「それにしても。シリウス様は頑張って今の喋り方を研究したんですね」
「別にそんなことは」
「だって今のシリウス様、絶対に無理して喋ってますもん。人間と一線を引くために、人外っぽい喋り方を研究したんですよね?」
「なぜそれを」
シリウス様は嘘が吐けないのだろうか。
こんな風に不器用だから酷い目に遭うし、私にも惚れられてしまうのだ。
「喋り方で威厳を出そうとするなんて、シリウス様は昔から愛らしいんですね」
「そなたは余を馬鹿にしているのか?」
「まさか。シリウス様の愛らしさにキュンキュンしていたところです。毎日一人で喋り方を練習してたんですよね!」
「そんなことは、その……そんなにはしていない」
初恋の女に言われた通りに、鏡に向かって威厳のある喋り方の練習をする厄介な男。
可愛いんだか可愛くないんだか。
対して、マリアンヌへの嫉妬で暴れたくなるのに、マリアンヌにはシリウス様の可愛い面を引き出してくれたことに感謝もしたくなる、厄介な私。
厄介者同士でお似合いすぎて泣けてくる。
「それにしてもマリアンヌ、一つだけ良い情報を残してくれましたね。その点だけは褒めてやってもいいです」
「そなたはどの立場からものを言っているのだ」
「シリウス様の恋人候補の立場からです。そして良い情報とは、冥界の住人と人間の間に子どもが出来るということです!」
冥界の住人は人間をモデルにして創られたらしいから、生殖機能も人間と同じなのだろう。
とはいえ先程の話だけでは確信には至れない。
「ですが、マリアンヌの娘は実子ではなく養子や妾の子だった可能性もあります。本当に冥界の住人と人間の間に子どもが出来るか、気にはなりませんか?」
「いや別に」
「気にしましょうよ! そして私と事実を確かめませんか!?」
私がしなを作りながらウインクをすると、シリウス様は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そなたは適切な順序を踏もうとしない上に、やることが極端すぎる。この際だから言うが、余の寝室に定期的に下着姿で現れるのはやめてほしい」
そう、シリウス様に本格的に惚れてからというもの、私はシリウス様を誘惑しようと夜な夜なシリウス様の寝室に潜り込んでいたのだ。
残念ながら相手にされたことは、今のところないが。
「もしかしてシリウス様は、自分の手で脱がせたいタイプですか? 気付かなくてごめんなさい!」
「余がそういう意味で言っているわけではないことくらい分かるだろう?」
シリウス様はわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「同じ幼児でも、マリアンヌの娘は賢く誠実で聞き分けの良い子どもだったのに。どうしてそなたはこうなのだ」
「他人と比べる教育はよくないんですよ。というか、マリアンヌの娘と比べないでください。腹立たしいです」
何が悲しくて恋敵の娘と比べられなければならないのだ。
忠犬のようにマリアンヌマリアンヌと言い続けるシリウス様が、いっそ憎らしくなってきた。
可愛さ余って何とやらだ。
「今思い出しても、マリアンヌの娘は実に上手に聖女をこなしてくれた」
「……まさか、その娘に惚れたなんて言いませんよね?」
「マリアンヌの娘をそんな目で見るわけがなかろう」
「本当ですか?」
「余は今も昔も、幼児に興味は無い」
それならまあ、いいか。
シリウス様の言う幼児が人間の感覚での幼児を差すわけではないことは分かっているが、シリウス様が興味が無いと言い切るなら本当に興味が無いのだろう。
シリウス様は嘘の吐けない人だから。
「とにかく、マリアンヌの娘は立派に仕事をやり遂げた。マリアンヌの娘は」
「含みのある言い方ですね」
「必ずしも、優秀な親から優秀な子どもが生まれるとは限らん」
察してしまった。
なぜならクランドル家でも同じようなことが起こっていた。
侯爵は優秀なのに、その息子のジャン・クランドルは乱暴だけが取り柄の男だった。
長く一緒に生活していたのに、彼が褒められている現場を私は見たことがない。
「マリアンヌの娘は長年、聖女として働いていた。必要であれば“生を司る能力”を使っていたが、それも必要最小限にとどめていた。その彼女もやがて仕事を引退し、自身の娘に聖女の役割を引き継いだ」
「引退したのはいつ頃のことですか?」
「つい数十年前だ。それまで三百年ほど務めていた」
数十年前のことを、ついこの間、のニュアンスで言われても……。
まだ十八年しか生きていない私には理解の出来ない感覚だ。
でも数十年前からマリアンヌの孫が聖女になったことは理解した。
「……あれ。いつの間にか“生を司る能力”の持ち主が『聖女』という認識になったんですね」
マリアンヌは聖女ではなく、シリウス様と同じ冥界の住人だ。
戦争で大活躍をしたから周りが聖女と呼んだだけで、別に本物の聖女ではない。
「冥界の住人の説明をするのは大変だからな。聖女の一言で不思議な力を納得してもらえるなら、その方が良いと判断したのだろう」
「本物の聖女は形無しですね」
「だろうな。しかし、本物の聖女が名乗り出ることはなかった。戦争で大勢の兵士を蘇らせた功績を持つ、何百年経っても姿の変わらぬマリアンヌに匹敵するほどの力の持ち主ではなかったのだろう」
本物の聖女は、聖女だとしても、人間である限り不老不死ではないだろう。
その一点で、マリアンヌの神秘性に勝てる人間はいない。
マリアンヌの一族が聖女と呼ばれるのは、当然の成り行きなのかもしれない。
「話を戻す。マリアンヌの孫が数十年前に“生を司る能力”を受け継いだ。名をシャーロットと言うのだが、彼女が曲者だった」
シャーロット。
やっとその名前が出てきた。
本にはいくつもの伝説を残す優秀な聖女と書かれていたが、どうやらシリウス様の認識では曲者らしい。
「マリアンヌの娘、シャーロットの母が生きている頃はまだ良かったが、亡くなってからのシャーロットはやりたい放題だ。シャーロットは自己の承認欲求を満たすためだけに、“生を司る能力”を乱用している」
「どうしてそんなことに……」
「シャーロットは、死者を蘇らせた際に受ける称賛の虜になってしまったのだ。称賛を得るためだけに、人助けと称して頻繁に死者を蘇らせている。魂の数の調整などお構いなしだ」
マリアンヌの頃は戦争中だったからある程度は仕方のない面もあったが、帝国が平和な今、“生を司る能力”を頻繁に使っているとなると、話は変わってくる。
今の平和な世は、シリウス様と……認めたくないけどマリアンヌが苦労して手に入れたものだ。
それなのに、シャーロットが自分勝手に死者を蘇らせてしまっては、天変地異が起こりかねない。
自己の承認欲求を満たすためだけに、彼らが死に物狂いで手に入れた平和な世を、他者を、危険に晒すなんて、あまりにも傲慢だ。
「現聖女のシャーロット様……愚かなシャーロットが頻繁に死者を蘇らせている。まさか、その尻拭いでまたシリウス様が“死を司る能力”を使っているのですか?」
またハズレくじを引いているのでは、と心配したが、これにシリウス様はゆっくりと首を振った。
「昔であったらそうしたかもしれない。しかし余の考えは変わった。今はこう思うのだ。冥界の権能を使用して人間の生死を操作してしまっては、余はシャーロットと同じことをしているのではないか、と」
「でも死ぬ予定の人が生き返りすぎたら、天変地異が起こってしまうんですよね?」
シリウス様は、静かに頷いた。
その表情は、どんよりと曇っているように見えた。
「その通りだ。だから余は、人間に人間を殺させることにした」