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第6話 社交界での逆転劇  

 大規模な舞踏会が開かれる日の朝、アイシャは薄雲のかかった空を見上げながら、静かに息をついた。王宮主催の祭典にあわせ、帝都の貴族たちの多くが一堂に会するこの舞踏会は、社交界での勢力をアピールする絶好の機会であり、同時に「華やかさを誇る場所」というだけでは収まらない政治的駆け引きの場でもある。

 今回の舞踏会も例に漏れず、さまざまな思惑を抱えた貴族たちが集まると噂されていた。アイシャにとっては、まさしく「すべてを暴露する決戦の舞台」。彼女はこの日のために、レオンとエリザベスの陰謀を裏付ける証拠を厳重に用意し、幼なじみの王宮騎士エドガーと入念な打ち合わせを重ねてきた。ここで勝負を仕掛けなければ、エリザベスとレオンはさらに勢力を拡大し、自らを完全に追い詰めてくるだろう。もはや引き返す道はない。



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華やかな舞台への準備


 その日の午後、アルヴァーノ公爵家の玄関前には、華やかに着飾った貴族たちが次々と馬車に乗り込み、舞踏会の会場へ向かう準備をしていた。アイシャも、いまは公爵夫人という立場を取り繕うべく、贅を凝らしたドレスを身にまとっている。もっとも、当のレオンは「先に会場へ向かう」と言い残したきり、愛人エリザベスとともに早々に出発してしまった。

 形だけは夫人として馬車を用意してもらったものの、乗り込む際に「奥様、まさか何かしでかすおつもりでは……?」と勘繰る使用人の視線が痛い。アイシャは微笑でやり過ごしながら、そのまま馬車へと乗り込んだ。今夜、どれほどの波乱が起こっても、彼女自身が証拠を突きつけて勝負を挑まねば何も変わらない。使用人たちの疑念やエリザベスの工作を気にかけている暇はなかった。


 馬車が石畳の道をきしませながら進む間、アイシャの脳裏にはエドガーの言葉がよぎる。

「舞踏会の開始直後は、みな挨拶や歓談に忙しい。タイミングを狙うなら中盤から後半だ。人が十分に集まり、注目が集まる瞬間にこそ、書類を公に提示すべきだ。」

 これはエドガーと協議して決めた戦略だった。あまり早い段階で暴露しても、レオンやエリザベスが弁解しながら、上手く混乱を引き伸ばす可能性が高い。だが、貴族たちがそれぞれワイン片手に優雅な談笑を楽しんでいる最中、一気に衝撃的な事実を突きつければ、どんな陰謀にも対処しきれないはず……それがエドガーの読みであり、アイシャも同意している。


 馬車が王宮の大ホールの前に着いたころには、すでに会場の入口は色とりどりの衣装に身を包んだ貴婦人たちや、上品な身なりの紳士たちで賑わっていた。入り口には王宮騎士が整列し、招待状の確認や、貴賓の誘導をしている。アイシャも書類をしっかりと胸元に隠し、なるべく自然な笑みを浮かべて列に並ぶ。王宮の外壁に灯る明かりは夕闇に映え、これからの華やかな夜を予感させるようだった。



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不穏な雰囲気


 大ホールへ足を踏み入れると、まばゆいシャンデリアの光と、煌びやかな装飾が目を奪う。華やかな宮廷音楽が流れ、貴族たちの笑い声が重なり合う中、アイシャはレオンの姿を探した。すぐに、少し奥まった場所で愛人エリザベスとともに取り巻きの貴族たちと談笑しているのが目に入る。レオンはあいかわらず冷淡な面差しで、アイシャには目もくれず、まるで“彼女はいないも同然”という態度だ。

 一方のエリザベスは、絢爛豪華なドレスに身を包み、まるで“公爵夫人”であるかのように周囲の人々と言葉を交わしている。彼女に近づこうとすると、周囲の取り巻きがさり気なくアイシャを遮り、冷たい目線を向ける始末。

