数日後、夜が更け、人々が眠りにつく頃――街外れの貴族街、その一角にひっそりと佇む屋敷があった。ローゼル家の本邸。
表の門番たちは昼間の警護より緩んでいるが、それでも民家とは比べものにならないほどの人数がいた。
「正面は無理だね。裏から、行こう」
ほどなくして、レイスが背の低い窓の錠を外す。
ユインはすでに片手に小型の魔導灯を持ち、周囲を警戒しながら頷く。それを合図に二人は中へと侵入する。
「警備の配置、思ったより甘いですね。これが貴族の慢心ってやつでしょうか」
「ユインさんも、普段これぐらい警戒ゆるゆるでいいんだよ?」
「……行きましょう」
「あ、はい」
少しの沈黙の後、相手もせず、歩を進めるユインになんだか寂しくなるレイス。
二人は静かに廊下を進む。カーペットの敷かれた床は足音を吸収してくれた。
「書類室は……屋敷の東側だろうね」
「よく知ってますね?」
「昔、こういう屋敷を何件か燃やして回ったことがあってね。だいたい作りは似たようなもんさ」
ユインが肩をすくめつつも、口元にわずかな笑みを浮かべる。レイスの過去は、時折洒落にならないが、それゆえに信頼できる。
しばらくして、二人は目当ての書類室へとたどり着いた。扉は施錠されていたが、ユインの手にかかれば一瞬だった。
「開きました」
「さっすが~、我が相棒!」
部屋の中は、書類棚と鉄製のロッカーで埋め尽くされていた。レイスは懐から手袋を取り出して装着し、棚から書類を引き抜いて読み始めた。
「……これはまた。ローゼル家、どうやら土地の転売と水利事業の横流しをしてたみたいだね~」
「しかも、国庫からの補助金を偽の名義で受け取ってます。こっちは王都の役人とつるんで、架空の農地開発計画まで立ち上げてますね」
「やっぱり真っ黒じゃん。で……これが金の出所か」
レイスが取り出した一枚の報告書には、ある銀行口座とそこに定期的に振り込まれる“補助金”の記録が記載されていた。
「この振込元……王都の第三財務局。けど、直轄じゃない。中継に別の個人名義が挟まってるね」
「レイス、この名義……王宮の人間です。しかも、補佐官クラス」
ユインが呆れたように言うと、レイスの眉がぴくりと動く。
「ほーん、補佐官が? この金額、ただの横流しじゃ済まないねぇ。裏でまとめてる奴がいるよ、きっと」
「現時点では、表に出てきていませんね。でも……王族の関与がないと、ここまでの額は通らない」
その時、扉の向こうでわずかな足音がした。
レイスが無言で指を立てると、ユインも頷いて明かりを落とす。扉の前を警備兵が一人通り過ぎたようだった。しばらくして静寂が戻ると、レイスは再び資料に目を戻した。
「さて、この証拠を握ったってだけじゃ、どうにもならねぇな。これを誰に見せるかが重要だ」
「王女には?」
「……レオノールちゃんかぁ」
レイスは口の中で名前を転がしながら、顎に手を当てて考え込んだ。
「王族が絡んでるなら、あの子も敵かもしれないからねぇ。……けど、第二騎士団がああも必死に守るってことは、案外白か?」
「今の時点では何とも。けど、彼女を見捨てるような動きが他の上層部にあることは事実です」
「確かに……」
レイスは資料を一通り確認し終えると、必要なものだけを懐にしまい込んだ。
「さて、とっとと出ようか。長居は無用ってやつだよ、ユインさん」
「了解」
二人は再び闇に紛れ、屋敷を後にした。
夜風が頬を撫で、冷たい空気が二人の肌を刺す。
だが、レイスの目には、別の鋭さが宿っていた。
(この件、まだまだ裏がありそうだ。あのお坊っちゃんはただの駒にすぎねぇ。……本当の黒幕は、別にいる)
街の灯りの向こう、王都の影が静かに蠢いていた。