目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

Episode3 「女騎士の受難」

 ヴェルナンド王国騎士団中央司令部は、城下町と王城の境界に設置されていた。三つの尖塔を持つその建物の構造から道行く人々に「熊手フォーク」と呼ばれて親しまれている。

「テナー・ルクエス、以下九名。ヴァネッサより到着いたしました」

 中央司令部の玄関をくぐると、大理石の床が広がっている。

 その最奥、入館手続きを行う受付窓口にて、テナーが名乗った瞬間だった。

 それまでの喧噪が、波が引くように静まり返る。

 エントランスホールで談笑していた騎士たちが一斉にこちらを振り返った。

「聞いたか? 今、ルクエスって……」

「確か、辺境の地に追いやられていたんだよな? なんで戻ってきたんだ?」

 耳をそばたてなくても聞こえる囁きを、テナーは無視した。

 受付の女性は頬を僅かに朱に染め、テナーを見上げてくる。

「テナー・ルクエス様。騎士団長よりお話は伺っております。どうぞ、団長室へお越しください」

「私だけで構わないのか?」

「はい。騎士団長より、テナー・ルクエス様のみをお通しするよう仰せつかっております」

 視線にこそ熱はこもっているが、受付の女性はあくまで事務的に応じる。公私混同をしない姿勢は、気に入った。テナーが悩んだのは一瞬だった。

「わかった。お前たちはこちらの案内係の指示に従ってくれ」

「しかし、小隊長……」

 さすがにテナーの事情を知らない部下たちも、周囲のただならぬ雰囲気は感じ取ったようだ。皆一様に、テナーを案じるように見つめてくる。

「大丈夫だ。団長に挨拶に行ってくるだけだから」

 テナーは心配する部下たちに軽く手を振ると、先導する案内係の後を追った。

 昇降機に足を踏み入れた瞬間、誰かが「お気の毒に……」と呟く声が耳に届いた。

 咄嗟に振り返るも、テナーの前で鉄の扉が閉まってしまった。

 次に昇降機の扉が開いた先に現れたのは、殺風景な廊下だった。廊下の最奥にある騎士団長室の扉を、案内係の女性がノックする。

「騎士団長、テナー・ルクエス様をお連れ致しました」

 通せ、と返事があり、案内係の女性が執務室の扉を開ける。

 テナーが中に入ると、男性が一人、長椅子に腰かけて彼女を出迎えた。

「テナー、久しぶりだな」

「大変ご無沙汰しております。アトル騎士団長」

 テナーの姿を前に、男性の表情が和らぐ。渋い岩盤色スレートグレイの髪に、冬を間近に控えた栗鼠のような温かみのある茶色の双眸がまぶしそうにテナーを見つめていた。

 目元のしわがだいぶ目立っているが、五年前とほぼ変わらぬ恩師の姿に、テナーは鼻の奥がつんっと痛むのを感じた。

「ヴァネッサから王都まで長かっただろう。さぁ、座るといい」

「失礼します」

 いくら旧知の仲とはいえ、騎士としての礼節は弁えねばならない。

 テナーは即座に居住まいを正すと、アトル騎士団長の向かいに腰を下ろした。

「聞いたぞ。街道でヘビーボア大猪を一撃で切り伏せたそうじゃないか。腕を上げたな」

 アトル騎士団長の言葉に、テナーは無意識に膝に置いた手に力を込めた。

「中央が急な配置換えを行ったのは、今回のような事例が増えてきたため……なのですね?」

 アトルはそっと腕を組んだ。眉間に寄ったしわと、押し黙るアトルの様子に、事態はテナーが思っている以上に深刻なのだと察した。

「ヴァネッサの若手を引き抜いたのは、王都の騎士たちよりも害獣との戦闘経験が豊富だからです。そしてヴァネッサから引き抜いた騎士の代わりに、害獣への対応に不慣れな王都近隣の騎士をヴァネッサに派遣することで、若手騎士の熟練度を高める狙いがあったのでは?」

「……ヴァネッサでお前を指導してくれた上官は、有能な騎士だったようだな」

 アトルはフッと表情を和らげる。組んでいた腕を解き、膝を叩くと声を上げて笑い出した。

「父君に騎士団へ放り込まれたばかりの頃が懐かしいな」

 目を細めるアトルに、テナーも口元を緩めた。

「当時は世間知らずな伯爵令嬢に過ぎませんでしたから」

 ただ、目の前のことしか見えていなかった。そんな自分を立派な騎士にしてくれたのは、紛れもないアトル騎士団長である。

 テナーは顔を上げ、アトルを真っ直ぐ見据える。

「しかし、今の私は、五年前の世間知らずな令嬢ではありません」

 テナーは左胸に右手を添えると、力強く断言した。

 ヴァネッサでの小隊長としての経験を買われ、テナーは中央司令部に招集されたのだろう。顔見知りが多い王都で活動することにはまだ気後れするが、害獣退治を一任されるのなら、テナーの活動は基本的に町の外になる。旧知の間柄に遭遇することも少ないだろう。