 だが、アイシャはあえて彼らに声をかけず、さも「夫が望む距離感を保っている妻」のように穏やかな面持ちでその場を離れた。いま敢えて衝突する必要はない。勝負を仕掛けるなら、もっと注目を浴びる瞬間が適切だ。今はまだ、観客が集い始めた序盤戦にすぎない。


 そうしてホールを見渡すと、遠くの壁際にエドガーの姿が見えた。王宮騎士の制服に身を包み、警備の任を担う立場でありながら、その眼差しはどこかしらアイシャを気遣っているように見える。彼女が軽く頷いて合図を送ると、エドガーも同じように静かに頷き返した。

(きっとこの人がいるからこそ、わたしは勇気を出せる……)

 そう思うと同時に、アイシャの胸は少しだけ熱くなる。幼い頃にはただの“頼りになるお兄さん”のように感じていたエドガーが、今は本当の意味での支えとなってくれている。もし今夜、事が上手く運んだら……アイシャは何度も頭を振って、その先のことを考えるのを止めた。まだ勝敗はわからないのだ。



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ざわつく中盤、呼び止められたアイシャ


 やがて舞踏会も中盤に差し掛かり、音楽隊の演奏が一段落すると、ホールの中央には大勢の貴族たちが輪を作り、優雅にダンスを始める。歓談の輪もそこかしこで賑わい、ワインと笑い声が交錯する。今こそが「全員がくつろいでいる絶好の時間帯」——エドガーが言うように、ここが仕掛けどきだ。

 アイシャは少し息を整え、そっとドレスの裾を持ち上げて中央に近づこうとした。ところが、その背後から声をかけてきたのは、愛人の取り巻きのひとりだ。名ばかりの男爵家の子息で、エリザベスの“噂拡散”に荷担している人物として、アイシャも警戒していた相手である。

「おや、アイシャ様ではありませんか。今日はずいぶんお静かですね。ご主人様がお側にいらっしゃらないようですが……もしかして、また何か企んでいるのでは?」

 からかうような、その見下した声に、アイシャの胸はひやりとする。どうやらエリザベスの陣営は「アイシャが妙な動きをしているのでは」と疑っているらしい。いつもなら、この程度の挑発は笑って受け流すだけだが、今夜は事情が違う。

 アイシャは少しだけ微笑を浮かべて、凛とした声で返す。

「ご心配いただかなくても大丈夫ですわ。夫はすぐ近くにいらっしゃいますし……それに、わたくしは決して“隠し事”など致しておりませんわ。むしろ堂々と行動するほうが私の性分ですもの」


 その言葉に、男爵家の子息は鼻で笑いながら「ふん、まあいいでしょう」とつぶやき、立ち去っていった。わずかなやり取りだが、アイシャは自分が注目の的になっていることを改めて確信する。もし彼女がこのまま何もしなければ、エリザベスたちの思うままになる可能性が高い。どのみち今夜仕掛けるしか道はないのだ。



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決定的瞬間


 舞踏会が最高潮に達する頃合いを見計らい、アイシャはホールの中央付近へと足を踏み入れた。周囲の貴族たちは楽しげにダンスを踊り、笑顔を交わしながら優雅にステップを踏んでいる。その輪を少しずつかき分けるように進むと、自然と「公爵夫人が何をしようとしているのか」と周囲が注目し始める。

 やがて、音楽が一旦止む合図のベルがホールに響き渡った。ダンスの曲が切り替わる直前の、この一瞬の“静寂”。ここが狙いだ。

 アイシャは大きく胸で息を吸い込み、まるで舞台女優のように力を込めた声を張り上げる。

「皆様、少々お時間を頂戴できませんでしょうか……アルヴァーノ公爵家の夫人として、皆様に大切なお知らせがございますの。」


 貴族たちはその声に驚いてざわつき、踊りを止めてアイシャを振り返る。愛人エリザベスも遠目から嫌そうな表情を浮かべ、レオンは険しい面持ちで唇を結んでいる。

「わたくし、アイシャ・アルヴァーノは、本日ここに、夫・レオン・アルヴァーノ公爵ならびにその関係者が行ってきた行為について、事実を公にいたします。……これは、単なる私的な言い争いではなく、この国の秩序や公爵家の名誉にも関わる重大な疑惑ですわ」

