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Episode5 「女騎士と王太子」

「お会いできて光栄ですよ。テナー・ルクエス卿」

 授与式を終えて廊下に出るなり、テナーは一人の男性に呼び止められた。

 男性は癖のない茶髪に黒い瞳。身長はテナーと同じくらいだ。白い肌をした手には剣を握った際にできた肉刺ができている。とはいえ、貴族の嗜み程度の剣術だろう。足運びや体幹にブレはないが、戦場に出るには筋力があまりに不足している。

 そんな典型的な王族男性のようだ。

「お初にお目にかかります、アラン・クレティタン公爵様」

 テナーの視線が彼の右手の中指にはめられた指輪に向いた。

 鷲に羽ペンの紋章が刻まれている。

 テナーは居住まいを正すと、声をかけてきた男性に向けて丁寧に頭を下げた。

「英雄殿に名前を知っていただけているとは、光栄だよ」

 アランは穏やかな微笑を浮かべ、右手を胸に添えてテナーへ返礼する。

 学生時代、一度だけ遠目で姿を見ているが、直接の接点はない。

「私が君の名前を知っていることが意外かい? 社交界では君の話題で持ち切りだよ」

 テナーは寸でのところで口を閉ざした。

 明日から、テナーは正式にルクルの護衛騎士となる。今後は身の振り方に気を付けねばならない。

「一介の騎士である私が皆様の話題に上るとは光栄ですね」

 口調が皮肉混じりになってしまったのは、致し方ない。先にこちらの神経を逆撫でしてきたのはアランである。

「何を言う。齢若干十五歳にして小隊長に就任し、『王国最強の騎士』の異名を持つほどの剣術を備えた立派な騎士だと、アトル騎士団長も自慢していた。そんな君が王都に戻ってくると聞いて、ぜひ話をしてみたくてね。こうして授与式にも参列させてもらったんだ」

 アランの物言いは本心だろう。目元の皮膚が緩やかなしわを刻む。貴族の社交辞令ならば、目元にしわを刻むほど顔の筋肉を動かさない。ささやかな変化だが、社交界で近づいてきた数多の貴族の顔色を見てきたテナーには十分だった。

「過分なお言葉、恐れ入ります」

 テナーは素直にアランへ頭を下げた。

「テナー・ルクエス。少しいいか?」

 背後から、アトル騎士団長に声をかけられた。

「王太子殿下がお呼びだ」

 アトル騎士団長がアランにそっと会釈を寄越す。

「ああ、行ってくるといい。つい長話をしてしまった。王都に着いて間もない上、第二王子殿下の護衛騎士を任されるんだ。しばらくは何かと立て込むだろう」

 アランは軽く肩をすくめると、そっとテナーに笑いかけた。

「落ち着いたら、ぜひまた話そう。ヴァネッサでの活躍を、君の口から聞きたい」

「はい。機会がございましたら、ぜひ」

 アランはテナーに軽く手を振ると去っていった。

 テナーは詰めていた息をそっと吐き出す。

 貴族の中でも相手は公爵だ。まして、クレティタン公爵はヴェルナンド王国の軍部、外交の中核を担っている。時には現王から一切の裁量権を委任されるほどの逸材だ。

 現ヴェルナンド国王も実弟である彼を無碍に扱うわけにはいかない。

 緊張するなという方がおかしい。

「……お前、公爵とは顔見知りだったのか?」

 アランとのやり取りを見守っていたアトルが、やや意外そうにこちらを見た。

「いえ、先程初めて言葉を交わしました。もっとも、公爵の方は私の経歴をご存知のようでしたが……」

 第二王子の護衛騎士に任命された騎士が一時期社交界を騒がせた麗しの女騎士で、かつ辺境の地から王都へ舞い戻った「異端児」である。公爵としても、テナーが王都を離れた後の経歴実績を調べ上げるくらいのことはするだろう。

