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Episode4 「不穏な授与式」

「おい、もうちっと表情かおをどうにかしろ。今にもロックベア人食い大熊を両断しそうな形相だぞ」

 王都への帰還から五日後。

 ヴェルナンド王城の回廊を進みながら、額に大きな横一文字の傷を持つ男性が傍らに控えるテナーを振り向いた。

 ヴェルナンド王国騎士団の副団長であるリックはアトル騎士団長ともども、テナーとは古い付き合いのある上官である。

 だからといって、テナーの不満は収まらなかった。

「ならば、今すぐにでもロックベア人食い大熊を連れてきてください。お望み通り、真っ二つに切り裂いて差し上げます」

 昨夜は一睡もできなかったせいで、テナーの目は充血している。それがまた、不満顔と鋭い眼光に凶悪さを滲ませていた。

 今なら眼光だけで害獣一匹倒せる気がする。

「……護衛騎士が不満なのもわかるが、王太子殿下、第二王子殿下双方から直々のご用命だ」

 ため息混じりに諭す上官の言葉に、テナーの唇がへの字に曲がった。

 王国騎士団と護衛騎士は、一般的には同じ「騎士」の枠組みにくくられるが、実際はその立場が大きく異なる。

 要人警護にその任務の主軸を置く護衛騎士は、騎士団選抜試験の段階から一般の騎士と分けられている。

 血筋や家柄などもさることながら、高い教養と礼儀作法、暗殺などに対応するためのあらゆる護身術、洞察力などを高める訓練を経た後、王侯貴族にその仕事ぶりを評価されて初めて専属の護衛騎士として就任する。

 護衛騎士は常に王侯貴族の傍であらゆる可能性に対処できる臨機応変さが求められるのだ。

 対して、王国騎士団に所属する一般の騎士は、特殊戦闘職を除き、基本的には害獣征伐や諸外国との戦争の際に第一線で戦う尖兵となる。

 そのため、騎士団に所属する者の大半は平民の出で、貴族の家柄から騎士団所属となった者は騎士団長や隊長クラスの指揮官となるための訓練を行う。

 とはいえ、実力さえあれば平民でも隊長や団長へと昇格は可能なのが騎士団の利点であり、より実践的な側面に重きを置いた組織体系となっている。

 本来、騎士団所属の者が護衛騎士に転属になることは皆無だ。建国当初の動乱期ならばまだしも、ヴェルナンド王国の秩序が整い、長い平和の時代には聞かない話であった。

「功績は認められるのに、左遷って……」

「口を慎め、テナー・ルクエス。王族の方の目にとまり、あまつさえ重用されるなど滅多にあることではない」

 唇を尖らせるテナーを、リックはあくまで事務的な口調で注意する。

 王族の目に留まった、か。

 テナーはさらに表情を歪める。それはそうだろう。

 ヴェルナンド王国の一般的な男性の身長に加え、女性を惹きつけるこの容姿も相まって好奇の視線にさらされることは昔からよくあった。

 それが、テナーにはひどく不快だった。

 王族や貴族の護衛騎士に選ばれる理由の一つに、「容姿」が含まれることは騎士ならば誰もが知っている。

 護衛として常に傍に置くのだから、見目が麗しい騎士を、と望む者は多い。しかも社交界では「麗しの騎士」を傍に侍らせることが一種の社会的地位ステータスにもなっているというからたまったものではない。