 その言葉に、ホール全体が一気に水を打ったように静まった。次の瞬間には、衝撃と興味からどよめきが起こる。レオンは「馬鹿なことを……」と呟いて視線を逸らすが、エリザベスは明らかに焦りを帯びた様子でアイシャを睨んでいる。彼らの取り巻きも動揺を隠せず、何人かは周囲に合図を送ろうとするが、王宮の警備騎士たちがすでに目を光らせており、下手な行動は許されない雰囲気ができあがっていた。



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証拠の提示


 アイシャは胸元から取り出した書類を高く掲げ、続けて声を張る。

「こちらには、公爵家の正規の印章を不正に使い、商人や地方貴族を欺いて不当な取り引きをしてきた証拠がそろっております。そして、愛人であるエリザベス・○○様(※姓は任意)がお心のままに資金を動かし、わたくしの悪評を広めながら、公爵家の名を利用して私腹を肥やしているという内容がはっきりと記されているのです。……さらに、わたくしが苦しんでいた諸々の噂の根源がどこであったかも、ここに記述がございますわ」


 書類には贈賄や印章の偽造、そして“公爵家代理人”を名乗るエドウィン(既に逃げたか雲隠れか)の筆跡が混じった契約書など、さまざまな物証が揃っていた。加えて、エリザベスによるメモ書きが残されたノートの一部には、レオンがエリザベスに便宜を図りながらも表立って動かないように示唆する文面があり、それが“愛人と公爵が共犯”の疑いを濃厚にしている。

 アイシャは怯むことなく、その一部を朗読し、貴族たちに回覧できるよう差し出した。王宮騎士がそれを受け取り、周囲に見せながら一斉に目を光らせる。動揺の波が次第に大きくなる中、エリザベスがついに堪えきれず声を張り上げた。

「……何を言っているの! それはデタラメよ。わたくしが公爵家の財産を勝手に扱ったなんて、あり得ませんわ。そもそも、その書類だって偽造かもしれないじゃないの!」

 血相を変えたエリザベスがアイシャに詰め寄ろうとすると、いつの間にかそばにいたエドガーがさっと立ちふさがる。彼女を威嚇するような素振りではないが、王宮騎士として毅然とした態度を示し、衝動的な行動を封じるかのように静かに止める。


「落ち着いてください、エリザベス様。書類の真偽はここにいる騎士や、王宮の専門家の手で確認されるでしょう。それに、あなたが無実なら、この場で堂々と証拠を提示すればよろしい。……自分の潔白を証明できないというのなら、どうお答えになるのかは自明ですが」

 エドガーの台詞に、エリザベスは青ざめた顔で口をパクパクと動かす。周囲の貴族たちも、「まさか、あの公爵夫人が本物の証拠を?」「エリザベスは堂々と邸内を仕切っていたけれど……やはり裏が?」と、好奇の混じった視線を向け始める。もともとアイシャの悪評は広がっていたが、こうして彼女の口から具体的な書類や実例が示されると、一気に形勢が変わり始めた。



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レオンの崩落


 それでも、レオンが一言弁解し、「そもそもこれは誤解だ」とでも釈明すれば、まだ混乱は続いたかもしれない。だが、肝心のレオンは、アイシャに証拠を突きつけられた途端、顔色を失い、うろたえを隠せなくなっていた。というのも、彼には「エリザベスがかなり好き勝手やっているのは知っていたが、自分には大事が起こるほどではない」と高を括っていた自覚がある。しかし、これだけ大勢の前で、正式な書類が提示されれば逃げようもない。

 貴族たちの視線がレオンに集まる中、彼はどうにも言葉が出てこない。仮に「自分は利用されていただけだ」と弁解すれば、愛人に邸内の印章や権限を明け渡していた重大な管理責任を問われるだろう。逆に「すべて承知の上だった」と言えば、公爵としてその責任は計り知れない。結果として、レオンは何も言えず、ただ硬直したように立ち尽くすしかないのだ。

