三つの鍵から放たれる眩い光は、アンナを守る盾のように彼女の周囲で揺らめき、レオン筆頭調停官と衛兵たちを一瞬怯ませた。希望の光であり、同時に反逆の狼煙でもあった。
「アンナ、リーフ!今のうちだ!行くぞ!」グランの叫びが膠着した空気を破った。
その合図で、アンナとリーフはネクタル長老の館から飛び出した。背後でレオンの「逃がすな!奴らを捕えろ!」という命令が響くも、マーカスと少数のギルド職員たちがそれを阻止する声が聞こえた。
「レオン筆頭!あなたのやり方は間違っている!」という若い職員の声も混じっている。どうやらマーカスは、レオンの動きを読み、先回りして公然と反旗を翻したらしい。
「マーカス様……!」アンナは心の中で感謝した。彼の判断と勇気が自分たちを救ってくれたのだ。同時に、彼の身を案じる不安も込み上げてきた。
街の喧騒に紛れながら、アンナたちはグランが用意した隠れ家へと急いだ。古びたパン屋の地下室。香ばしい匂いが張り詰めた心をわずかに和らげる。
「ドワーフの鍵は、ギルドの地下深くにある」グランは言った。
「わしらの一族は、このギルドの基礎工事に関わっておる。特別なものが隠されたという言い伝えがあるんじゃ。『大地の心臓』と呼ばれる場所に」
「ギルドの地下……」リーフは眉を寄せた。
「レオン様の監視が厳しい今、どうやって潜入するんだい?」
「案ずるな」グランは壁の一部を押し込み、隠し通路を現した。
「わしらドワーフは、どこにでも道を作るのが得意でな。この道は、ギルドの最も古い部分へと繋がっておる。レオンとて、この存在は知るまい」
松明の灯りを頼りに、三人は湿った暗い坑道を進んだ。アンナが持つ小さな竪琴は時折微かに光り、進むべき方向を示しているようだった。
「この坑道は『大地の心臓』に続いているはずじゃ」グランが先導する。
「だが、途中には罠や何か別のものが潜んでいるかもしれん。気を引き締めていけ。ここからは後戻りできんぞ」
坑道は迷路のように入り組み、時折不気味な気配が漂ってきた。アンナはリーフから借りた短剣を握りしめ進んだ。彼女の『規則共鳴』の能力はここでは役立たないが、研ぎ澄まされた五感は壁の向こうの微かな音や空気の淀み、この坑道に染み付いた古い『記憶』の断片を感じ取っていた。
(この感覚……エルフの森と似ているけど、もっと重苦しく、古い……何かが深く眠っていて、とても悲しい……)
数時間後、彼らは広大な地下空洞に辿り着いた。中央には巨大な石の祭壇が鎮座し、周囲には風化したルーン文字が刻まれていた。空気は重く、時間が止まったように感じられた。
「ここだ……」グランは畏敬の念を込めて呟いた。
「『石の記憶が眠る場所』、間違いなくここじゃ。『大地の心臓』……わしらの祖先がギルドの礎を築いた場所」
アンナが近づくと、四つ目の鍵である『記憶の刻印石』が激しく震え始めた。彼女がそれを祭壇の窪みにはめ込むと、石は眩い光を放ち、周囲のルーン文字が次々と活性化していった。
そして、アンナの脳裏にドワーフたちの記憶が流れ込んだ。言葉ではなく、イメージと感情の奔流。ギルド創設時の熱気、七賢人たちの誓い。しかし、その中には人間族の賢人ヴィクター・レギウスの冷たい視線も含まれていた。彼は他の賢人たちには内緒で、何か特殊な魔法的仕掛けを施していたのだ。『言葉の力』を制御し、人間族の支配下に置くための企み。
「これが……ヴィクターの最初の企み……!」アンナは呻いた。膨大な記憶に意識が遠のく。ドワーフたちの長きにわたる苦悩と抵抗の歴史が彼女の心に流れ込んできた。
