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第81話 パンをつくろう


 暇を持て余した私が何の気なしにキッチンへ行くと、リアが一所懸命に何かを作っていた。


「何をしてるんですか?」


「パン作りなのです」


 近付いてリアの作業を覗き込みつつ私が尋ねると、リアはにっこり笑いながら教えてくれた。

 振り向いたリアの顔は小麦粉だらけで、リアがパン作りに慣れていないことがすぐに分かった。


「城の料理はシリウス様が作っているはずですが、どうしてリアがパンを?」


「趣味なのです」


 またしてもリアはにっこりと微笑みながら答えてくれた。

 どうやらパン作りが相当お気に召しているようだ。


「良い趣味ですね。お料理が趣味というのは、こう、ポイントが高いです」


「えへへ。都合が良いことにお城にはパン焼き窯があるので、作りたい放題なのです」


 それは都合が良い……あれ。

 シリウス様は料理を魔法で作っているから、パン焼き窯など必要ないはずなのに、何故そんなものが城にあるのだろう。


 私が不思議そうにしていると、これまた上機嫌のリアがすぐに答えを教えてくれた。


「シリウス様は一時期、魔法を使わない料理作りにハマっていたらしいのです。リアが生まれた頃には、魔法の方が早くて簡単だということで、すべて魔法で作っていましたが」


 シリウス様にそんな過去があったなんて。

 シリウス様が一所懸命にこねて作ったパン、食べてみたい……!

 でも。


「やらなくなったということは、魔法を使わない料理作りに飽きたんでしょうね。シリウス様は凝り性ですが飽きたら見向きもしなくなりますから……もうシリウス様が魔法を使わないで作ったパンは、きっと生み出されないんでしょうね」


 悔しい。一度くらい食べてみたかった。


「そうだ、クレア様も一緒にパンを作りませんか? 気分転換にもなりますよ」


 私が地団駄を踏んでいると、リアがパン生地を両手に持って提案してくれた。

 すぐに私は手を洗い、パン作りに参加することを決めた。



   *   *   *



 そういえばリアとこうしてゆっくりお喋りをするのはいつぶりだろう、と私がしみじみしていると、リアもそう思ったのか、私たちは自然と雑談モードに入った。


 最近の大雨のこと。

 雨が止むと稀に虹が出ること。

 虹のふもとには宝物があること。


 私たちはそんな、雑談らしい雑談をした。

 だからふいに挟みこまれたリアの予想外の発言に、すぐに対応することが出来なかった。


「クレア様にだけ言いますが、リアはシャーロット様の気持ちが分かるような気がするのです」


「へえ…………えっ!?」


 危うく取り落としそうになったパン生地を、慌てて手の中に収める。


「ですが、もちろん賛同するわけではありません。シャーロット様は悪いことをしています」


「そう、ですよね……?」


 私が困惑丸出しの相槌を打つと、リアは深呼吸をしてから昔語りを始めた。


「リアは、クレア様がお城に来るまで、お城で過ごすことが苦手でした」


 何と返せばいいのか分からず、私はただ黙ってパン生地をこねつつ話の続きを待った。


「だから町での仕事があると聞くと、リアはすぐに志願していました。お城にいるのが辛かったのです」


「……どうしてか、聞いてもいいですか?」


 私の目には、リアは家族関係も、使用人同士の関係も、良好に見える。

 城での仕事だって、こう言ってはあれだが、サボったところで怒られるわけでもない。

 環境的には最高に思えるのだが、それでも城にいたくない理由とは何だろう。


「リアは、自分がお城にいる価値を見出せなかったのです」


 ぽつりとそんなことを呟いたリアは、しかし晴れ晴れとした顔をしていた。


「マリー姉さんは砕けたお喋りが得意で、人間の世界で言う『スナックのママ』みたいと言うのでしょうか。使用人たちの愚痴を聞いたり、相談に乗ったりすることが得意でした」


