ラドラ。
第三十九王子ラドラと生きる鎧は名乗った。
そこには鋼鉄の胸甲には、過去の者の魂が宿っていた――。
「血を絶たれようと、心臓を奪われようと俺は戦うためにある!」
顔なき影、鎧だけの姿となっても戦いを求め続けている。
対峙するザグロは、ユグラミを正眼に構え息を殺した。
(ラドラ……どこかで聞いたことがある名前だ……)
ザグロは相対するリビングアーマーの名前に聞き覚えがあった。
しかし、その名前を聞くと、頭の奥で火花のような痛みが走った。
忘れかけていた記憶が、まるで扉の隙間から漏れ出す光のように滲む。
だが、ザグロの体の奥底には確かに残っているものがあった。
それは、かつて勇者だった頃の記憶の断片──剣を握ったときに感じていた心の重みだ。
今、目の前の敵の攻撃を防がねばならない。
さもなくば、命を落とすのは己自身だという厳然たる事実だ。
「ツアッ!」
最初に動いたのはリビングアーマー、否ラドラである。
鋼と鋼がぶつかり合う音が、洞窟中に鋭く響き渡る。
ラドラの赤黒い双剣が十字に交差し、斬撃を繰り出す。
(来る――!)
ザグロの脳裏で警鐘が鳴る。
体は先に動き、刃を差し出し、迫る双剣を受け止めた。
剣と剣、重みと重み。
火花が散り、鉄の唸りが空間を切り裂く。
「速いな……レオフレッド、否ザグロよ。かつての名と姿は変わったが、その腕は落ちていないようだ」
ザグロの心臓がわずかに跳ねた。
(レオフレッド……?)
どこか聞き覚えのある名前の響き、だが今は考えている余裕はない。
ザグロは剣を強く握り直し、息を吐く。
「――ッ!」
次に攻撃を仕掛けたのはザグロ。
斜めより打ち下ろす斬撃は、鎧の隙間を狙った実戦技である。
しかし――。
「甘い!」
赤黒い双剣が寸前で交差し、ザグロの一撃を弾き返した。
衝撃が腕に響き、足元がわずかにぐらつく。
ラドラは、左右の剣を交差させた魔族独特の剣構えを取りながら述べた。
「……ザグロ、先程の言葉は撤回しよう」
「撤回?」
「腕は落ちていないという言葉だ。今の斬撃――あまりにも直線的で粗雑な攻撃だった。生前の俺と戦ったときはもっと精妙な剣捌きだったはず……何があった? 魂を削られ、名を奪われ、貴様の剣はここまで鈍ったか?」
ラドラは肩をすくめ、僅かに首を傾げる仕草を見せた。
鎧の継ぎ目が
「いや、ただの人形か……勇者と呼ばれた者には値せぬ実力だ」
「俺はザグロだ……勇者ではない!」
「……哀れだな、リゼルダの人形よ」
ラドラは苛立ちを隠さぬまま短く吐き捨て、乱暴に双剣を鞘に叩き込んだ。
「今のお前に、我が剣を使わぬともよい」
突如、鎧の四肢が異様に捻じれ、ラドラは獣めいた姿勢を取る。
その姿はまるで剣歯獣<サーベリオン>。
それは魔獣の系譜に連なる、巨大な剣歯虎型の魔物の攻撃姿勢。
特徴は異様に発達した長大な犬歯――。
ただの骨ではなく魔力を帯びた<斬魔牙>と呼ばれるもので、鋼鉄や魔法障壁をも断つと言われる。
(俺は……あの姿勢で構える巨大な何かと戦ったことがある)
ザグロの薄らいだ過去の記憶が僅かに浮かび上がる。
深緑の戦場の断片、霧の中で跳躍する巨大な影、閃光のような牙。
そう、あれは旅人を喰らう悪しき魔物を退治するよう某国の依頼を受けたときのことだ。
自分は霧深き森で剣を掲げ、血塗れの獣と対峙していた場面が浮かび上がる。
白銀の剣と、閃光の牙のぶつかり合い。
肉を裂く咆哮、砕けた鎧、背筋を駆け抜ける恐怖――。
「……!」
ザグロの目が僅かに見開かれる。
過去の記憶が、今、指先に痺れとなって蘇る。
剣を握る力が強まる。
「ガアァァァァ──ッ!」
剣歯獣の咆哮が轟いた。
それはラドラのものではなく、獣そのものの雄叫び。
飛び掛かるリビングアーマーの鉄甲が、ザグロの胸を打ちつける。
「くっ……!」
これがもし獣の牙や爪であれば、心臓をえぐり取られていただろう。
ラドラはなおも四つ這いの姿勢を崩さず、一歩、また一歩と鋼の脚で踏みしめ、じわじわと間合いを詰めてくる。
ザグロは胸に残る激痛に顔を歪めつつも、ユグラミの切っ先を向けた。
それに反応するかのように、ラドラの次の一手が繰り出される。
「ゴオオオオオ――ッ!」
兜の口部がぱっくりと開き、青白い魔力が噴き出した。
それはただの咆哮ではない。
凍てつく世界に生きる<アイスドラゴン>の吐息。
大陸の城砦を幾つも氷の墓標に変えたという破壊のブレスだった。
(この冷たさ……心の奥底が騒めく……あれは……!)
とある迷宮での一戦。
目の前に立ちはだかっていたのは、氷の鱗を持つ恐るべきドラゴン。
共に戦った冒険者達は一瞬で氷像と化し砕け散った。
それでもなお、真っ白な吐息を突き破り、最後に刃を届かせた感触は記憶に深く刻まれている。
(なんだ……これは……)
ザグロの脳裏に、次々と過去の魔物達との戦いが浮かび上がってくる。
森で、山で、迷宮で――刃を振るい、血を浴び、ただ勝つために斬り続けた日々。
手強かった、どの魔物達も――。
目の前のリビングアーマー、否、ラドラが低く呟く。
「思い出したか、己が何者であったかを?」
ラドラは立ち上がり、二足歩行になると再び双剣を抜いた。
「貴様は積み重ねた血塗れの因果、滅ぼした者達の憎悪、失わせた命の連鎖を見たのだ」
「お前は……何を……言って……」
「己の
洞窟の空気がわずかに揺れ、ラドラの鎧の継ぎ目から冷たい魔力の気流が漏れ出す。
ザグロは息を飲み、微かに足を踏み直した。
「……二者択一……だと……」
「そうだ、俺達を再び倒す力を見せるのだ」
ザグロの胸がざわめき、心臓が高鳴った。
肩が微かに震えるも、その手は確かに剣を強く握り締める。
――恐れるな魔族に転生し男よ、剣はまだお前の手の中にある。