昼過ぎの酒場、昼から呑んだくれている男がひとり。
背を丸めて椅子に座り、テーブルに無造作に置かれた空きジョッキが三つ。腰に双剣を携えたその男――レイスは、目一杯のジョッキ片手にまたしても働かず昼を越えた。
「……あぁぁ、働きたくねぇ……」
愚痴ともアクビともつかない声を漏らしたその瞬間、酒場の扉が開いた。黒髪ポニーテールの少女が一歩踏み込んでくる。整った顔立ちに赤い瞳、大きめの眼鏡が目を引く。
「また飲んでるんですか。三日連続ですよ、レイス」
「えー、今日で三日目だっけ? 感覚狂ってるなぁ、四日目くらいかと思ってた」
「……呆れてものも言えませんね」
少女――ユインは溜め息をつきながら、手に抱えた小袋を机に置く。チャリンと硬貨の音がして、レイスは小袋の中を見る。
「おっ、稼いできたね〜。いいぞいいぞ、我が相棒!」
「差し上げた覚えはないんですけど?」
容赦ないツッコミにレイスは肩をすくめるも、袋の中から硬貨を一枚取り、眺めながら言う。
「んー、今日の晩メシは肉にしようぜ、肉」
「……もう、少しは働いてください。ギルドで指名依頼まで来てるんですから」
ユインの言葉にレイスは一瞬眉をしかめる。
「俺に? まさか、また誰か俺の首でも狙ってんのか?」
「いいえ、指名されたのは私です。護衛依頼。貴族の若息子が、家のしきたりでダンジョンに潜るそうで」
話を聞いて一気にしらけると、グビグビッとジョッキの中身を飲み切る。
「お偉いさんのボンボンか……嫌な香りがプンプンするな。で、断ったんでしょ?」
「もちろんです。私、レイスを置いて出かけるつもりはありませんから」
「わーお、なんて忠義深い!」
「違います。目を離すと、すぐ問題を起こすからです」
と、そこまで言ったところで、酒場の扉が勢いよく開かれる。
入ってきたのは、着飾った少年とその護衛らしき男達数人。歳は十五、六といったところだが、態度だけは一国の王と見紛うほどに尊大だった。
「おい、貴様がユインという冒険者か!」
少年――貴族の息子は、腕を組んだままレイスたちの席に歩み寄り、鼻で笑うように言った。
「ギルドを通じて正式に指名依頼を出したにもかかわらず、なぜ断った? 我がローゼル家の名が聞いて呆れるわ!」
「なるほど、あの依頼主があなたですか。理由は簡単です。私には”他に”守るべき人がいるので」
ユインが静かにそう告げると、少年は一瞬言葉を詰まらせ、すぐにレイスを見下すように睨んだ。
「こいつか? このだらしない男が、その“守るべき人間”だと? はは、冗談は顔だけにしてもらいたいな」
「おう、それ誉めてんのか? 光栄だね〜」
レイスはジョッキをくるくると指先で回しながら、ニヤリと笑う。
その態度に貴族息子は頬を引き攣らせながら話を続ける。
「では、こうしよう。お前ら二人とも私の護衛につけ。ダンジョンを無事攻略し、私が帰還できた暁には――ユインを、私のものにする」
酒場が一瞬、静まり返った。
「……へぇ、なかなか面白ぇこと言うね。いいぜ、乗ってやるよ。ただし、条件がある」
レイスが立ち上がり、ニヤリと笑うと目を細めながら言った。
「ユインも俺も同行するが、俺たちは一切手は出さない。お前が勝手に死のうが構わねぇ。失敗したら――白金貨三枚、払ってもらう。払えなきゃその首をもらう、これは脅しじゃねぇぞ。契約出来なきゃ、他当たんな」
そう言うと手をひらひらと振りあしらう。
「なっ……馬鹿な! そんな金額、あり得ない!」
「七光りのお前じゃ分かんねぇかもしれねぇけどな。ユインには、それだけの価値があるんだよ。理解出来るか? お坊っちゃん」
挑発的なレイスの笑みに、少年の顔が真っ赤になる。
「いいだろう! その条件、受けてやる! 貴様らなどに借りは作らん!」
少年が叫ぶと同時に、酒場の空気が再びざわめき始めた。
かくして、奇妙な条件付きのダンジョン攻略が始まる――。
◆
翌日、郊外のダンジョン前。
レイスは岩に腰掛け、口笛を吹きながら空を眺めていた。ユインは傍らで足を組み、静かに事の成り行きを見守っている。
貴族の息子――エルマーと名乗った少年は、重装備の護衛を数人従えながら、誇らしげに入口に立っていた。
「この程度の洞窟、我らローゼル家の名にかけて必ず制覇してみせよう!」
「へー……がんばれよ、お坊っちゃん」
レイスは片手を軽く上げて応じるが、その目はまったくの無関心だった。
ダンジョンへと入っていくエルマー達を見送った後、レイスはユインに目を向ける。
「さて……何分もつと思う?」
「三十分ですね。最初のトラップで、誰か一人は確実に引っかかります」
少し悩んだあと、なにかを思い付いたようにレイスが口を開く。
「おーっし、賭けるか?」
「結構です。勝っても報酬がないので」
「あ、ユインさん。もしかしてビビってる? ビビっちゃってるんでしょ?」
レイスの顔面にユインの拳がめり込んでから、ちょうど四十分後、入口付近から血相を変えた護衛が一人、駆け戻ってきた。
「た、隊長が! 毒針のトラップで!」
その声を聞いても、レイスは顔色ひとつ変えない。
「ほらな。言わんこっちゃねぇ」
さらに時間が経ち、ひときわ大きな悲鳴がダンジョン内から響いた。
しばらくして、傷だらけの護衛兵の一人が這うようにして出てくる。
「た、頼む……! あんたら、助けてくれ……ッ! 坊ちゃんが……ッ!」
泥にまみれたその男は、レイスの足元にすがりつく。
だが、レイスは顔色一つ変えず、足を引いて避けた。
「契約外だ。悪いな。俺は“助ける”って約束はしてねぇ」
「そ、そんな……っ!」
護衛の男は目を見開き、絶望の声を漏らす。ユインがわずかに眉をひそめたが、口を挟むことはなかった。
それからさらに一時間後、泣きべそをかいたエルマーが、泥と血にまみれて這うように出てきた。
「ひ、卑怯だぞ……助けもせずに……っ!」
「契約は契約だ。俺たちは“護衛”じゃなく、“同行”って言ったはずだろ?」
レイスが淡々とそう言い、人差し指をくいくいっと曲げる。
エルマーは唇を噛みしめ、懐から小袋を取り出すと差し出した。
「くっ……これが……白金貨三枚だ。約束通り、持ってきたぞ……」
「へぇ、本当に出せるとはな。ちょっと見直したぜ」
レイスは袋を受け取ると、その場で中身を確かめ、小さく頷いた。
「上物だ。まさか偽金じゃねぇだろうな?」
「なっ……馬鹿にするな!」
「ならいいさ。じゃあな、お坊っちゃん。頑張ってまた攻略してくれ」
悔しさに顔をしかめ睨みつける視線を背中に受けながら、レイスとユインはその場を後にした。
「ユインさんやい、今日は良い肉が食えるな!」
「……そのうち殺されますよ?」
呆れ気味に言うユインの隣で、レイスは楽しげに笑っていた。
だが、笑顔のまま、ふと真顔に戻る。
「ユイン。こいつは、あの坊っちゃんが、ぽんと出せる額じゃねぇ」
「つまり?」
「背後に、別の金主がいる。……きな臭ぇ。調べるぞ」
レイスの