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Episode1 「王都の異変」

 ヴェルナンド王国は山間の裾に平野部が続く緩急の風情が美しい国土を持つ国である。ヴェルナンドと他国との違いを挙げるなら、まずは「霊獣」の存在を挙げなければならない。

 霊獣とは魔法を扱う獣――神々からの祝福を受け、地上に遣わされた存在だと言い伝えられている。

 霊獣はヴェルナンドの肥沃な土地を好み、王国の人々はこの心優しき獣たちを自分たちの生活圏に温かく迎え入れたのである。

 かつて大陸全土を巻き込んだ戦乱の時代、かつて小国であったヴェルナンド王国が生き残ることができたのは、まさに霊獣の存在が大きかった。

「小隊長! 王都の町並みが見えてきましたよ!」

 耳元を過ぎる風の音に負けぬよう、テナーが騎乗する白翼馬ペガサスに馬首を揃えた部下が大声で叫んだ。

 テナーが足下へ目を向ける。

 眼下に広がる雲海が、徐々にその裂け目を大きくしていく。やがて、広大な草原地帯が確認できた。その草原を縦断するように流れる川は、恐らく「ファーナ川」だ。

「総員、降下準備!」

 テナーは右手を掲げ、すぐに足元を指差す仕草をした。テナーは己が騎乗する白翼馬の胴を挟む足に力を込め、手綱を握って身を縮める。すると、白翼馬も翼を僅かに畳み、馬首を眼下へと向ける。

 降下姿勢に入った途端、暴風がテナーの顔を叩いていく。靡く髪は後方へ引っ張られ、近づいてくる地表を睨んでいたテナーが強く手綱を引いた。高い嘶きとともに白翼馬が両翼を大きく広げる。

 広大な草原地帯に横たわるファーナ川の傍に着地すると、テナーはようやく詰めていた息を吐いた。

「わぁ、あれが王都ですか?」

 テナーの後に降り立った部下の一人が、感激の声を上げている。

 周りの者たちもつられるようにして「おぉっ!」と遠目に臨む高い城壁を見やった。

「おい、まずは我々を運んでくれた白翼馬への労いが先だ」

 はしゃぐ部下たちを注意し、テナーは己が騎乗していた白翼馬の轡を外して水辺へ連れていく。頭を垂れ、水を飲む愛馬の首筋をテナーはそっと撫でた。

 一息ついたテナーの視線が、部下たちが感激していた城壁へと向く。

 ヴェルナンド王国の王都――ウルタは切り立った岸壁を背に王城を築いた扇形の都市構造をしている。

 土地も王城、城下町、商業地区や貧民地区という順で高低差があり、段々畑を思わせる構造をしていた。

 この王都を囲う城壁を前に望めば、まるで王都の建物が津波となって押し寄せてくるような圧巻ぶりだ。

 やはり国の中心地というだけのことはあり、その町の規模は今までの旅程で立ち寄った都市の比ではない。

「やっと王都ですね。長かったなー」

 どこか安堵を滲ませた声が呟く。

 テナーが率いる王都への転属騎士たちで構成された十人規模の分隊は、ヴァネッサから霊獣で三週間以上もかけて王都への旅程を進んできた。

 皆、十代後半から二十代前半の若者たちであるが、その表情には少なからず疲れの色が伺える。

 テナーも自分が騎乗する白翼馬の毛並みを労わるようにもう一度撫でた。

 水を飲み終えて満足したのか、白翼馬が気持ちよさそうに軽く首を上下に振った。

「そういえば、小隊長は王都のご出身でしたね」

 隊員の一人がテナーに話しかけてきた。霊獣を撫でるテナーの手がぴたりと止まる。

「ああ……とはいえ、五年も経てば町並みもだいぶ変わっているだろう」

 テナーの物言いに、部下は「それもそうですね」と頷く。

「でも、五年ぶりにご家族とも再会できますし、よかったですね」

 愛想笑いを浮かべる部下に、テナーも「そうだな」と頷いた。

 鋭く細められたテナーの双眸が王都の町並みへ向けられる。

 できることなら、二度と帰ってきたくはなかった。

 そんな本音を、心の内に留める。

 テナーの男性を思わせる高い身長に、女性たちが熱い視線を送る整った容姿は、良くも悪くも注目の的だ。自慢のはしばみ色の髪は砂埃にまみれて薄茶色に染まってしまっているが、それでも人々の目を惹きつけるには十分だった。

