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第86話 あたしは世界で一番の


 あれからしばらくして、あたしは覚悟を決めた。

 大雨による死傷者は日に日に増え……ううん、それが一番の理由なわけじゃない。

 もちろん理由の一つではあるけれど、一番大きな理由は……。


「久しぶりだな、イザベラ」


「ずいぶんやつれたわね、アンディー」


「町がこんな状態じゃ仕方ないさ」


 あたしは仕事をしているアンディーの元へと向かった。

 休日は取れないにしても、休憩時間くらいはあるはずだと思ったから。


「あたしね、アンディーに伝えたいことがあるの」


 あたしとアンディーは、大通りから少し離れた石の上に腰かけている。

 アンディーは短い休憩時間の間に食事を済ませる必要があるらしく、固そうなパンを頬張っていた。


「あたし、あの作戦やろうと思うの。聖女を引きずり降ろす作戦」


「……嘘だろ」


 驚きのあまり手から滑り落ち膝の上に転がったパンを、アンディーが慌てて拾った。


「いいえ、本当よ。町がこんな状態なのは……『魂の調整』のせいでしょ?」


「偶然だって。たまたまあの話を聞いた直後に大雨になったから、繋げて考えてしまうだけで」


 アンディーはあたしの考えを変えようとしているのか、諭すように言った。


「じゃああたしが触ると石が光ったのは?」


「あんなものは魔法で何とでもなるだろ」


 確かに、髪の色を変えたり目の色を変える魔法が存在していることは、あたしも知っている。

 でも、そんなことをする必要がある?

 あたしを聖女に仕立て上げる必要が、クレアとあの店主にある?

 誰かを聖女に仕立てたいなら、わざわざあたしに白羽の矢を立てなくても、クレアを聖女だということにすればいい。

 それをしなかった時点で、あの話には信憑性がある気がする。


「……アンディーはあたしが作戦に参加することに反対なのね」


「当然だ。君に危険なことをさせる作戦なんて、賛成できるはずもない」


 あたしが尋ねると、アンディーははっきりと断言した。

 それなら……残念だけど、アンディーとはここで終わりにしなければいけない。


「分かったわ。あたし一人でやる。アンディーはこのまま町で幸せに暮らして」


「覚悟はあるのか? 失敗したら処刑、成功しても元の生活には戻れないんだぞ」


「了承済みよ」


 あたしもアンディーに負けず劣らずはっきりと言った。

 きっと昔のあたしには、こんなことは出来なかったはずだ。


「シャーロット様を止められるのは、あたしだけなの。町のみんなを助けなきゃ」


「それは……」


 アンディーもあたしがここまで自分の意見をはっきり言うとは思わなかったのだろう。

 驚いた様子で言葉に詰まっていた。


「イザベラは町のみんなを助けるために?」


「ごめん、嘘……でもないけど、一番の理由はそんな大層なものじゃないわ」


 町のみんなを助けたいというのも理由の一つだけれど、覚悟を決めるに至った一番の理由は違う。

 みんなを助けるという立派で大層な理由に耐えきれなくなったあたしは、本当の理由を白状することにした。


「あたしは妹に、すごい姉だって認められたいの。頼りになる姉だって思われたいの。これまであの子に、全然いいところを見せられなかったから」


 アンディーはパンを食べることも忘れて、ただあたしの話に聞き入っていた。


「それに、あの子は昔から期待を裏切られてばかりだったわ。そのうち他人に期待をすることすら忘れてしまったの。だからあたしは、あの子の期待に応えてあげたいのよ…………せめて、一度くらいは」


 あたしはクレアの強さを羨んでいたけれど、同時に寂しいとも思っていた。

 辛い生活のせいで、クレアは他人に期待することを忘れてしまった。

 まだ子どもだったのに。

 他人が自分の期待に応えてくれることを、きっと想像すら出来なかったのだろう。


 他人に期待し過ぎないことは上手に生きるコツかもしれないけれど、それでも全く期待しないのは、寂しいことだとあたしは思う。

 だから、クレアはもう大人と呼ばれる年齢だけれど、姉のあたしが期待に応えてあげたい。


「あたしは、こんな個人的な理由で作戦に参加するの。クレアの姉だから参加するのよ。だから、関係のないアンディーを巻き込むのは気が引けるわ」


「俺は関係ない、か」


 アンディーは頭をガシガシと掻いてから、パンを口の中に放り込んだ。

 そのまま無言で咀嚼しながら、難しい顔で何かを考えているようだった。


 少しして、パンを飲み込んだアンディーは、あたしの目の前に立った。


「俺はイザベラを不幸な道に進ませたくなかった。だから言わずにいたんだが……もうそんなことを考えてる場合じゃないな」


「え?」


「イザベラ。俺は君と違って平民で、君にこれまでのような生活はさせてあげられないだろうけど、それでも誰よりも君を愛してる」


「え? え?」


「俺と結婚してください」


 アンディーは立膝をついて、あたしに向かって手を伸ばした。


 結婚してくださいって……まさか、結婚してください、ってこと!?

 結婚してくださいということは、結婚してくださいということよね!?


 あたしは混乱しながらも、しかし拒否する言葉は浮かんでこなかった。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


「ありがとう!」


 アンディーが力いっぱいあたしに抱きついた。

 力が強すぎて痛いくらいだったけれど、怒る気になどなるわけもなかった。


「嬉しい。夢みたいだわ!」


「夢じゃないさ。夢になんて俺がさせない。それに、これでもう無関係じゃないな。妻と夫は一蓮托生だからな」


 今この瞬間、あたしは世界中の誰よりも幸せに違いない。




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