 アルトに続き、テナーは王城内の廊下を進む。毎度思うが、何故こうも王族の住む城というのは無駄に廊下が長いのか。

 テナーは柱の数を数えることで気を紛らわせ、王太子の執務室の扉をくぐった。

 王太子ルト・ヴォレス・ヴェルナンドは執務室の長椅子に腰を下ろしていた。ゆったりとくつろぐ彼の傍には副団長のリックの姿もある。

 まさか騎士団長のみならず、副団長までもが同席しているとは思わず、テナーはやや身構えた。

「そう警戒しないでほしい、ルクエス卿」

 こちらの緊張を和らげようとする心遣いはありがたいが、当の本人の浮かない表情が全てを台無しにしている。ルトの両脇を固めるアトルとリックの表情も硬い。

 こんな雰囲気の中でリラックスしろ、などどだい無理な話だ。

「ここは公の場ではない。私はあくまで個人的な用件で貴殿を呼び出したに過ぎない」

 それが一番厄介なんだが?

 テナーは内心で思わず毒づいた。

 王族の護衛騎士に任命されたからといって、テナー自身は一介の騎士でしかないのだ。そんな護衛騎士相手に、王太子がその地位と権威を介さずに直々に頼み事とは……絶対ロクなことじゃない。

「今回、ルクエス卿をルクルの傍につけたのは、貴殿にあの子をあらゆる凶刃から守ってもらいたいからなんだ」

 案の定、ルトの口から出たのは不穏な言葉だった。

 テナーがちらりとアトル、リックの表情を窺う。二人の表情は変わらず険しい。

「五年前からだ。弟ルクルの暗殺未遂が後を絶たない」

「第二王子殿下の暗殺……ですか」

 テナーは己を見つめるルトの視線を真っ向から受け止める。

 王太子であるルトと第二王子であるルクルは母親が異なる。

 ルトは先の王妃の子どもである。先代の妃はルトを産んだ後、流行り病を患い、息を引き取ったと聞いている。

 その後、王家に迎え入れられたのがルクルの母親であるクーレン伯爵令嬢だ。彼女はもともとルトの母親に仕えていた侍女で、ルトのことも我が子のように可愛がっていた。

 そのため、現・ヴェルナンド王は彼女を後妻として受け入れ、同時に王位継承問題によって兄弟たちが争うことのないよう、早々にルトを王太子に封じた。

 世間では、ルトとルクルは実の兄弟のように仲がいいと言われている。

「まずはこの場ではっきりさせておく。私はルクルを害することは決してしない。なんなら、教会の神官たち立ち合いのもと、『誓い』を立てるのでも構わない」

 ルトの語気は強い。それは王太子としての立場からというより、兄として弟を害することは考えられないと主張しているようにも思える。

 しかし、状況はルトの思いとは裏腹なようだ。

 第二王子であるルクルの暗殺未遂が増えたということは、当然最初に疑われる相手は王太子であるルトであり、ひいては彼を擁護する先の王妃を支援してきた貴族たちだ。

 となれば、第二王子であるルクルを擁護する側も黙っているわけがない。

「意図的に、王位継承問題を引き起こそうとしている者がいる、ということですね」

 ここ数年の害獣騒動により、ヴェルナンド王国はその沈静化に莫大な資金を投入している。だからこそ現王は他国との戦争を回避するために、国交条約を積極的に交わしていた。騎士の育成にも精力的であり、テナーのように素質のある人材ならば女性でも騎士として登用する。

 現王の柔軟な施策姿勢があったからこそ、ヴェルナンド王国の治世は安定しているといえる。

 そこへ波風を立てたがる者がいるとすれば――

「貴殿の言う通りだ。本来なら、王位に近い人間を消したほうが確実だからね」

 自嘲気味な笑みを浮かべるルトに、テナーも頷く。

「ルクルの暗殺を試みる連中が望むのは、王家と、王家を取り巻く貴族たちを巻き込んだ政治不信だ。ヴェルナンド王国の治世が揺らげば……この国を奪うのはさぞ容易いだろうからね」