 テナーのことを知る者たちが、彼女の帰還を知れば何と思うか。すぐに想像がつく。

 こうして騎士になると決めた時も、家出同然に屋敷を飛び出したのだ。

 今更、家族に会いにいくなど、考えられなかった。

「今回の大規模な配置換え、隊長はどのようにお考えですか?」

 テナーがぼんやりと白翼馬の首筋を撫でていると、また別の部下が声をかけてきた。

 隊員の中でも年長の若者だ。若者はスッと眉を寄せる。

「正直、王都付近の害獣被害はそこまで深刻そうには思えません」

「ここまでの道中、確かに害獣たちともすれ違いましたが……ヴァネッサと違って、ここの害獣たちはみんな大人しいですもんね」

「害獣被害は、王都近郊よりもヴァネッサの方がずっと深刻です」

 若者の言葉に、他の隊員たちも同調するように口を開いた。

 皆の表情に、疑念と戸惑いが伺える。

「正直、私にも中央司令部の考えはいまいち理解できない」

 テナーは偽ることなく、彼らの疑問を認めた。

 害獣とは、理性を失った霊獣を指す呼び名だ。本来、神々の祝福を受けたとされる霊獣たちを手にかけることは王国最大の禁忌タブーである。

 しかし、理性を失って狂暴化した害獣が、人間や他の温厚な霊獣に襲い掛かる事件が後を絶たない。

 王国騎士団はこのような状況を見過ごすことなどできず、やむなく暴れる害獣を討伐していた。

 無論、多くの学者が霊獣の狂暴化の原因を究明すべく、日々研究に励んでいるが、その原因は未だ謎に包まれている。

 年齢を重ねることで獣としての本能に抗い切れなくなった、というのがこれまでの通説だったが、最近では比較的若い霊獣の狂暴化事例も確認されている。

 環境的な要因か、生態的な問題なのかは、騎士であるテナーには判断ができなかった。

「そもそも、ヴェルナンド王国で……特にヴァネッサでの大規模な害獣の出没記録は過去三十年のうち類を見ない多さだ。そこに今度は王都近郊での害獣の出没……何か、共通点があるのかもしれない」

 少なくとも、テナーが王都を離れた五年前までは王都近郊での害獣の出没はかなり稀な事例だ。

 幼かったテナーも、王都で害獣に遭遇したことはおろか、見たこともなかった。

 王都とその周辺都市に赴任した騎士たちの勤めは、せいぜい町の不良者をしょっ引くか、道に迷った旅行者を案内するのが常だった。

「もしかして、今後は王都の各地で害獣被害が出る可能性があるとか……?」

 そう呟いたのは、誰だったか。

 テナーが王都への転属命令を受けた際、ヴァネッサの騎士団支部を預かる団長も「王都周辺での害獣被害が増えてきている」と危機感を示していた。

 俄かには信じがたいが、現在のヴァネッサが毎日のように害獣被害に悩まされるようになったのも、五年前に町への害獣出没が増えたことが要因だった。

 もしかすると、騎士団本部もテナーたちの抱く危機感を確かな形で認識しているのかもしれない。

「なぁ……あの馬車、何であんなに急いでるんだ?」

「本当だ。すごい速さだな……あんなに速度を上げたら霊獣たちがバテちまう」

 部下たちの呟きに、テナーは顔を上げた。

 ファーナ川から少し離れた位置に、王都へと続く街道が整備されている。荷台の部分を防水布ホロで覆った荷馬車が、異常な速さで駆け抜けていく。

 テナーの背筋を嫌な汗が伝った。視線を馬車が駆け抜けてきた街道へ向ければ、小山ほどの巨体で投石のごとく疾駆する猪の姿を捉えた。

「隊列を組め! 相手はヘビーボア大猪一匹だ!」

 テナーは部下たちに指示を出すとともに、愛馬へ飛び乗った。靴の踵で愛馬の腹を蹴る。

 テナーの意思を察した白翼馬の蹄が、大地を離れる。広げた両翼に風が纏わりつき、大猪の比にならぬ速度で草原を疾走する。

 一呼吸遅れ、テナーの部下たちも追従した。

「ゲイル、ソラ、ハイネ、お前たちは先回りしろ! トクル、サムは一般人の保護! ヘビーボアは私がやる、残りの者は支援を頼む!」

 テナーの指示に、騎士たちが一斉に諾と返事をした。

 五人の部下が進行方向を変え、隊列から離れる。

 テナーは腰の剣を抜き放つ。剣身が見る間に冷気を帯び、刃にこびりついた氷片が陽光を受けて輝いた。

 テナーの全身から放たれる冷気が、白翼馬の通った後に霜を降らせた。さながら、冬の到来を告げる女神が、草木に氷の吐息を吹き付けるかのようだった。

 恐怖で強張った表情をした商人らしき男が、必死に手綱で霊獣たちを急かしている。テナーは荷馬車が目の前を横切った瞬間、白翼馬から飛び降りて大猪の前に立ちふさがった。

 そのまま、剣身を地面に突き刺す。無数の氷の柱が津波のごとく、突進する大猪を下から掬い上げるように宙へと吹き飛ばした。地を蹴って飛び上がったテナーの追撃が、大猪の巨体を両断する。

 大猪の身体が大地へ倒れると、大きな振動が辺り一帯に響いた。

「さすがは小隊長! 『王国最強の騎士』の異名通り、あっさりと解決ですね!」

 部下たちから、安堵と感嘆のどよめきが生まれる。

 しかし、テナーは眉根を寄せたまま、じっと地面に倒れ伏した大猪を見つめていた。

 抜き身を鞘へと収め、部下を振り向く。

「被害状況は?」

「荷馬車を引いていた商人の方々もご無事です。ああ、それと、警備の兵がかけつけて来てくださっています」

「では、後処理はそちらに任せよう。我々は急ぎ中央司令部に向かう。緊急事態だからな、ひとまず『王都での飛行』を許可する」

 テナーは息絶えた大猪を一瞥すると、自分のもとに駆け寄ってきた白翼馬へ飛び乗った。

 思ったよりも、事態は深刻なようだ。

 テナーは部下たちに声をかけながら、王都ウルタの正門を目指してその行程を速めたのだった。


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