 すると、周囲の貴族たちは「公爵が否定もできないなら、本当なのでは?」「これはただごとではない」と、低いざわめきを漏らし始める。エリザベスも「レオン様、何かおっしゃってくださいませ!」とすがるように彼を呼ぶが、彼の視線は宙を彷徨うばかり。

 王宮側の騎士たちも事態の重大さを察知し、上位の貴族や官吏が集まり始める。まだ正式な裁定は下されていないが、これだけの証拠が公衆の面前で晒された以上、もはやレオンやエリザベスが裏で揉み消すのはほぼ不可能だ。いかに公爵家といえど、国家や貴族全体に嘘を突き通せるほどの権力は持ち合わせていない。



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エリザベスの破綻と追放の余波


 舞踏会という華麗な場で起こった突然の醜聞。貴族たちの興味と驚愕が頂点に達する中、エリザベスは悲鳴のような声を上げて抵抗を試みる。

「違うのよ! これはあの女が私を陥れるために仕組んだ罠に決まっているわ! アイシャ、あなたなんて大嫌いよ! 公爵様だって、そうでしょう……ねえ、何とか言って! 私はあなただけを信じて……」

 だが、レオンはうろたえるばかりで、一向に口を開かない。その姿に周囲の貴婦人たちは冷やかな視線を送り始め、「これがアルヴァーノ公爵の本性か……」「若くして地位を得たと思いきや、この程度の危機対応もできないとは」と呟く者までいる。

 そこへ、王宮の高官らしき人物が騎士を伴い進み出た。

「アルヴァーノ公爵とエリザベス殿、ここでの騒動について事情聴取を行います。書類の確認も王宮で行いますので、手順に従っていただきたい。……失礼ながら、これは軽い噂話では済まないことです。公正な場で判定を仰ぐことになるでしょう」

 そう告げられた瞬間、エリザベスの顔は真っ青になり、何かを叫ぼうとするが、すでに騎士たちが制止する態勢に入っていた。押しとどめられながら、彼女は「どうして! どうして私がこんな目に!」と喚くものの、周囲の貴族たちは険悪な視線か、軽蔑の目つきで見ているだけだ。愛人として好き勝手に振る舞ったツケはあまりに大きく、しかも公爵家の権威を汚す行為とあれば、同情の余地などほとんどない。



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レオンの失墜


 一方のレオンは、何とか声を絞り出そうとしているものの、証拠を前にした今、彼に残された選択肢は僅かだった。もはや「知らなかった」と嘘をつくには証拠が明らかすぎるし、完全に共犯を認めれば、公爵の地位は一瞬にして失墜する。周囲の貴族たちはその様子を冷ややかに見ている。

「……俺は……被害者だ……エリザベスに利用されたんだ……」

 かろうじてそれだけは口に出したものの、誰もが「あなたが愛人に公爵家の権限を与え続けたのでは?」と思っている。被害者を装うのはさすがに無理がある。結局レオンは公式の場での釈明を余儀なくされるだろうが、いずれにせよ社会的信用は地に落ち、貴族としての立場も大きく揺らぐのは時間の問題だ。


 エリザベスが泣き叫ぶ声、レオンがうなだれた姿——それらが、かつては「美しく高位な公爵家の夫妻(と愛人)」とされていた面影を跡形もなく塗りつぶしていく。周囲の貴族が露骨に眉をひそめ、遠巻きに様子をうかがう中、王宮の高官は「これ以上の混乱は舞踏会に相応しくない。後日、正式な審問を行う」と言い渡し、騎士たちにレオンとエリザベスを連行させる形でホールから退場させた。

 さっきまで華麗にステップを踏んでいた貴族たちは、見事なまでに道をあけ、疑惑の公爵と愛人を見送る。その背中に容赦ない視線が降り注ぎ、ホールには重苦しい空気が漂う。だが、その雰囲気の中心にいるアイシャは、意外なほど静かに立ち尽くしていた。大きな勝利の瞬間というより、“長い悪夢が終わる扉が開いた”というほうが近い感覚だろうか。



