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第9話「ユーニス家の亡霊」

「“ユーニス”って誰よ、って思ったでしょう? それ、母方の名義なんだよ」


クラリッサはぽつりと呟きながら、馬車の窓の外に広がる緑の平原を見つめていた。

数年ぶりの帰郷――アルトハイム侯爵領。

中央でも有数の魔導技術家門でありながら、十年前の“魔力増幅装置暴走事件”により、一族の名声は地に落ちた。


「クラリッサ=フォン=アルトハイム……まさか、あの“災厄の家”の令嬢だったなんて」


同行していた少女――セフィナは、どこか遠慮がちに口を開いた。


「ま、見た目じゃわからないよね。今やギルドの受付嬢なんだし」


「でも、あなたの父は――」


「“エルトリス・フォン・アルトハイム”。私はあの人を“父親”だなんて思ってないよ。……もう、ずっと前からね」


クラリッサは、はっきりとした声でそう言った。


侯爵家の屋敷は、かつての威光を残しながらも、どこか歪な沈黙に包まれていた。

使用人の数は減り、魔導設備は旧式のまま止まっている。

その中心――研究塔の地下で、クラリッサは父と再会する。


「……クラリッサ。ずいぶんと見違えたな」


「父上。まだここに籠もって、過去を繰り返すつもりですか?」


「“過去”だと? あの装置は……まだ終わっていない。私は、未完成だった奇跡を完成させる」


父の瞳は、かつてと同じ。狂気の縁を歩く、異常なまでの“探究心”に満ちていた。


「それが、また多くの人を巻き込むことになっても?」


「クラリッサ。世界は犠牲の上に進歩する。お前もその血を引いているはずだ」


「……私は、“受付嬢”です。冒険者の命を預かり、守る立場なんですよ」


静かに、しかし明確に言い切ったクラリッサを、父エルトリスは目を細めて見つめた。


「ならば――お前も“敵”だな」


その瞬間、地下研究室の封印が解かれ、魔力増幅装置が起動した。




「なっ……この出力、街ひとつ吹き飛ばすつもり!?」


セフィナが叫ぶ中、クラリッサは冷静に装置の構造を見極めていた。


「……装置の中枢、まだ未完成のままだ。なら、強制停止できる」


「無茶です!」


「ギルドに戻るって約束したからね。あたし、ここで終わる気ないよ」


クラリッサは、一気に魔力回路の中心へと飛び込んだ。

その手には、ギルドで使っていた事務用マジックペン。

書類の修正用にしか見えないそれは、実は“術式改変用の特注ツール”だった。


「クラリッサ=フォン=アルトハイム。お嬢様らしく、後始末ぐらいはちゃんとやらないとね」


ペンを一閃。魔力回路が書き換えられ、暴走寸前の装置が静かに沈黙した――


翌朝、焼け焦げた屋敷の中で、クラリッサは父と最後の対話を交わした。


「なぜ、私の道を否定する」


「父上のやっていたことは、“誰かを幸せにする”装置じゃなかった。あれは……ただの破壊です」


「……そうか」


エルトリスは、どこか寂しげに笑い、拘束されて研究塔を出ていった。


クラリッサは、灰の中で一度だけ振り返った。


「クラリッサさん、戻りますか?」


馬車の前で、セフィナが待っていた。


「うん。ギルドで、冒険者たちが困ってる。あたしの仕事に戻らなきゃ」


クラリッサは小さく微笑んだ。


「――“受付嬢”ってのは、そういう仕事なんだよ」

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