「――古きエルフの森にて、星影が道を指し示すだろう――」
アンナの頭の中に響いた清らかな風のような声。アンナが持つ小さな竪琴は北東の方角を指すように輝き、確かな熱を伝えていた。
「第二の鍵……エルフの森に……。急がなければ」アンナは決意を込めて呟いた。
マーカスはその小さな竪琴の輝きを観察しながら言った。
「お前が持つ最初の鍵、その竪琴が次の在り処を知らせているようだ。七賢人の仕掛けた連鎖的な仕組みか。だが油断は禁物だ。レオンの不在が長引けば、必ず手を打ってくるだろう」
翌日、アンナ、リーフ、そして護衛役のグランは、夜明け前の薄闇に紛れてギルドを密かに出発した。マーカスは残り、レオンの動きを探りながら情報収集をサポートする手筈だ。
「必ず、戻ってこい。そして、真実を掴むのだ」
ミストは村の状況を他の種族に伝えるため、一時的に別れた。霧の色は温かい虹色に揺らめいていた。
「アンナ様、どうかご無事で。私たちの希望は、あなた方と共にあります」
「エルフの森は馬車で三日ほどの距離だ」
リーフが地図を広げながら説明した。
「森の奥深くにある『星見の聖域』はエルフ族以外は滅多に足を踏み入れられない神聖な場所だよ。長老の許可がなければ入れないだろう。今のギルドとエルフ族の関係は良好とは言えないからな」
「お前さんの尖った耳と流暢なエルフ語が役に立つ時が来たようじゃな」
グランがアンナに聞こえないよう、楽しげにリーフの肩を叩いた。
リーフは苦笑いした。
「そうだといいけど。僕の血は半分だから、純粋なエルフたちからはあまり良く思われていないかも。彼らは伝統と純血を重んじるから。僕のような者は異分子なのかもしれない」
アンナはリーフの言葉に胸を痛めた。自分もハーフエルフだ。種族の狭間で生きる彼の気持ちは分かる。何も言わず、ただ「あなたは一人ではない」という想いを込めた視線を送った。
三日後、一行は鬱蒼とした古木に覆われたエルフの森の入り口に到着した。澄んだ空気の中、鳥のさえずりと風の音だけが聞こえる神秘的な場所だが、侵入者を拒むような厳かな雰囲気も漂っていた。
「ここからは僕が案内しよう」リーフが先頭に立った。その足取りは軽く、森と一体化しているかのようだ。
進むと、物々しい雰囲気のエルフの哨兵たちに行く手を阻まれた。彼らの弓には矢がつがえられ、鋭い目がアンナたちを捉えていた。
「止まれ。何者だ。ここは聖なる森、エルフ以外の立ち入りを禁ずる。特に、定命の者や、血の穢れた者はな」
リーフが一歩前に出て、流暢なエルフ語で応じた。
「我々は『虹の架け橋』ギルドの者。森の長老エルウィン様に、緊急にお伝えしたい儀があります」
哨兵はリーフを訝しげに見た。
「お前はシルヴァンエルの家の者か。人間の血が混じっていると聞くが。そのような者が、我らが長老に何の用だ?」
その侮蔑の言葉に、リーフの表情が強張った。アンナが口を開こうとした時、彼女が服の中に忍ばせていた小さな竪琴が強く輝き始めた。その光は服を通して漏れ、哨兵たちの目を眩ませた。
「な、なんだこの光は!?」
哨兵たちが怯んだ隙に、森の奥から静かで威厳のある声が響いた。
「通しなさい。その光を持つ者たちは、古の預言に繋がりがあるやもしれぬ。血の純粋さよりも、魂の輝きこそが重要であることを、あなたたちも学ぶべきです」
木々の間から、長い銀髪を風になびかせた美しいエルフの女性、長老エルウィンが現れた。その瞳は森の湖のように深く澄み、アンナの心の奥まで見通すようだった。