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ざまぁと呼べる一瞬


 こうして舞踏会は途中で大混乱に包まれたが、アイシャにとっては「エリザベスとレオンの陰謀を白日の下に晒す」という目的を果たすことができた。周囲の貴族たちがゴシップ好きであればあるほど、今回の醜聞は一夜にして帝都中へ広まるだろう。その結果、「夫を軽視する冷酷な公爵夫人」という汚名を着せられていたアイシャは、むしろ“真の被害者”として同情や共感を集める形になるかもしれない。少なくとも、「あの夫婦には大問題があるのでは?」という噂が覆ったのは間違いない。


 ホールの中央で深呼吸をしていると、エドガーが近づいてきて小さく声をかける。

「大丈夫かい、アイシャ? よくやった。……騎士たちも、あれだけの証拠を見せられれば動かざるを得ないさ。あとは王宮で正式に調べが行われるだろう。君が巻き込まれずに済むよう、僕も可能な限り動く」

 アイシャはその言葉を聞いて、ようやく解放されたような気がした。胸に溜め込んでいた息を吐き出し、ドレスの裾を握っていた手をゆっくりと離す。

「ありがとう、エドガー。あなたがいなければ、きっと今ごろわたしは……どうなっていたかわからない」

 声が震えるのを抑えつつ、彼に微笑むアイシャ。エドガーの瞳にも安堵の色が浮かんでいる。二人が言葉を交わしている様子を見て、一部の貴族たちが興味深げに囁き合っているが、今さらそんなことは気にならなかった。


 その視線の中には、かつてアイシャを軽蔑していた貴婦人や、エリザベスの噂話に乗っかっていた令嬢たちも混ざっている。しかし、アイシャはまっすぐ背筋を伸ばし、もう一度ホール全体を見渡す。あれほど息苦しかった「社交界」が、今は少しだけ明るく見えるのは、彼女の中で何かが吹っ切れた証かもしれない。

 これが“ざまぁ”と言えるかどうかは分からない。まだ手続きや審問は残っているし、アルヴァーノ家とルメート侯爵家の関係も一筋縄ではいかないだろう。だが、少なくとも、アイシャを苦しめてきた不当な仕打ちや噂は潰え、エリザベスは追放の道を辿ることは濃厚だ。レオンも社会的信用を失い、公爵位すら危うい。冤罪に苦しめられていたアイシャが、初めて公の場で堂々と「私は被害者であり、真実をここに示す」と声を上げ、勝利を掴み取った瞬間——これを“ざまぁ”と言わずして、何と呼べばいいのだろう。



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夜明けに向けて


 舞踏会はその後、さすがに大きな混乱で中断が生じ、再開したころにはもう多くの貴族が「あんな醜聞を見た後では踊る気分になれない」と言って帰っていった。だが、アイシャにしてみれば、これでよかったのかもしれない。今の彼女にとってダンスや華やかな笑い声よりも、「再起への道筋」が拓けたことこそ最大の喜びなのだから。


 その夜、アイシャはエドガーと連れ立って王宮の外に出た。夜風が髪を揺らし、先ほどまでの緊張を洗い流すように心地よい冷たさを運んでくる。

「これから先、どうする? 君は……アルヴァーノ家に戻るのか?」

 エドガーがやや心配そうに尋ねる。確かに、正式な審議や調査が終了するまでの間、アイシャの身の振り方は曖昧だ。王宮が保護を申し出るかもしれないし、実家のルメート侯爵家に帰る選択肢もある。ただ、そのどれを選ぶにも一筋縄ではいかないだろう。

 アイシャは少し考えた末、微笑を浮かべる。

「今すぐレオンとの離婚が成立するかはわからないけれど……わたしは、もうアルヴァーノ家という檻には戻りたくない。もちろん、自分の立場や家同士の契約もあるから、慎重に進めなきゃいけないけど……とりあえず今は“自分の意志で生きる”という感覚を手に入れたいの」

