「“ユーニス”って誰よ、って思ったでしょう? それ、母方の名義なんだよ」
クラリッサはぽつりと呟きながら、馬車の窓の外に広がる緑の平原を見つめていた。
数年ぶりの帰郷――アルトハイム侯爵領。
中央でも有数の魔導技術家門でありながら、十年前の“魔力増幅装置暴走事件”により、一族の名声は地に落ちた。
「クラリッサ=フォン=アルトハイム……まさか、あの“災厄の家”の令嬢だったなんて」
同行していた少女――セフィナは、どこか遠慮がちに口を開いた。
「ま、見た目じゃわからないよね。今やギルドの受付嬢なんだし」
「でも、あなたの父は――」
「“エルトリス・フォン・アルトハイム”。私はあの人を“父親”だなんて思ってないよ。……もう、ずっと前からね」
クラリッサは、はっきりとした声でそう言った。
侯爵家の屋敷は、かつての威光を残しながらも、どこか歪な沈黙に包まれていた。
使用人の数は減り、魔導設備は旧式のまま止まっている。
その中心――研究塔の地下で、クラリッサは父と再会する。
「……クラリッサ。ずいぶんと見違えたな」
「父上。まだここに籠もって、過去を繰り返すつもりですか?」
「“過去”だと? あの装置は……まだ終わっていない。私は、未完成だった奇跡を完成させる」
父の瞳は、かつてと同じ。狂気の縁を歩く、異常なまでの“探究心”に満ちていた。
「それが、また多くの人を巻き込むことになっても?」
「クラリッサ。世界は犠牲の上に進歩する。お前もその血を引いているはずだ」
「……私は、“受付嬢”です。冒険者の命を預かり、守る立場なんですよ」
静かに、しかし明確に言い切ったクラリッサを、父エルトリスは目を細めて見つめた。
「ならば――お前も“敵”だな」
その瞬間、地下研究室の封印が解かれ、魔力増幅装置が起動した。
「なっ……この出力、街ひとつ吹き飛ばすつもり!?」
セフィナが叫ぶ中、クラリッサは冷静に装置の構造を見極めていた。
「……装置の中枢、まだ未完成のままだ。なら、強制停止できる」
「無茶です!」
「ギルドに戻るって約束したからね。あたし、ここで終わる気ないよ」
クラリッサは、一気に魔力回路の中心へと飛び込んだ。
その手には、ギルドで使っていた事務用マジックペン。
書類の修正用にしか見えないそれは、実は“術式改変用の特注ツール”だった。
「クラリッサ=フォン=アルトハイム。お嬢様らしく、後始末ぐらいはちゃんとやらないとね」
ペンを一閃。魔力回路が書き換えられ、暴走寸前の装置が静かに沈黙した――
翌朝、焼け焦げた屋敷の中で、クラリッサは父と最後の対話を交わした。
「なぜ、私の道を否定する」
「父上のやっていたことは、“誰かを幸せにする”装置じゃなかった。あれは……ただの破壊です」
「……そうか」
エルトリスは、どこか寂しげに笑い、拘束されて研究塔を出ていった。
クラリッサは、灰の中で一度だけ振り返った。
「クラリッサさん、戻りますか?」
馬車の前で、セフィナが待っていた。
「うん。ギルドで、冒険者たちが困ってる。あたしの仕事に戻らなきゃ」
クラリッサは小さく微笑んだ。
「――“受付嬢”ってのは、そういう仕事なんだよ」