「何をやってるんですか!?」
あまりにも躊躇の無い行動だった。
それゆえに止める暇さえなかった。
剣は完全にシリウス様の胸を貫通し、背中側から切先が突き出ている。
ぽたりぽたり、シリウス様の胸から溢れ出た真っ赤な血が、剣を伝って床に落ちていく。
「早く治療を!」
「こんなときこそ聖力……でも心臓を一突きでは……」
反射的に椅子から立ち上がったイザベラお姉様とアンドリューさんが、シリウス様に駆け寄ろうとした。
「問題ない」
シリウス様は手を伸ばして二人を止めると、胸に刺さっていた剣を抜いた。
剣とともに舞った血飛沫がさらに床を赤く染めていく。
あまりの光景にイザベラお姉様が叫んだが、当のシリウス様は平然としながら商品棚を漁って血を拭う布を探していた。
「そんな馬鹿な」
「百の剣ですら、余を殺すことは出来ない」
「でも傷が……血もこんなに……」
「千の矢も、万の毒も、余の前では意味を成さない」
にわかには信じられない光景だが、シリウス様は剣で心臓を貫いても平然としている。
平然と、まるで痛くもないように。
「どうだろうか。これで余が人間ではないと、分かってもらえただろうか」
「バカーーーーー!!」
私は力いっぱいシリウス様に飛びついた。
「待て。触るとそなたに血がついてしまう」
「どうでもいいですよ、そんなこと! もっと他に気にすることがあるでしょう!?」
私の叫びを聞いたシリウス様は……首を傾げた。
「どうして怒っている?」
「どうして、じゃないですよ! なんてことをするんですか!」
シリウス様は片手で私の背中をさすりつつ、反対の手で懐から杖を取り出し、胸の傷を治した。
おかげで次から次へと溢れ出る血は止まったが、一度溢れた血は消えることなくシャツにも床にも残っていた。
「今のは、余が人間ではないことを証明しようと思っての行動だ」
「だからって、自分を刺す必要はないじゃないですか!」
「心臓を貫いても死なないことを証明するのが一番早い」
「もっと他にも方法があったはずです! 他の方法がいくらでも……それなのに、どうして……」
相変わらずシリウス様は、意味が分からないと言いたげだった。
先程よりもさらに首を傾けている。
「どうしてそなたは怒っているのだ? 怪我をしたのは、そなたではないであろう?」
「シリウス様は、自分を大事にすることを覚えるべきです」
「自分を傷付けてはいけない」という、生きる上で基本的なことが、こんなにも伝わらないなんて。
シリウス様は、私よりもずっと長生きしているはずなのに。
「冥界でも、地上でも、いつもいつも自分を犠牲にして、それなのに自分を犠牲にしている認識すらない」
私は傷の治ったシリウス様の胸板を思いっきり叩いた。
シリウス様の血が止まった代わりに、私の目からは次から次へと涙が零れてくる。
「いい加減にしてください!」
「……すまない。そなたを泣かせるつもりはなかった」
そう言ったシリウス様は、私が怒っている理由を理解してはいないものの、申し訳なさそうな顔をした。
ああ、この人は……愛されたことが無いのだ。
きっと、自分を犠牲にするな、と言われたことが無い。
だから自分を蔑ろにすることが、自分を愛する人をも傷付けることを知らない。
……それはなんて、悲しいことなのだろう。
「シリウス様自身だって、死ななくても、傷を負えば痛いでしょう?」
「まあ少しは?」
「そうですか。少ししか……痛まなくなってしまったんですね……」
少しだけでも痛むということは、シリウス様にも痛覚はある。
それなのに……少ししか、痛まない。
少ししか、痛みを感じられなくなってしまった。
「こんなことをしたら、傷も、心も、痛むものなんです。本当はもっとずっと」
私は自分の胸に手を当てた。
「私はとても痛いです。シリウス様にこんなことをさせてしまった事実が、私の胸を貫いているようです」
「そなたが、痛い……?」
「シリウス様が自分を蔑ろにするからです。愛する人が自分を蔑ろにしていたら、その人を愛する者の心は痛むものなんです」
シリウス様にとって、私の言葉は完全に予想外だったのだろう。
目を見開いて動揺している。
「余の、せいで……?」
私はひとつ頷くと、シリウス様の瞳を真正面から見つめた。
「これまで誰も言わなかったのなら、私が言います。自分を蔑ろにすることは、世界を蔑ろにすることです。どんな困難と向き合おうとも、自分だけは蔑ろにしてはいけません」
これは生きていく上でとても大切なこと。
必ずしも自己犠牲が悪いとは言わないが、少なくとも私の価値観では立派な『悪』だ。
世界を、自分の愛する人を、大切にしたいなら。
まずは自分自身を大切にしなければいけない。
「シリウス様。あなたはとても価値のある人です。魔法が使えるからではありません。寿命が無いからではありません。あなたがあなたであるだけで、それだけで価値があるのです」
すべての命は、そこにあるだけで価値がある。
シリウス様の命も、私の命も。
「自分を犠牲にしすぎて、痛みを忘れてしまったと言うなら……私が付き合います。シリウス様が痛みを思い出すまで。自分を大切に出来るようになる日まで」
シリウス様は、言葉を忘れてしまったかのように黙ったままだった。
それでも、私の気持ちは伝わったと思う。ほんの少しだけかもしれないが……。
それならそれで、何度でも伝えればいい。
伝わるまで、何百回でも、何千回でも、何万回でも。
「イザベラお姉様」
私たちのやりとりに口を挟んではいけないと思ったのか、その場に黙って立っていたイザベラお姉様に声をかける
「シリウス様のお願いを承諾しろとは言いません。あれはリスクの高い行動です。ですが、どうか、この場で拒絶だけはしないでください。今、答えを出す必要はありません。一度持ち帰ってください。お願いします」
私は頭を深く下げた。
この場で承諾まではしてくれなくてもいい。
でもせめて、ゆっくり検討してほしい。
その結果がどうであろうと、よく考えることだけはしてほしい。
「……この件は、一度持ち帰って検討させてもらうわ」
イザベラお姉様は、私のお願いを飲んでくれた。
「でも良い返事は期待しないでね……ごめんね、クレア」
しかしイザベラお姉様は、最後にそう付け加えた。