「私、テナー・ルクエスはヴェルナンド王国のために、一日も早い害獣の掃討によって民の憂いを晴らすべく戦い抜く所存です」

 それはテナーの、偽りのない心からの言葉だった。

 力強いテナーの言葉に、アトルは目を見開く。それからすぐに、どこか苦虫をかみつぶすような表情になった。

「あー……貴官の気持ちはありがたい。ありがたいのだが……」

 こちらと目を合わそうともせず、首の後ろに手をあてるアトルにテナーも顔を顰めた。

 アトルの物言いが、妙に歯切れが悪い。

「団長、私は五年前とは違います。無論、まだまだ実力は団長には及ばずとも――」

 身を乗り出してまくしたてるテナーに、アトルが右手を突き出した。

「違う。お前の実力を疑っているわけじゃない」

 アトルは険しい顔のまま、左手でこめかみを押さえている。

「テナー・ルクエス。君は騎士だ。国や王族から命じられれば、どのような命令でもその一命を賭して成し遂げなければならない。それは理解しているな?」

「無論です。それが国のため、ひいては民のためになりますゆえ」

 騎士団に入団する際、最初に叩き込まれる教えだ。

 何を今更、そんな当たり前のことを言うのだろう。

 いよいよ腑に落ちない様子のテナーに、アトルの口元が引きつった。笑おうとして、失敗したのだろう。

「テナー、君はこれまでの功績を評価され、五日後……王宮にて『白薔薇勲章』の授与が行われる」

「白薔薇勲章、ですか⁉ 私が……栄えある七人目?」

 テナーはパッと表情を輝かせる。

 白薔薇勲章は王族から功績のある騎士に贈られる、栄誉ある称号である。

 テナーの記憶にある限り、女性で白薔薇勲章を授与された者は建国からたったの六名だと聞いている。白薔薇勲章が与えられるということは、今後テナーは指揮官として中央司令部に配属されることは間違いないだろう。

 テナーの実力と功績が王族によって保証されるのだ。

 害獣被害に悩む王都の騎士たちにとって、害獣退治の「英雄」が中央司令部にいるというだけで士気を向上させることができる。

「国王陛下の期待に応えられるよう、今まで以上に鍛錬に励みます」

「違うんだ!」

 アトルの大声が、長椅子から立ち上がって敬礼するテナーを止めた。アトルの、どこか苦悩を滲ませた表情に、テナーはいよいよ訝しむ。

「団長、一体、何が『違う』のですか?」

 アトルはぎゅっと目をつぶり、そっと息を吐く。

「テナー・ルクエス。貴官は五日後の白薔薇勲章授与式後、その日をもって第二王子殿下付の護衛騎士に就任してもらう」

 一瞬、アトルの発した言葉の意味を、テナーは飲み込むことができなかった。

 真冬の氷水を頭の上から被ったように、全身から血の気が引く。

 テナーは青ざめた表情で、長椅子に腰を下ろすアトルをじっと見下ろした。

「団長、今……なんとおっしゃいましたか? 第二王子? 護衛?」

 テナーの右手が、力なく落ちる。

 呆然とするテナーに、アトルは自分の目元を左手で覆った。

「今後、貴官の戦場は害獣の暴れる前線ではなく、煌びやかな宮中へと変わるということだ」

 害獣退治で白薔薇勲章を賜るほどの功績を打ち立てた騎士が、戦いの前線に立つことなく王宮へ配属……その意味するところを、テナーが知らぬわけではない。

 ――お気の毒に……。

 テナーの脳裏に、昇降機の前で囁かれた誰かの言葉が過る。

 最初から、それが目的で呼び戻されたのか。

「今からでも転属命令の取り消しを! 霊獣の加護持ちも、王国内で多くいるわけではございません! 私が前線から離れては、誰がその穴を埋めるのです!」

 怒鳴ったテナーの手が、無意識に拳を作る。皮膚が白くなるまで握りしめられた彼女の手は、怒りで細かく震えていた。

「王命だ」

 アトルはにべもなく、テナーの言い分を退ける。しかし、その苦渋に満ちた表情からも、アトルがテナーの王宮入りを望んでいないことは明らかだった。

「何故……」

 ふらりとよろめいたテナーを、立ち上がったアトルが肩を掴んで支える。

「第二王子殿下がお前の武勇を耳にし、ぜひ護衛騎士に迎えたいと仰せられたのだ。テナー、これは大変名誉なことだぞ」

 アトルの言葉に、テナーは目の前が真っ暗になった。

 「騎士」は「騎士」でも、なぜよりにもよって「護衛騎士」なのか。

 ずっと心に仕舞っていた「嫌悪感」が、かま首をもたげる。

 霞む視界の中で、吐き気すら覚えた。

 反応のないテナーに、アトルは言い聞かせるように続ける。

「いいか、テナー。第二王子殿下の恩情に応え、誠心誠意お仕えするのだぞ? それもまた、騎士として重要な勤めだ」

「……はい」

 騎士団長にここまで言われてしまえば、テナーは頷くしかない。握りしめた拳の感覚は、もはやなかった。

 テナー・ルクエス。

 齢若干十七歳にして、白薔薇勲章という栄誉を手にしながら、実質の左遷命令を受けた日であった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?