「……ふむ。想像していたより、ずっと美味だ」
スプーンを口に運びながら、エドガーは目を細める。
クラリッサの作った具沢山スープは、出汁の効いたあたたかな味で、胃の奥まで染みわたるようだった。
「でしょ? 道端の食堂より旨いって評判なんだよ、うちのまかないは」
クラリッサは誇らしげに笑い、テーブルを拭きながら続けた。
「そもそも、貴族のフルコースなんて腹の足しにもならない。金かけて飾るより、毎日ちゃんと食べて、ちゃんと働ける方がよっぽど健全だよ」
「あなたは……やはり変わられましたね、クラリッサお嬢様。いや、“クラリッサさん”ですか」
エドガーは苦笑するように言った。
だが、その口調に嘲りの色はなかった。
「変わったんじゃないよ。やっと“普通”になれただけ」
クラリッサがそう言ったとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
入り口に立っていたのは、血だらけの冒険者だった。
「おい! モンスターが街道沿いまで出てきてる! 通商隊が襲われて、援軍要請が来てる!」
一瞬で場が凍りつく。
クラリッサは咄嗟に椅子を蹴って立ち上がった。
「リガル! セイナ! 戦えるやつをすぐ集めて! 鍛冶ギルドにも伝令走らせて!」
「了解ッ!」
「武器の補充は裏の倉庫から! 負傷者は応急処置できるように、医療班も配置!」
クラリッサは、怒鳴るでもなく、けれど確実に場を動かす声を出していた。
受付の奥に立つ“ただの女”は、今や前線の指揮官のようだった。
驚いたのはエドガーだ。
彼女の中に眠っていた“リーベルト家の統率力”を、まざまざと見せつけられたからだ。
「あなた……まだ、貴族だった頃の力を――」
「違うさ。私はもう貴族じゃない。だけどね、“誰かの命を守るために動く”ってのは、どこにいたってできるんだよ」
クラリッサは背を向け、鎧をつけた冒険者たちに指示を飛ばす。
「エドガー、あんた帰るなら今のうちだよ。ここから先は、血と泥の匂いがする世界だ」
エドガーは答えず、しばらくその背中を見つめていた。
そして静かに立ち上がり、鍋の横に銀貨を一枚置いた。
「……せめて、次は朝食の時間に来るとしましょう。無事に終われば、ですが」
「そのときまでには、もっと旨いの作っとくよ」
クラリッサは振り返らず、そう答えた。
そしてギルドの扉が、再び、戦場へと続く音を立てて開かれた。