 彼女の瞳には、ここ最近にはなかった自信と活力が宿っている。エドガーはその姿を見て嬉しそうに微笑み、「できる限り手を貸すよ」と静かに誓った。


 見上げれば、夜空には星々が瞬いていた。裏切りに満ちた暗い結婚生活に終止符を打ち、自ら望む生き方を選ぶ——アイシャにとってそれは、初めて見つけた確かな光のように感じられる。これまで味わってきた孤独や屈辱、冷え切った夫婦生活は、一朝一夕で消えるわけではないかもしれない。それでも、舞踏会での“逆転”という瞬間こそが、彼女にとっての新たな一歩となるのだ。



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 こうして、アイシャは華やかな舞踏会の場で、ついにレオンとエリザベスの陰謀を白日の下に晒すことに成功した。衆目の前で暴露された証拠により、レオンは社会的信用を失い、エリザベスは愛人どころか「不正を働いた重罪人」としてのちに追放される運命を辿ることになるだろう。

 その後の詳細な審議や裁定は王宮の管轄下で行われるが、初動を完全に封じられたレオンとエリザベスが今さら証拠を揉み消すのは至難だ。エリザベスの取り巻きたちも、一斉に逃亡や証拠隠滅を試みるかもしれないが、すでに多くの貴族の目撃と王宮騎士の動きがあった以上、無駄なあがきに終わるだろう。

 何より、アイシャ自身が手に入れた複数の書類やメモ——それらを王宮が保管し、しかも“正統な公爵夫人”である彼女の証言まで揃っている。この大きな流れはもう止まらない。


 もちろん、これですべての問題が一気に解決するわけではない。レオンが受ける処罰や、公爵位の継承問題なども浮上するだろうし、アイシャの離婚の行方や実家との関係修復など、懸案は山積している。だが、彼女が一人で涙を呑み続けていたあの暗い日々に比べれば、今は“自分で未来を切り開く”という道を選択できるだけ、はるかに光明があるように感じられる。

 その道のりで誰が真の味方となり、誰が敵に回るのか。それも含めて、新たなステージへと踏み出す覚悟がアイシャの中に芽生えていた。愛されない冷たい結婚から脱却し、誤解と屈辱の人生に終止符を打つための一歩は、こうして華やかな舞踏会の場で鮮烈に刻まれた。かつての「白い結婚」は、もう二度と彼女を縛る檻になり得ない。


 夜の王宮を後にする馬車の中、アイシャはそっと目を閉じる。耳に残るのは、まだ遠くで響く人々のざわめき。だが、今の彼女には、そのざわめきさえも“解放”の証のように思えた。何があっても、自分はもう逃げない。エドガーという支えを得た今、彼女は最後の砦を自ら捨て、堂々と新しい未来へと踏み出したのだ。

 こうして“逆転劇”は成就し、アイシャの人生は大きく舵を切ることになる。嘲笑の渦中で耐えていたあの頃から、真実を明かすまでの険しい道のりを経て、彼女はようやく手に入れた自由を噛みしめる。今宵の舞踏会で起きた一連の出来事を、後に貴族たちは“華麗なるざまぁ”と呼ぶだろう。誰もが囁くだろう——「あの白い結婚の裏には、こんな裏切りがあったのだ」と。しかし、その裏切りを跳ね返したのは、アイシャ自身の強い意志と決断だった。


 そうして夜の闇に揺れる馬車は、沈黙のまま彼女を新たな朝へと運んでいく。赤い夜明けが訪れる頃、アイシャの目には見知らぬ風景が映るかもしれない。だが、もはや恐れる必要はない。彼女は確かな証拠と、支えてくれる仲間を手にしたのだから。次に迎える朝日は、過去の苦しみとは違う温かさをもって、アイシャを照らしてくれるに違いない。――こうして“白い結婚”に囚われていた少女のざまぁ劇は、王宮の舞踏会という最高に皮肉な舞台で幕を開けた。そして同時に、彼女の本当の人生がいま動き出そうとしているのだった。



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