オールド・スケイルウルフの咆哮が消えたのは、日が傾きかけた頃だった。
森の中、蒸気のように立ち上る魔力の残り香の中に、クラリッサは立っていた。
その剣は溶けるように消え、彼女は膝をつく。血が滲んだ服を誰かが掴んだ。
「クラリッサさんっ!」
駆け寄ってきたのはセイナだった。彼女の瞳に浮かぶ涙と焦燥を、クラリッサは苦笑で迎える。
「泣くほどのもんじゃないよ……昔取った杵柄ってやつ」
「でも! あんなの……前に出る必要なんてなかった……!」
「後ろにいても、何も守れない。だったら、前に出た方がマシさ」
それは、誰よりも自分自身に言い聞かせる言葉だった。
だが、その言葉は、思いがけない人物にも聞かれていた。
「……貴族の娘が、泥まみれになるとはね。堕ちたもんだ」
声の主は、黒衣の男――ギルド中央監査局の視察官、ルドヴィク・ハウザー。
クラリッサが元いた侯爵家に仕えていた執事でもあった。
「何しに来たの、ルド」
「“そろそろ帰還を”との命だ。家を出た君を、このままにはしておけないと、侯爵様が」
セイナが警戒の色を見せる。
「クラリッサさんを、無理やり……?」
「無理などしない。ただ、彼女が“やるべきこと”を思い出せばいいだけだ」
ルドヴィクの言葉には、かつての“上から目線”が滲んでいた。だがクラリッサはもう、それに怯えなかった。
「私の“やるべきこと”は、ここにある。仲間の命を繋ぐ受付嬢としての役目。それ以上でも以下でもない」
「見苦しいな」
「いいさ、泥臭くて上等。ここの人たちに、貴族の虚栄よりもずっと大事なものを教わったから」
ルドヴィクは口を噤む。
その時、隊列の中から小さな冒険者の子どもが駆けてきた。
「クラリッサさーん!お姉ちゃんが助かったって!」
泣きながら抱きついてくる子どもの温もりに、クラリッサは少しだけ目を潤ませた。
「ほらね、こういうの。ここでしか手に入らないでしょ?」
それは、彼女にとっての勲章だった。