「アンナ、しっかりしろ!」リーフが彼女の肩を支えた。その声が彼女を現実へと引き戻す。
アンナはヴィクターの記憶から重要な情報を見つけ出した。ギルドの地下最深部に隠された「規則の迷宮」の存在と、そこに至る秘密の通路の図面。そしてその迷宮こそが、彼の歪んだ野望の核心だった。
「見つけた……『規則の迷宮』への道を……!そして、ヴィクターの本当の目的も……!」
アンナの叫びと同時に、空洞の奥の壁が崩れ落ち、新たな通路が現れた。その先には七角形の模様が刻まれた巨大な金属製の扉があった。扉からは古えの力が放たれ、肌を刺すような圧力を感じた。
「あれが……『規則の迷宮』の入り口……!」グランは息を飲んだ。
しかし、扉の前には黒い霧のような人影が立ちはだかっていた。それはヴィクター・レギウスの亡霊だった。以前よりも濃密で、明確な敵意を放っている。
「よくぞここまで辿り着いた」亡霊は嘲るように言った。
「だが、お前たちの冒険もここまでだ。この先は私の聖域。そして、お前たちの墓場となる」
亡霊の周囲から無数の「黒い糸」が伸び、襲いかかってきた。それは歪んだ規則の力そのもので、見る者の精神を蝕むような波動を放っていた。
「くっ……!何という邪気だ!」
グランが盾を構え、リーフが魔法の矢を放ったが、黒い糸はそれらを弾き返した。その力は以前より格段に増していた。
アンナは恐怖で足が竦んだ。これがヴィクター・レギウスの真の力。この力の前では自分たちは無力ではないか。
(ダメ……勝てない……!このままでは、みんな……!)
諦めかけた脳裏に、これまでの言葉が蘇った。 ミスト「アンナ様の言葉……美しい黄金色に見えます」 ネクタル長老「お前さんには、真実を味わう資格があるようだ」 エルウィン長老「君たちは、真の『言葉の力』の資質を持っている」 マーカス「君の力は、世界を救う鍵になるかもしれない」
(私を信じてくれた人たちがいる!その想いを、無駄にするわけにはいかない!)
アンナは『規約第0条』の羊皮紙を握りしめ、自身が持つ四つの鍵の力を感じながら、亡霊を見据えた。その瞳には決意の炎が宿っていた。
「私は逃げない!あなたの歪んだ秩序に屈したりしない!私たちの未来を渡さない!」
その叫びと共に、四つの鍵が眩い光を放ち、黒い糸の攻撃を押し返した。四つの異なる楽器が一つの旋律を奏で、不協和音を打ち消すように。
ヴィクターの亡霊は驚愕した。「まさか……四つもの鍵を……!それほどの力を手懐けるとは……!」
その時、迷宮の扉が重々しく開き始めた。その奥からは濃密な古えの気配が漂ってきた。
「行くぞ!ここで怯むな!」グランが叫んだ。
三人はヴィクターの追撃をかわし、開かれた扉の奥へと飛び込んだ。
そこは壁一面に無数の規則が刻まれた七角形の回廊だった。アンナにはそれらが金色と黒色の糸として見え、複雑に絡み合い巨大な網を形成していた。その網は空間を支配し、彼女の精神に直接圧力をかけてきた。
「これが……『規則の迷宮』……!」
迷宮の中央には黒い革装丁の巨大な本が鎮座していた。ヴィクター・レギウスの肖像画に描かれていた『規則改変書』だ。その本からは絶えず黒い糸が伸び、迷宮全体を支配していた。
アンナが近づくと、本から黒い煙のような影が立ち上り、人の形を成していった。それは先ほどよりもさらに濃密なヴィクターの亡霊だった。
「よくぞ来た、『規則の共鳴者』よ」亡霊は冷酷な笑みを浮かべた。「私の計画の完成を、その目で見届けるがいい。そして、永遠にこの迷宮を彷徨うのだ。お前たちの希望と共に」