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ep7.髑髏騎士

「――力を見せよ」


 土の心臓に入ったザグロは、昏兜城でのベンハの言葉を思い出していた。

 冷ややかな眼差しが、魂の重さを測るかのようだった。


「我が父ドラスターンは、種を問わず敬意をもって応える。それが人間であろうと、獣人であろうと、闇の底より生まれた者であろうと等しく扱う。ただし――」


 ベンハの声には、かつて数多の敵を屠った者だけが持つ威圧があった。

 ザグロの全身に、獣魔の咆哮のごとき残響が蘇る。


「純粋なる強さを示せ! 貴様が何者であろうと、それがなければ魔王の一族は認めぬ! 魔姫の夫たる者が『愛されただけ』で座に就くなど、笑止千万!」


 この世界で唯一の正義――それは血筋でも地位でもなく『強さ』だった。

 魔族の生きる世界において、強者は絶対であり、弱者に語る資格はない。

 ある意味、純粋たる公平性がそこにあった。


(強さ……俺にそれがあるのか……?)


 ザグロは問いを胸に、足を踏みしめた。

 足元の赤土を踏むたびに言い知れぬ不安が襲う。

 自分が何者かもわからぬまま、ただリゼルダの命に従っているだけだ。


(ただ剣を握るだけの俺に……)


 洞窟の壁には、緑の異炎を灯す松明が幾本も打ち込まれていた。

 炎は風もないのに揺らめき、まるで命を持つかのように壁面を舐める。

 道はただ一筋、分岐も回避も許されぬ運命に等しい一本道。

 空気は重く、毒と熱を含んだ霧が喉を焼く。

 この地、土の心臓こそ力なき者を呑み込む試練の場。


 リゼルダに愛され、夫として名を与えられた。

 だが、それだけでは足りぬと魔王の血は告げていた。

 王家の名の下に立つには、何より――強さという証明が必要だった。


(この不安と緊張感……以前あったような気がする)


 ザグロに残る微かな記憶が揺れた。

 誰かが剣を掲げていた。

 血の色の迷宮――その中で「レオ……」と呼ばれた気がする。


「っ!」


 何かを思い出そうとしたとき、緑の炎に照らす向こうから音がした。


 …………ガチャ……ガチャガチャ…………。


 何かがやってくる。

 それは金属音を響かせて現れることになる。


「……髑髏騎士スケルトン!」


 ザグロが自然と口にする魔物の名前。

 炎の揺らめきが照らし出したのは、錆びた甲冑に身を包んだ白骨の騎士<スケルトン>。

 悪の魔導により、邪霊を埋め込まれた偽りの戦士。

 首筋から肩へと斜めに走る亀裂、胸には呪文めいた文字が焼き刻まれている。

 それは明らかに、かつて誰かに討たれた記憶を宿していた。


「……来るのか……?」


 ザグロは、腰の剣の柄に手をかける。

 腕が重い、僅かに指が震える。

 構えが思い出せない。

 踏み込みの位置さえ曖昧だった。


(どうすれば……)


 思考が絡まり、視界がぼやける。

 その中で敵はゆっくりと剣を肩に担ぎ、間合いを詰めてくる。

 動く屍に言葉なく、骨と金属が擦れる音が洞窟の静寂を満たしていく。


 だが――その瞬間。


「ふっ!」


 ザグロは勝手に動いた。抜いた剣が空気を切る。

 意識よりも早く体が動いた。

 剣が風を裂き、一歩が空間を切り拓く。

 不格好な構えであるが、敵の斬撃を半身で避け、反撃の刃が甲冑の肩を裂いた。


「こ、これは……!」


 自分が何をしたのか、わからなかった。

 しかし、攻撃は通っていた。

 身体が覚えていた、筋肉が覚えていた、骨が覚えていた。

 あるいは、もっと古い『誰か』の記憶が動かしていた。

 髑髏騎士はぐるりと回り、再び大剣を振り上げる。

 その動きの一瞬、ザグロの脳裏に――。


(この紋様……見覚えが……)


 それは鎧に刻まれた紋章、それは虚ろな記憶。

 三頭の獅子、黒狼に松明、絡み合った魚、白地に黒い手。

 よく見ると、スケルトン達の鎧兜にはあらゆる国の紋章が刻まれている。

 それはどこかで見た旅の記録でもあった。


「――っ!」


 脳内で何かが軋んだ。

 鼓動が激しくなり、足が震える。

 だが、刃は止まらない。

 スケルトンの斬撃が容赦なく振り下ろされた。


「破ッ!」


 ザグロは避けるでもなく、防ぐでもなく剣を振るう。

 力任せの斜め斬り。

 だが、それは記憶に眠る誰かが無数の戦闘で用いた斬り返しの技。

 甲冑が裂け、骨が砕け、スケルトンの頭部が跳ね、洞窟の奥へと転がっていく。

 その瞬間、ザグロの身体から力が抜けた。


 膝をつく、息が切れる。

 だが、剣は手から離れていない。

 戦えた――否、戦わされていたのかもしれない。

 緑の炎が静かに燃える中、スケルトンの残骸に囲まれたザグロは己の両手を見つめた。

 そこにあったのは、かつて勇者だった者の剣の握り方、忘れたはずの手癖。


(俺は……戦えるのか……?)


 両手を見つめるザグロ。

 すると洞窟の奥深くから男の声が聞こえた。


「来い、レオフレッド――我が宿敵よ。再び剣を交えようではないか」


 レオフレッド、それは何者かの名前。

 どこかで聞いた気がするのに思い出せない。


「冥府の底から、は舞い戻った」

「この奥に……誰かが待つというのか?」


 ザグロは立ち上がった。

 右手に携えたユグラミは微かに震えている。

 震えの正体は怯えか、それとも戦いを望む心か。


(行くしかない。この先に何があろうとも――)


 緑の松明はあたかも運命の導火線のように、沈黙のまま先を照らし続けていた。

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