 私は……見世物じゃない。

 自分の容姿が異性でなく、同性に受けがいいことは、幼少期からこの方、嫌というほど思い知らされた。

 何より、第二王子と言えば社交界における中心人物だ。そんな彼の傍に付き添い続けるとなれば、テナーもおのずと貴族たちの輪に入っていかなければならない。

 それはテナーに、戦場で怪我を負う以上の苦しみをもたらした。

 私だって……「伯爵令嬢」なのに。

 周囲はいつだって、テナーに男性のような、理想的な「騎士」を求める。

 そのことに反感を持っていた時期もあったが、本心を殺して周囲の期待に応え続けた。その方が、物事がうまく進むことを幼いながらに心得たからだ。

 しかしそれが年齢を重ねるにつれ、段々周囲との軋轢を生んでいった。

 そのせいで、テナーは逃げるように王都を離れたのだ。

 今までの苦労は、なんだったのだろうか。

 テナーは胸の内にぽっかりと穴が開いてしまったような、虚しさを覚える。

「私は害獣相手に戦っている方が性に合っているんですよ。それなのに何をどう間違ったら護衛騎士って話になるんですか……」

 テナーとて、わかってはいるのだ。

 一介の騎士が王族と直接顔を合わせる機会はほぼない。王都所属の騎士団が式典や国家行事の折に、遠目からそのお姿を拝見するのがせいぜいだろう。

 それを思えば、護衛騎士への配属――それも相手が王族であるというのは、周囲から見れば十分すぎるほどの出世だ。

 でも、だからこそテナーは理解に苦しむ。

 テナーが五年間の年月を過ごしたヴァネッサは王都からかなり距離のある辺境地であり、隣国との境界線に位置している。

 そこでのテナーの活躍が王都の、それこそ王族の耳に入るとも思えない。報告書に記載されていたとしても、ほんの二、三行の記述のはず。

 何か裏があるのではないか。

 テナーは目の前にある現実すべてに疑心暗鬼になっていた。

「それだけ、お前の腕を見込んでくれたんだ」

 リックの手が荒むテナーの頭をそっと撫でた。同じくらいの身長になっても、彼はテナーを昔と同じように扱う。それがなんだか気恥ずかしくて、テナーは思わず顔を伏せた。

「俺は、お前の実力が評価されたことを、素直に嬉しいと思うよ」

 そう言って柔らかく笑うリックを、テナーはずるいと思う。

「さ、背筋を伸ばせ。ここからはお前さんが主役なんだからな」

 回廊の突き当りで、荘厳な扉が二人を出迎える。

 テナーは表情を引き締め、目の前にそびえる扉を凝視した。

 リックとともに扉をくぐると、思いのほか大勢の人間が謁見の間で居並んでいた。

 きざはしの上で正面を向いて佇んでいるのが、この国の王太子だろう。

 その両脇には騎士団長や国防大臣、現王の弟であるクレティタン公爵、そして少女と見紛う愛らしい容姿の少年が佇んでいた。

 あれが、第二王子……ルクル・サーレ・ヴェルナンド殿下。

 テナーの目が、自然と小柄な少年に向く。

 透き通った雪解けの水底色をした碧眼と、くるりと小さな渦を巻く金髪、滑らかな白磁の肌に、淡く色づく薄紅色の唇が柔らかな微笑を湛えている。

 今年で十五歳になったと聞いているが、傍目からは十二、三歳にしか見えない。

 第二王子の身長がテナーの胸か、それより下に位置するからだろう。

 テナーの視線に気づいたらしい第二王子は、僅かにその頬を朱に染めると、花がほころぶように笑った。

 不覚にも、テナーは自分の頬に熱が集まるのを自覚した。

 さすがは学生時代、「学院の天使」と呼ばれただけのことはある。男女の隔てなく、他者の心を射抜く微笑は健在であった。

 相変わらず、愛らしいお姿をされている。

 テナーは腹底から這い上がってくる苦いものを飲み干すように、第二王子から目をそらした。

 当時、まったく接点のなかったテナーですら、学生時代の第二王子の人気ぶりは耳に入っていた。

 学院を卒業して以来、未だ婚約者のいない第二王子に妃候補へ名乗り出る令嬢が後を絶たないのも無理はないだろう。

「テナー・ルクエス。ヴァネッサでの害獣討伐の功績を称え、貴官に『白薔薇勲章』を授ける」

 テナーが王太子の前で跪き、頭を垂れる。

 王太子からのアコレードを受け、テナーは顔を上げた。

「私、テナー・ルクエスはヴェルナンド王国のため、身命を賭して国と民を守り続けることを誓います――」

 テナーが宣誓の言葉を述べた瞬間だった。

 背筋を這いあがるような悪寒に、思わず動きが止まる。

 王太子の返答の言葉も、周囲から湧いた喝采も、耳に入らない。

 こちらに向けられる明らかな「敵意」を肌で感じたテナーは弾かれるように騎士団長たちの方へ顔を向けた。

「おめでとう」

 アトル騎士団長が険しい表情でこちらに拍手を送っている。目じりにたまった涙さえなければ、厳格な騎士団長の体裁を保てていただろう。

 クレティタン公爵と国防大臣は始終穏やかな表情だ。彼らではない。

 テナーの双眸が小柄な少年に向く。

 第二王子ルクルはテナーの視線を受けると、どこか嬉しそうに微笑んでくる。その笑顔はどこまでもあどけなく、こちらに悪感情を向けてくるようには思えなかった。

 気のせいか……。

 テナーは王太子から贈られた勲章を胸につけ、王太子の祝福に返礼する。

 そんなテナーの横顔を、笑顔の消えたルクルがじっと見つめていたことに彼女は気づかなかった。


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