マリアンヌはあの戦争以降、“生を司る能力”を使わなかったものの、いつまでも若く美しいことから聖女の称号を得たままだった。
そのうちマリアンヌが皇子の一人と結婚したと、風の噂で聞いた。
一方で俺は森に幻惑魔法を掛け、城を建てて住居を安定させ、魔法の研究を行なっていた。
マリアンヌが結婚して子どもを産んでも、俺は変わらず森にこもって魔法の研究を続けていた。
俺とマリアンヌはあの戦争での一件以来、完全に別々の道を歩んでいた。
だからマリアンヌの突然の訪問に俺は面食らった。
「久しぶりね、シリウス」
「マリアンヌ!? どうして森に!?」
「ここへ来られなくなる前に、あなたに会っておきたくて」
連絡も無しにいきなり森に現れたマリアンヌを城内へと案内し、初めて使う来客用のティーカップに紅茶を淹れた。
「すごいお城を建てたのね」
「君の住む城ほどじゃないさ」
マリアンヌは俺の皮肉に、困ったように眉を下げた。
「まだ戦争に手を貸したことを怒っているのね」
「もう何十年も前のことだ。怒ってなどいない。あの後、俺は散々な目にあったが、怒ってなどいない」
「怒っているじゃない」
こうして誰かと気軽な会話をするのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。
マリアンヌを見てつい軽口を叩いたが、本当に俺は怒ってなどいなかった。
怒りという感情すら忘れるほどに長い年月を、俺はこの城で、一人で過ごしていたのだ。
「それで、今日はどうしてここに? 理由があって来たんだろう」
「ええ。あなたと仲直りがしておきたくて」
そう言って立ち上がったマリアンヌは、深々と頭を下げた。
「勝手に戦争に手を貸してごめんなさい。人間同士の争いに冥界の住人は手を貸してはいけないというあなたの意見が、今なら分かるわ」
「……終わったことだよ。それに俺は、マリアンヌに謝ってほしいとも思っていない」
その上、必ずしも俺の考えが正しかったとも思っていない。
実際、マリアンヌの活躍のおかげで救われた命は多い。
あのまま戦争が長引いていれば、戦地が広がって行き、民間人も多くの被害を受けていたことだろう。
「シリウスと気まずいまま別れてしまって、仲直りをする機会も無くて……いいえ。私に意気地が無くて謝りに行けなかったの。私のせいでシリウスが酷い目にあっていたと知ってからは、なおさら」
顔を合わせ辛いのは、その通りだろう。
“生を司る能力”を授かったマリアンヌは『聖女』と崇められ愛され、“死を司る能力”を授かった俺は町を追われた嫌われ者の『死神』だ。
あまりにも状況が違い過ぎる。
「だけど人間になったらすぐに年をとって足腰が弱くなるらしいから、この森に来ることも出来なくなると思ったの。森に掛けられた幻惑魔法を無力化する魔法も使えなくなるかもしれないし。だからその前に、仲直りが出来なかったとしても、せめて謝罪だけはしなきゃと思って」
「…………は?」
「だから、せめて謝罪だけは」
「そこじゃなくて! 人間になる!? マリアンヌ、何を言っているんだ!?」
俺はマリアンヌの言葉の真意が分からなかった。
だって俺は、人間になることなんかこれまで一度も考えたことがなかったから。
マリアンヌの言葉は、完全に俺の思考の範囲外だった。
「人間になりたいのよ、私」
またしても俺にはマリアンヌの言葉が理解できなかった。
人間になりたい?
マリアンヌが人間を好きなことは知っていたが、それとこれとは話が別だ。
まるで理解が及ばない。
「冥界の住人が人間をモデルにして創られたことは、シリウスも知っているわよね?」
マリアンヌの言う通り、俺たち冥界の住人は地上で暮らす人間をモデルにして創られたと、俺も冥界にいた頃に聞かされた。
冥界にいたため寿命の概念が無かったが、身体の造りは人間と同一にしたらしい。
理由は、地上で暮らす生物の中で、一番冥界での仕事を行なうのに適していたからだそうだ。
実際その通りで、器用に動く指や動物の中でも上位の頭脳は、仕事にとても役立った。
「私たちは人間とほぼ同じなのよ。人間とは違って、冥界と繋がっている限り不老不死だし、創造主の趣味なのか完璧な見た目ではあるけれど。でも逆を言えば、それ以外はすべて同じ。だから私たちが人間を愛するのは、おかしな話じゃないのよ」
マリアンヌは目尻を下げて朗らかに微笑んだ。
その微笑みは、どこまでも優しくすべてを包み込む寛大さを感じさせた。
「私、人間と恋をして子どもを産んだの」
「風の噂で聞いたよ」
「私ね、愛する人と同じ生物として生きたいの。同じ生物として死にたいの」
「…………俺には理解ができない」
「愛を知れば、きっと分かるわ」
目の前の女は、本当に俺の知っているマリアンヌだろうか。
冥界の住人とは、昔のマリアンヌとは、考え方が違いすぎる。
「娘にも人間でいてほしいのだけど、他に適任者がいなくて……娘自身も承諾してくれたから、“生を司る能力”は娘に譲渡しようと思うの」
茫然としている俺を置いて、マリアンヌの話はどんどん先へと進んでいく。
「娘は、親の私が言うのもあれだけど、とても賢い子よ。それに誠実なの。私を人間にするために、私の仕事と不老不死を受け継いでくれる親孝行娘でもあるわ。きっとあの子なら、“生を司る能力”を上手く使ってくれるわ」
そして肩の荷が下りたように晴れ晴れとした顔で、マリアンヌは笑った。
「シリウス。唯一無二で永久不変の星の名を持つあなた。私がいなくなっても、どうか幸せに」
マリアンヌは紅茶を飲み干すと、席を立った。
そして去り際に、今日一番の真剣な顔をした。
「最後に。お節介だけど一つ助言をさせてちょうだい。これからも冥界の住人として仕事を続けていくつもりなら……人間に近付きすぎてはいけないわ。一線を引いて、人間とは別の存在として生きて。そうじゃないと、私みたいにダメになっちゃうから」
それだけ言うと、マリアンヌは森を出て行き、俺たちは二度と会うことはなかった。
その日から。
俺は……余は、暗い夜空に現れる“絶対の死神”となった。