前から好意的には見ていた。
他の使用人と同じく、彼女のことも城に住む家族だと思っていた。
まあ他の使用人とは違い彼女には城内に血の繋がった家族がいないため、少しだけ贔屓はしていたが。
それが、どうだ。
急に彼女のことが頭から離れなくなってしまった。
彼女……クレアのことが。
頭から離れないだけではなく、気が付くと目で追っている。
彼女は年齢的には幼児だが、見た目は幼児と呼ぶにはとうに成長し過ぎている。
風になびく赤茶色の髪に、意志の強い緑色の目。
一人で町を歩いていたら、すぐに声を掛けられるだろう可愛らしい……。
「いや違う! 俺の認める美しい存在は、俺だけだ!」
そのはずなのに、どうにもクレアの顔が頭から離れない。
しかも必ず思い出すのは、泣きながら怒っている顔。
俺が自分の心臓を剣で貫いたときの、あの顔。
「俺が自分を傷付けたことで怒る人間が、今までいただろうか」
いるはずもない。
だって俺は、いくら傷付こうが死なないから。
それなのに、俺が死なないことを知っているのに、クレアは怒っていた。
自分を蔑ろにするな、と。
「俺よりもずっと年下のくせに、俺に説教をするなんて」
身の程知らずも甚だしい。
自分はすぐに死ぬ人間のくせに、冥界の住人である俺を心配するだなんて。
「そうだ。クレアはすぐに死ぬ人間なんだ」
それなのに、聖女を引きずり降ろす作戦に参加しようとしている。
俺とは違って簡単に死んでしまうのに。
参加するか聞いたのは俺だが……今からでも、クレアを城で待機させることは出来ないだろうか。
……きっと無理だ。
「安心して待ってるなんて出来ない」とクレアは言っていた。
彼女は頑固なところがあるから、もう作戦から降りようとはしないだろう。
「クレアが死んだら……俺は……」
駄目だ。どうにもおかしい。
つい最近までこんなことは考えもしなかったのに。
自身の心臓を貫いたあの一件以来、クレアに対する感情が迷子だ。
「ハートを貫かれちゃったんですねえ」
突如聞こえてきた声に驚いて顔を上げると、目の前の椅子にマリーが座っていた。
「なっ!? そんなことはない!」
「お酒を飲みながらクレア様を模した人形に話しかけている人が、何を仰いますやら」
言われて、テーブルの上に置いていたクレアちゃん人形を慌てて懐にしまった。
「これは、その、なんとなくだ。一人で飲むのは寂しいから」
「じゃあそういうことにしておきましょうか」
マリーは、自身のグラスに注いだ酒を飲みながら、ニヤニヤと笑った。
「クレア様がシリウス様のことを好きなのは明白なんですから、悩む必要はないのではありませんか?」
「俺は別に、そういう好きでは……」
「好きなことは認めるんですねえ」
マリーがグラスを揺らすと、氷がからんと音を立てた。
「そういう意味の好きではないはずだ。だってこの前までは確かに……」
「たった一言が、恋の炎を燃え上がらせることもありますわ」
俺はあの瞬間、恋に落ちたとでもいうのだろうか。
身の程知らずにも死なない俺に説教をしてきた、ただの人間であるクレアに。
あの意志の強い瞳に。
「あり得ない」
「第三者からすると、とてもお似合いに見えますけれど」
「俺とクレアは正反対だ。俺と違ってあいつは生き汚い上に、身の程知らずだ」
「あら。だからこそ惹かれたのでは?」
否定しようとしたが、つい最近自分で言ったことだ。
自分とは相対するクレアの生き様に惹かれている、と。
「それにマリーには、お二人がよく似ているようにも見えます」
「似ているところなんてないだろう」
「何をしでかすか分からない破天荒なところが、そっくりだと思います」
「……遠回しに、おかしなことはするなと言っているのか?」
「いいえ。見ていて楽しいので、このままでいいと思います」
マリーはニコニコと微笑みながらグラスを傾けている。
俺は自分のグラスに残っていた酒をグイっと飲み干した。
「シリウス様。クレア様への気持ちを自覚したのなら、接し方を変えないと気付かれませんよ」
マリーが空になった俺のグラスに、追加の酒を注いだ。
「……クレアは俺のことを毎日、目にしている。些細な変化にも気付くはずだ」
「真正面から好き好き大好きと言う愛情表現をするクレア様が、些細な愛情表現に気付くと思いますか?」
「…………」
気付かないだろう。
城に来たばかりの頃は気を張っていたため、小さな変化にも気付いただろうが、今は違う。
クレアはいい意味で鈍感になった。
気を張らずに暮らせるようになった。
それはきっと、いいことのはずだ。
「シリウス様。恥ずかしいからと誤魔化していたら、クレア様は簡単に誤魔化されてしまいます。そうなったらシリウス様の気持ちはいつまでも伝わりませんよ」
「俺は別に……」
「『余』がどこかに行ってしまっている時点でバレバレですよ。シリウス様は人外らしい喋り方をしてクレア様との間に引いていた一線を、無意識に消してしまっているのですよ」
あれ。俺はいつの間に自分のことを『俺』と呼んでいたのだろう。
きっと酒を飲んだせいだ。
……これまではこんなことはなかったような気がするが。
「余が迂闊だった。これからは気を付けるようにしよう」
「…………はあ。これだから童貞坊やは」
嫌な単語が聞こえたような気がしたが、酔っているせいで聞こえた幻聴ということにしておこう。