全て。

 自分の事などどうでもよかったのだ。


「あなたが無事であればそれで良いのです」


 なんとなくリアナは少女の黒髪を撫でた。


 それは慣れていないぎこちない手つき。だが、とても優しく、とても温かく、だから少女は敬愛する女神の愛撫を心地良さそうに受け入れた。


「ですが、神道に入ればどうなるかは知っていたでしょう?」

「わたし、リアナ様にこれを渡したくて」


 少女は両手をリアナに差し出した。


「お母さんがリアナ様にもう会えないって……最後のおわかれよって……だから、リアナ様にいつもありがとうって言いたくて」


 その手に握られていたのは名も無き小さな青い花。


「これを私に?」

「リアナ様に何かあげたくて……でも、わたし何も持ってなくて……」


 少女から花を受け取るとリアナの胸の中が信仰の祈りとは違う何か温かいもので満たされていく。


「喜んで欲しいのに何にもできないの……」


 だけど、少女は今になって自分の贈り物がみすぼらしく思えてポロポロと涙をこぼす。


「一生懸命探したの……リアナ様を思い浮かべて、リアナ様に一番似合う花を……頑張って探したの」


 その花の青色は鮮やかで、きっと少女にリアナの瞳を連想させたのだろう。


「わたし、これくらいしかできなくて……」


 それは誰も見向きもしない野に咲く花。


 この花を探している時の願い、この花を見つけた時の喜び、この花をリアナに捧げる感謝の祈り――少女がリアナを想い懸命に探していた想いの全てが花を通してリアナに伝わってくる。


「これくらいではありません」


 だから、誰の目にも雑草でしかなくとも、リアナには少女の花がとても尊く感じられた。


「あなたの贈り物はこれくらいなんかではありません」


 リアナは目元に熱を感じた。

 その熱は頬を伝わり流れる。


「リアナ様、泣いてるの?」


 少女の指摘に驚き手を当てれば熱の残滓に指が濡れた。


(涙?)


 それはリアナが初めて流す感情の発露。


 かつて無い経験に何が起きたのかリアナ自身にも理解できずしばし呆けてしまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……わたしがこんな物しか渡せないから」


 そんなリアナの涙が自分の贈り物がみっともなかったからだと勘違いし、少女は泣きながら謝罪を繰り返す。


「違います」

「リアナ様?」


 泣きじゃくる少女をリアナはぎゅっと抱き締めた。

 リアナは生まれて初めて心のままに行動したのだ。


「これは違うのです」


 手に持つ青い花は少女の祈りをいっぱいため込んでいる。それは信仰とは異なる少女の純粋なリアナを想う祈りの温もりだ。


「私は嬉しいのです……とても嬉しいのです」

「ホント?」


 リアナは少女を離し、両手で彼女の頬を包み込んだ。その時のリアナは相変わらず無表情だったが、少女には一瞬だけ微笑んだように感じられた。


「ありがとう、フローラ」

「えっ!?」


 黒髪の幼き少女――フローラは目を大きく見開いた。


「リアナ様がわたしの名前を知っていた?」


 リアナはそれには答えずフローラの頭をひと撫ですると立ち上がり、再び始まりの塔セントアークへと向かって歩き出す。


 フローラの祈りがいっぱいに詰まった花を胸に抱き歩くリアナの姿はとても神秘的で、信者達は言葉を失って見守った。


 誰一人として音を立てない中リアナは始まりの塔へと歩む。そして、ついに塔の前に立つとリアナは天空へと伸びる白亜のそれを見上げた。


始まりの塔セントアークの先にはエクスマキナから先人達がデウスマキアへと来るのに使った旅立ちの塔ノアズアークがあると聞くけれど……この始まりの塔こそが私にとって旅立ちの塔なのですね)


 この塔に入ればデウスマキアと、そこに住まう神々と、そして自分を慕う信者達と永遠にお別れである。


 リアナは信者達の方へ振り返ると丁寧に頭を下げた。


 時が動き出したかのように彼女の信者達がざわりと響動どよめく。

 神が人に対して頭を下げるなど前代未聞の出来事なのである。


「それでは行って参ります」


 だが、頭を上げたリアナは踵を返すと、二度と振り返らずに始まりの塔の中へと消えた。


 誰もがリアナを名残惜しみ塔の前から去らない。そんな大勢の信者達の前で突然始まりの塔が輝きだした。それは一本の光の柱となって天空へと伸びていく。


 信者達は全てを悟った――あの光の中にリアナがいると。


 これがリアナの旅の始まりであった。


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