 確かにマリーさんは、仕事終わりに他の使用人たちと駄弁っていることが多い。

 使用人……とくにピーターが、泣きながらマリーさんに愚痴を言っている姿を何度か見たことがある。

 一度会話内容が聞こえてしまったことがあるが、そのときは農作物が虫にやられたという話を永遠と愚痴っていた。


「アンは可愛らしく愛想を振りまくことが得意で、仕事で疲れた使用人たちを笑顔にしていました。きっと人間で言う『アイドル』のような存在なのでしょう」


 アイドル、きっとその通りだ。

 狼の使用人が数人で『アンちゃんファンクラブ』なるものを作っていると聞いたことがある。

 過去にはダンスパーティーのキングになった賞品として、アンちゃんファンクラブ専用Tシャツをシリウス様に作ってもらったこともあるらしい。


「ですがリアには、輝かしい姉妹たちとは違って、何もありませんでした。自分の良いところを見つけられないリアは、お城にいていい存在ではないのかもしれないと、常日頃思っていました」


 私がどうでもいいことを思い出しているうちに、リアの話は進んでいく。


「そのことにシリウス様が気付いていたかは分かりませんが……たぶん気付いてはいなかったと思いますが、リアをクレア様のお世話係に任命してくれました」


 突然自分の名前が呼ばれたことに驚き、またパン生地を取り落としそうになってしまった。


「リアは、『クレア様のお世話係としてこのお城にいてもいいんだよ』と言われたような気がしました」


 ここまで話すと、リアは音を立てながらパン生地を力いっぱいこねた。

 私も真似をしてパン生地をこねる。


「シャーロット様のお母様とお婆様は、ものすごく輝かしい人でした。誰からも愛され、慕われていました」


 再びリアの話が始まった。

 パン生地からリアの話に意識を戻す。


「そんな輝かしい人たちと比較されるシャーロット様にとって、王宮はどんな場所なのか、リアは考えてしまうのです。もしかするとシャーロット様は、クレア様が来る前のリアみたいに、ここにいていいのか不安だったのかもしれません」


 シャーロットが不安だった……?


 私はシャーロットのことを利己的なワガママ娘だとばかり思っていたが、もしかするとシャーロットにはシャーロットの事情があったのだろうか。


「だからシャーロット様はどんどん死者を生き返らせて、自分はお母様やお婆様と同じように、王宮にいていい存在だと認めてほしかった……いいえ。自分自身を認めたかったのかもしれません」


 もしそうだとしたら…………ううん、流されては駄目だ。

 たとえそうだったとしても、今現在シャーロットがやっていることは許されるものではない。

 しっかりと罪を自覚し反省をしてもらわなければならない。

 これ以上、犠牲者を出さないためにも。


 私は、敵であるシャーロットのことさえ心配してしまうリアの優しい感情が移ってしまう前に、話題を変えることにした。


「リアは今、どんなパンを作っているんですか?」


 やや強引だが、他に思いつかなかったため、ありきたりな質問で話題を逸らすことにした。


「シリウス様の顔パンです」


「シリウス様の顔パン」


 ありきたりな質問をしたはずなのに、リアから返ってきたのは、ありきたりではない答えだった。


「以前も作ってみたのですが、試食係のピーターに不評だったので……より正確に言うなら『改良版シリウス様の顔パン』です」


「改良版シリウス様の顔パン」


 ふとリアの手元を見ると、丸い形にしたパン生地に目と鼻と口を付けていた。

 使っているのは、オリーブの実に、カットしたトマトだろうか。


「……以前作ったシリウス様の顔パンの何が不評だったのか聞いても良いですか? あんまり似てなかったんですかね?」


「相当似ていたとリアは思います。ピーターも似ていると言っていました」


「じゃあどうして」


「ピーター曰く、シリウス様の顔からイチゴジャムが出てくるのは食べたときの罪悪感がすごいから変えてほしい、とのことでした」


 お、おう。

 ジャムパンだから味はマズくはないのだろうが、顔からイチゴジャムが出てくるのはマズい。

 こう、視覚的に。


「それは……私も食べたくないですね」


「美味しいジャムパンですよ? しかもクレア様の大好きなシリウス様の顔ですよ?」


 リアは、ピーターと私の感性をよく理解していないようだった。


「だからこそと言いますか、あまりにも不敬と言いますか、シンプルにグロいです」


「そうですか? でも大丈夫です。今作っているのは改良版ですから」


 リアは自信満々にそう言った。

 しかし嫌な予感のした私は、恐る恐るパンの中身を聞いてみることにした。


「あの、リア……今回はイチゴジャムが入っているわけではないんですよね?」


「はい。改良版ですので!」


「では、今回の『改良版シリウス様の顔パン』の中には何が入っているんですか?」


 私の質問を聞いたリアは、得意げな顔で告げた。


「トマトパスタです!」


「わざとやってます!?」




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