私達を囲む空気の壁の外側に、天にも届くような火柱が立つ。これは以前魔法学院で見たエイブリーの魔法だ。でも、大きさがあの時とは比較にならない。
「氷は火で溶かせばいいんだろ。お前の一番得意な魔法であのデカ犬を灰にしてやれ」
フェンリルの冷気を炎の渦で打ち消したエイブリーが、涼しい顔をして私に指図してきた。寝巻きのくせに。
一番得意な魔法って、たぶんあれだよね。今にして思えば、あの時イメージしたのは分子が分解される様子のつもりだったけど、そうじゃなかった。
物質の最小構成要素は原子だ。その核となる部分は陽子と中性子という、小さな粒がいくつかくっついてできていて、その周りを電子がぐるぐる回っている。小さい粒が分解されるというのは、つまりその原子核が分裂して質量の小さい別の原子に変化すること。
――すなわち、核分裂。
これらも、さっきの絶対零度と一緒に思い出した知識だ。一度知ったことは忘れたとしても脳から消え去ったりはしないという精霊の言葉が、私の脳に魂経由で刻み込まれた前世の記憶を呼び覚ました。
ただ一つ問題がある。あのフェンリルは神の影が実体を持ったものだという。つまり、あの巨体を構成するのがいったい何なのかが分からない。物質ですらないかもしれない。これでは核分裂のイメージが湧かない。
「そうは言っても、燃やすものが……」
「なんだよ、薪でも燃やすのか? そこらに家の残骸がゴロゴロしてるだろ」
そうか、フェンリルを爆発させなくても、核爆発に巻き込めばいいんだ。あっでも、それだと私達や住民もみんな巻き込んで焼き尽くしちゃう。どうすれば……いや、そういえばあの時……そうか!
「みんな、フェンリルの周りを空気の壁で囲んで!」
私の意図を、今度は全員が即座に理解したみたい。すぐにフェンリルを囲むように、隙間なく半透明の壁を作り出した。半透明なのは、壁があることを視認できるようにという心遣いだ。助かる!
すぐにイメージを思い浮かべる。あの時よりもずっと具体的に、原子核がバラバラになる様子をフェンリルの足元にある瓦礫に向けて。
「瓦礫を構成する原子達よ、その中核をなす陽子と中性子よ、結合の手を離し溢れる力を解き放て!」
火柱、というより光の柱が夜空に向かって伸びていく。フェンリルを囲んでいる空気の壁は爆発の衝撃を真っ向から受け止めるほどの強度を持ち合わせていないが、空という力の逃げ場があるために持ちこたえられた。そのぶん上昇の威力は凄まじく、フェンリルの身体は粉々になりながら上空へと吹き飛ばされていった。
「やったわね、クラリーヌ!」
「うん、やっと魔法の使い方が分かってきたみたい」
「なにがやっとだ、バケモノみたいな魔力を使いやがって」
「バケモノではありません。神様です」
やかましいわ。
『ケケケ、バケモノでも神でもないよ』
「誰っ!?」
勝利の余韻に浸る間もなく、不気味な声が辺りに響いた。声の主を探して周囲を見回したけど、どこにもそれらしい姿は見えない。
『おお、怖い。怒らないでくださいよ魔王様』
は? 何を言い出すの、この変な声は。
「誰が魔王よ!」
『貴女以外に誰がいるんですか。魔術を極めた者を魔王と呼ぶのです。貴女は核の魔術を極めました。今ここに核の魔王クラリーヌが誕生したのです』
「核の……魔王?」
「ど、どうしたのクラリーヌ?」
「魔王魔王って、いきなり誰と話してるんだ?」
「えっ、みんなには聞こえないの?」
アメリアとエイブリーが変な目で見てくる。どうやらこの不気味な声は私にしか聞こえていないらしい。なおアルスは元から変な目でしか見てこない。
『そりゃあ、資格のある者にしかアタシの声は聞こえませんからね。魔王になった証拠ですよ、魔王クラリーヌ様』
魔王をゴリ押ししてくるこの声はいったい何なの? どんどん望まない肩書が増えていくんだけど。
「それで、話しかけてくるあなたは何者なの?」
さり気なく誰かから話しかけられていることを周りにアピールしつつ、こいつの正体を尋ねる。
『アタシは
「そんな道いらない! 返品できないの?」
『いやー、それは無理な相談ですね。ところでさっきの核爆発でいくらか放射線がばら撒かれたので、周辺の人間は全員被曝してますよ』
「ひ、被曝!? どどどど、どうしたらいいの」
放射線って、そういえば核分裂ってヤバいやつじゃないの! 何も考えずに使っちゃったよ!
『そんなにビビるほどの害はないですよ。安定物質の原子核を無理やり分裂させたから不安定化していくらか連鎖反応が起こりましたけど、健康に影響が出たら治癒魔法で治せばいいんじゃないですかね』
そうだった、治癒魔法があるから大丈夫なのか。いやでも、即死したら意味ないよね。
「何? 何の話をしてるの?」
アメリアが不安そうに聞いてくる。私が狼狽したからみんなを不安にさせてしまった。
「あ、ごめんね。ちょっと謎の声と話してるんだけど、内容は後で教えるから」
「謎の声ってなんだよ」
「謎の声は謎の声だよ。私にもよくわからないよ!」
さすがに自分が魔王になったとは言えない。どうしたもんか。なによりパンデモニウムの目的が分からない。
『アタシの夢は全ての魔王をこの
ポッじゃねーよ! なんだか知らないけどキモいキモすぎる。……いや、待てよ?
「もしかして、全部の魔王がそこにいるの?」
『全部ではないですが、多くの魔王様を迎え入れております』
どこにいるかわからない魔王の居場所がこんなことで判明するとは。でもまとめて来られたら困るか。
「……で、私はどうしたらいいの?」
一応、魔王として生きる道とやらを聞いておこう。情報はあればあるほどいいし。魔王として生きるつもりはないけど。
『そうですね、まずは魔王ギルドに行って魔王登録しましょう』
なにその冒険者ギルドみたいなやつ。いきなりおかしい方向に進み出したな。
『冗談です』
冗談かよ。面白くないよその冗談。
『魔王様は基本的に自由に生きていただいて、たまにアタシの中に集まって勉強会などを開く感じで』
「テキトーすぎる!」
魔王の勉強会ってなんなの、人類の苦しめ方とか勉強するの?
『魔王は魔術を極めた者だって言ってるでしょう。それぞれに知り得た魔法の使い方、すなわちこの世界の真理に繋がる知識を教えあうんですよ』
な、なんだってー!? めっちゃ魅力的!
そもそも魔王を倒す意義を感じてなかったし、もう勇者返上して魔王ライフしちゃう?