 次の戦場は王宮だ、とテナーに告げたアトルの言葉が、今更重みを帯びて両肩にのしかかってきた。

「だからこそ、ルクエス卿にルクルを任せたいと考えた」

 ルトはテナーの目を見つめたまま、その顔に笑みを浮かべた。

「貴殿は社交界で他家との繋がりもない。そして騎士団入隊後は、ヴァネッサへの配属を自ら志願したと聞いた。熟練の騎士でも、ヴァネッサ行きを渋るというのに……貴殿は己の危険を顧みず、戦場に身を投じることができる勇敢さを兼ね備えている。周囲の言葉に惑わされることなく、自身の判断で国益となる最短経路を即座に判断できるだろう。貴殿以外に、ルクルの護衛騎士にふさわしい人物はいない」

 ルクルのことを第一に考え、貴族らの諫言に惑わされることなく、確かな実力で敵の凶刃をはね退ける騎士。

 ルトが求めるルクルの護衛騎士に、テナーはうってつけなのだと熱心に語っていた。

「そのような事情があるのであれば尚更、私めにその大任は不適切かと存じます」

 一通り、ルトの話に耳を傾けていたテナーは断言した。

「おい、テナー!」

 咄嗟に身を乗り出すアトルを、ルトが片手を上げて制した。

「まず、暗殺の危険がある時点で、熟練の護衛騎士を傍に置くことが求められます。ほんの一か月前まで、前線で害獣相手に剣を振るっているような粗暴者を王族の護衛に付けるのは得策ではありません」

 王宮での戦いは常に水面下だ。相手の失脚を狙った陰謀が渦を巻き、殺害方法も暗殺が主流。

 前線での戦い方とは根本的に手段が異なる。王宮での戦いに関する対処法を身に着けるには、一朝一夕でどうにかなるものではない。

テナーの指摘に、ルトは満足そうな表情で頷いた。

「即座に己の力量と適正を客観的に判断することができる者はそういない。それに……傍に騎士を置くなら貴殿がいいと言ってきたのは、他でもないルクルなんだよ」

「ルクル殿下が、ですか?」

 テナーは眉を顰め、首を傾げる。

「貴殿はネイシス学院の出だ。ルクルの在学期間を考えても、接点はあったのではないか?」

「確かに在学期間だけ見ればそうですが……恐れながら学生時代、私と第二王子殿下との交流はほぼございませんでした」

 ルトの指摘に、テナーも言い返す。

 会っているはずだと言われても、せいぜい、遠目にその姿を見かける程度だった。

 ルクルの傍には、それこそ数多の令嬢や令息が取り巻いており、テナーのような者がおいそれと近づくことなど憚られた。

 一度も、直接言葉を交わしたことのない相手に対し、自分の命を預けるような真似ができるだろうか。

「普段、人と距離を取るばかりのルクルが、初めて熱望した騎士が貴殿だった。私はそれだけでも、今回の人選に間違いはないと思えるよ。ルクルは、私以上に人を見る目は確かだからね」

 どこか自嘲気味に呟くルトに、テナーは慰めも肯否も示さなかった。ただ、テナー自身は納得がいかない。そんな理由で、王宮に放り込まれるなど、こちらとしては大いに不満である。

「しかし、ルクル殿下の安全を第一に考えるならば――」

「ルクルから聞いたことがある。なんでも、貴殿の武芸にほれ込んだと話していた。そんな貴殿になら、私も弟のことを任せてみようと思えた。だからこそ、貴殿に弟の現状について話したんだ」

 ルトは椅子から立ち上がると、テナーの右手を取る。思いのほか、強い力で握られた。

「どうか、弟を頼む」

 一介の騎士に頭を下げる王太子の表情には、切実さが滲んでいた。

 そんなルトの表情を前に、テナーはただ諾と答えるしかなかった。


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