エルウィンはアンナたちを『星見の聖域』へと案内した。巨大な水晶が夜空の星々を映し出し、無数の星の光が乱反射する幻想的な場所にアンナは息を呑んだ。
「『虹の架け橋』ギルドの受付嬢が、なぜこのような辺境の地まで?あなたから、特別なものを感じます」エルウィンは静かに問いかけた。
アンナはギルドの現状、ヴィクター・レギウスの亡霊の陰謀、『規約第0条』、そして世界に七つ存在するという『言葉の鍵』の伝説と、自身がその一つ目の
エルウィンはアンナが語る『七つの言葉の鍵』の伝説と『星影の導き』について話した時、表情が動いた。
「星影の水晶レンズ……我が一族に代々伝わる秘宝。言葉の奥に隠された真実のパターンを見抜く力を秘めています。だが、使いこなせるのは純粋なエルフの血と森の叡智を理解する者だけだとされてきました」
アンナはエルウィンの視線を真っ直ぐ受け止めた。
「長老様。血筋や種族が何であれ、大切なのは真実を求め、調和を願う心ではないでしょうか。『規約第0条』はそう教えてくれています」
エルウィンはアンナの持つその小さな竪琴と瞳の奥にある輝きを見比べた。
「よかろう。試してみるがよい。この聖域には『星詠みの碑文』がある。謎を解き明かせたなら、水晶レンズの在り処を示そう。ただし、期限は次の夜明けまで」
アンナとリーフは巨大な水晶の前に立つ石碑に向かった。複雑で美しいエルフ文字がびっしりと刻まれ、一つ一つが独自の光を放っている。
「これは非常に古い様式のエルフ語だ。解読には時間がかかる」リーフは眉をひそめた。
しかし、アンナが近づくと、文字がパズルのように組み合わさっていくイメージが浮かんだ。彼女の記憶力と「規則共鳴」の能力が、古代エルフ語の法則性と波長を合わせ始めたのだ。
『空の七つの星が真南に並ぶ時、月の影が示す場所に、森の涙が真実を映す』
アンナは無意識に解読した言葉を口にした。
リーフは驚いた。
「なぜこの古代語が読めるんだ!?その発音は失われたエルフの歌のようだ!」
その夜、七つの星が真南に並び、月の光が聖域を銀色に染めていた。アンナは月の影が指す場所、聖域中央の小さな泉のほとりに立った。泉は黒曜石のように静まり返り、星空を映していた。
(森の涙が真実を映す……『涙』とは何?)
リーフがそっと懐から小さな水晶の欠片を取り出した。
「これは母が亡くなる前にくれた『涙の石』だ。お守りとして持っていたんだが……これが『森の涙』かもしれない」
リーフが水晶を泉に投げ入れると、水面が波立ち、中心から星の光が凝縮したような美しい水晶レンズが浮かび上がってきた。周囲の星々の光を集め、虹色の輝きを放っている。
『星影の水晶レンズ』——エルフ族の「見る力」の鍵だった。
アンナがレンズを手に取ると、暖かく懐かしい力が流れ込んできた。
エルウィンが近づき、感銘の色を浮かべた。
「見事だ。君たちは血筋や伝統だけでは測れない、真の『言葉の力』の資質を持っているようだ」
そして、リーフに向かって言った。
「お前は人間とエルフの血、その両方を持つからこそ、このレンズの真の力を引き出せるのかもしれぬ。誇りを持ちなさい。お前はどちらの種族にとってもかけがえのない存在だ」
リーフは深く頭を下げた。その目には新たな決意の光が宿っていた。
アンナは二つの鍵を手に、空を見上げた。七つの星が力強く輝いていた。しかし、その輝きの中に、ほんの一瞬だけ不吉な黒い影がよぎったのをアンナは見逃さなかった。
(まだ、何かが……この森にもヴィクターの影が忍び寄っているのかもしれない……急いで、次の鍵を見つけなければ)