「――力を見せよ」
土の心臓に入ったザグロは、昏兜城でのベンハの言葉を思い出していた。
冷ややかな眼差しが、魂の重さを測るかのようだった。
「我が父ドラスターンは、種を問わず敬意をもって応える。それが人間であろうと、獣人であろうと、闇の底より生まれた者であろうと等しく扱う。ただし――」
ベンハの声には、かつて数多の敵を屠った者だけが持つ威圧があった。
ザグロの全身に、獣魔の咆哮のごとき残響が蘇る。
「純粋なる強さを示せ! 貴様が何者であろうと、それがなければ魔王の一族は認めぬ! 魔姫の夫たる者が『愛されただけ』で座に就くなど、笑止千万!」
この世界で唯一の正義――それは血筋でも地位でもなく『強さ』だった。
魔族の生きる世界において、強者は絶対であり、弱者に語る資格はない。
ある意味、純粋たる公平性がそこにあった。
(強さ……俺にそれがあるのか……?)
ザグロは問いを胸に、足を踏みしめた。
足元の赤土を踏むたびに言い知れぬ不安が襲う。
自分が何者かもわからぬまま、ただリゼルダの命に従っているだけだ。
(ただ剣を握るだけの俺に……)
洞窟の壁には、緑の異炎を灯す松明が幾本も打ち込まれていた。
炎は風もないのに揺らめき、まるで命を持つかのように壁面を舐める。
道はただ一筋、分岐も回避も許されぬ運命に等しい一本道。
空気は重く、毒と熱を含んだ霧が喉を焼く。
この地、土の心臓こそ力なき者を呑み込む試練の場。
リゼルダに愛され、夫として名を与えられた。
だが、それだけでは足りぬと魔王の血は告げていた。
王家の名の下に立つには、何より――強さという証明が必要だった。
(この不安と緊張感……以前あったような気がする)
ザグロに残る微かな記憶が揺れた。
誰かが剣を掲げていた。
血の色の迷宮――その中で「レオ……」と呼ばれた気がする。
「っ!」
何かを思い出そうとしたとき、緑の炎に照らす向こうから音がした。
…………ガチャ……ガチャガチャ…………。
何かがやってくる。
それは金属音を響かせて現れることになる。
「……
ザグロが自然と口にする魔物の名前。
炎の揺らめきが照らし出したのは、錆びた甲冑に身を包んだ白骨の騎士<スケルトン>。
悪の魔導により、邪霊を埋め込まれた偽りの戦士。
首筋から肩へと斜めに走る亀裂、胸には呪文めいた文字が焼き刻まれている。
それは明らかに、かつて誰かに討たれた記憶を宿していた。
「……来るのか……?」
ザグロは、腰の剣の柄に手をかける。
腕が重い、僅かに指が震える。
構えが思い出せない。
踏み込みの位置さえ曖昧だった。
(どうすれば……)
思考が絡まり、視界がぼやける。
その中で敵はゆっくりと剣を肩に担ぎ、間合いを詰めてくる。
動く屍に言葉なく、骨と金属が擦れる音が洞窟の静寂を満たしていく。
だが――その瞬間。
「ふっ!」
ザグロは勝手に動いた。抜いた剣が空気を切る。
意識よりも早く体が動いた。
剣が風を裂き、一歩が空間を切り拓く。
不格好な構えであるが、敵の斬撃を半身で避け、反撃の刃が甲冑の肩を裂いた。
「こ、これは……!」
自分が何をしたのか、わからなかった。
しかし、攻撃は通っていた。
身体が覚えていた、筋肉が覚えていた、骨が覚えていた。
あるいは、もっと古い『誰か』の記憶が動かしていた。
髑髏騎士はぐるりと回り、再び大剣を振り上げる。
その動きの一瞬、ザグロの脳裏に――。
(この紋様……見覚えが……)
それは鎧に刻まれた紋章、それは虚ろな記憶。
三頭の獅子、黒狼に松明、絡み合った魚、白地に黒い手。
よく見ると、スケルトン達の鎧兜にはあらゆる国の紋章が刻まれている。
それはどこかで見た旅の記録でもあった。
「――っ!」
脳内で何かが軋んだ。
鼓動が激しくなり、足が震える。
だが、刃は止まらない。
スケルトンの斬撃が容赦なく振り下ろされた。
「破ッ!」
ザグロは避けるでもなく、防ぐでもなく剣を振るう。
力任せの斜め斬り。
だが、それは記憶に眠る誰かが無数の戦闘で用いた斬り返しの技。
甲冑が裂け、骨が砕け、スケルトンの頭部が跳ね、洞窟の奥へと転がっていく。
その瞬間、ザグロの身体から力が抜けた。
膝をつく、息が切れる。
だが、剣は手から離れていない。
戦えた――否、戦わされていたのかもしれない。
緑の炎が静かに燃える中、スケルトンの残骸に囲まれたザグロは己の両手を見つめた。
そこにあったのは、かつて勇者だった者の剣の握り方、忘れたはずの手癖。
(俺は……戦えるのか……?)
両手を見つめるザグロ。
すると洞窟の奥深くから男の声が聞こえた。
「来い、レオフレッド――我が宿敵よ。再び剣を交えようではないか」
レオフレッド、それは何者かの名前。
どこかで聞いた気がするのに思い出せない。
「冥府の底から、
「この奥に……誰かが待つというのか?」
ザグロは立ち上がった。
右手に携えたユグラミは微かに震えている。
震えの正体は怯えか、それとも戦いを望む心か。
(行くしかない。この先に何があろうとも――)
緑の松明はあたかも運命の導火線のように、沈黙のまま先を照らし続けていた。