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第77話 あたしに出来ること


 あたしはあの後、とてもデートをする気分ではなくなってしまい、今日は早々に帰宅することになった。

 楽しみにしていたアンディーとのデートだったから不本意だけれど、仕方がない。

 先程の話は、あまりにも衝撃が強すぎたから。


 冥界の住人の話に、シャーロット様が偽物の聖女だという話に、あたしが本物の聖女だという話。

 そして、極めつけにあのシリウスという男が心臓を貫かれても死なないということを、実証を見せつつ告げられた。


「大丈夫か、イザベラ。目の前であんなものを見せられて。トラウマになってないか?」


「平気よ。だってあの人は何事もなかったかのようにしていたんだもの。現実感が無さすぎて夢でも見ているみたいだったわ」


「それならいいけど」


 もちろん剣で心臓を貫くという行為は衝撃的だったけれど、あたしはそれよりも別のことに衝撃を受けていた。


「クレアがあんなことを言えるなんて……」


 自分を蔑ろにすることは世界を蔑ろにすること。

 そして自分を大切に思ってくれる人を傷付ける行為。


 思い返すと、四年前までクレアは侯爵家でぞんざいな扱いを受けていたけれど、決して捨て鉢にはならなかった。

 その扱いの中で、幸せを掴もうと足掻いていた。


 あたしにはきっと、クレアのようなことは出来ない。

 あたしがクレアと同じ立場だったら、王子様が現状から助け出してくれることを願うだけの悲劇のお姫様になっていたと思う。

 王子様が助けてくれるまで「可哀想なあたし」を甘んじて受け入れていたはずだ。


「それはクレアの言葉で言うところの、自分を蔑ろにすること、なのかもしれないわね」


 クレアの生き方に憧れて、言動だけを真似してみても、それはただの模倣に過ぎなかった。

 あたしは決してクレアのようには生きられないのだ。


「あーあ。クレアが聖女だったらよかったのに」


 もしそうなら、話はずっと簡単だった。

 うじうじしてばかりのあたしなんかよりも、あの子の方が……。


「イザベラ、こっちへ」


「えっ」


 あたしが考え事をしていると、突然アンディーに強く腕を引かれた。

 そのまま店の軒下まで連れて行かれる。


「帰ることにして正解だったかもな」


「あ、雨……」


 軒下に移動してから、あたしはやっと雨が降り始めたことに気付いた。

 雨はすぐに強い勢いに変わった。


「雨宿りをしていたら止むかしら」


「いや、この勢いの雨では動けなくなる可能性がある。濡れるのを覚悟で、今のうちに移動した方がいいだろう」


 あたしたちは、なるべく軒下を歩きつつ、帰路を急いだ。

 結果として、ドレスは濡れてしまったものの、屋敷に帰ることが出来た。

 あの後も雨は弱まることなく降り続いたため、アンディーの判断は正しかったと言える。

 もし雨宿りをしていたら、今頃あたしたちは家に帰ることも出来ず、町で困り果てていたはずだ。



   *   *   *



 雨は少しも弱まることなく、翌日も翌々日も降り続いた。

 この土地で二十年生きてきたけれど、こんな大雨は初めてだった。


 大雨のせいで川は氾濫し、土砂は崩れ、多くの被害が出てしまった。

 それにこれから判明する被害はまだまだあるはずだ。


 幸いにも、アンディーもあたしも、あたしたちの家族も無事だったけれど、町の警備隊員であるアンディーはたくさんの遺体を目にしたらしい。

 たった二日で、アンディーは目に見えてやつれてしまった。

 身体的な疲労もあるだろうけれど、それよりも心が疲れているように見えた。


 もちろん町がこんな状態で、警備隊員のアンディーに休みがあるはずもない。

 あたしは偶然仕事をしているアンディーを見つけ、お互いが無事であることを伝え合った。

 しかし数言言葉を交わしただけで、すぐにアンディーは仕事に戻ってしまった。


「励ましの言葉をかける暇すらなかったわ。アンディーがあんなにやつれていたのに」


 あたしの言葉で現状が良くなるとも思えなかったけれど、少しでもアンディーを元気にしたかった。

 あたしに出来ることはそれくらいだったから。


「あたしには他に出来ることが何もないわ…………いいえ、本当に?」


 口に出してから、あることが頭をよぎった。


 この大雨が「魂の調整」によるものだったとしたら、あたしには出来ることがある。

 あたしにしか出来ないことがある。


 もしこれが、シャーロット様が力を乱用したせいで起こったことなのだとしたら、誰かが彼女を止めなくてはいけない。

 より大きな「魂の調整」を起こさせないために。これ以上犠牲者を出さないために。


「シャーロット様を止められるのは…………あたししか、いない?」


 他に誰が止めるというのだろう。

 民衆はシャーロット様を本物の聖女だと信じ切っている。

 あたしだってそうだった。

 きっと誰も、大雨の原因がシャーロット様だなんて考えもしないはずだ。


 きっと本物の聖女であるあたしにしか、シャーロット様の暴走は止められない。

 だけどそれはリスクの高い方法で、失敗する可能性が高くて。


「……失敗するのが怖いから、多くの人の命を見捨てるの?」


 でも、怖い。

 誰だって石を投げられるのは怖い。

 誰だって処刑は怖い。死にたくない。


 こんなの、どうすればいいのよ……。




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