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Episode6 「女騎士の戸惑い」

 王宮内の政情は、テナーが考えている以上に複雑で、非常に厄介らしい。

 騎士爵授与式の翌日。

 初日からげんなりした顔つきで、テナーはまだ朝の早い時間に王城の門をくぐった。

 騎士団の制服である紅い外套を脱ぎ、代わって支給された白い護衛騎士の制服に身を包んでいる。服の色が変わった程度の変化だが、テナーにはひどく居心地が悪かった。

 出勤前に軽く身体を動かそうと、テナーは一気に城壁を駆け上がる。城壁の縁に辿りつくと、腕を組んで城内を見下ろした。

 ルクルの過ごす白百合宮は、正門から徒歩二、三十分程度の距離だ。手入れの行き届いた庭園が、季節折々の花を咲かせている。確か、現王妃が先代王妃をしのんで、先代王妃の住まう宮殿から一部の花木を移植したと聞いたことがある。

 現王妃と王太子の関係については、一介の騎士が知りえることではないが、傍目から見た印象だけなら良好と言えた。

「それにしても、随分と質素な建物だな……」

 白百合宮の外装は均一である。白い外壁に青い塗料で彩色を施された様相は、王太子や王妃、国王の宮と比べても質素の一言に尽きる。

「社交界の華」と名高い第二王子が倹約家だとは聞いたことがないが、進んで無駄な浪費をする性格でもないのだろう。

「案外、それが利点に働いているのかもしれないな」

 テナーは白百合宮の外装をもう一度眺め、頷いた。

 外装のデザインが統一されているということは、外から眺めているだけでは誰がどの部屋を使っているのか、一目で判断することが難しいということだ。

 テナーは次いで、王城内の建物、行き交う使用人たちの動きを目で追う。

 護衛騎士としての経験が皆無とはいえ、テナーもヴァネッサで小隊長として町の治安維持に勤めていた経験を持つ。

 人間の歩き方、視線の向き、談笑する仕草などから、ある程度怪しい動きを判別することは可能だ。

 護衛騎士としての実務経験がない以上、今テナーが頼りにできるのはヴァネッサで培った己の経験だけである。

「まぁ、初日はこんなものだろう」

 偵察は戦場におけるもっとも大事な職務である。

 テナーは一通り城内を観察すると、そのまま城壁から落下する。空中で姿勢を整え、難なく着地した。

 そのまま、何食わぬ顔で白百合宮へと足を向けた。

「本日付けで、第二王子殿下の護衛騎士に就任いたしました。テナー・ルクエスと申します」

 テナーが白百合宮へ到着すると、出迎えの侍女が出てきた。こちらが敬礼すると、侍女もまた丁寧な仕草で返礼する。

「テナー・ルクエス様。お待ちしておりました。さっそく殿下のもとへご案内いたします」

 テナーは出迎えた侍女の手元を見つめる。小刻みに震える手は、怯えによるものだろうか。手荒れもひどい。衣服は上等だが、裾や襟などに薄っすらとシミ汚れが残っている。

「はい、お願いします」

 テナーは社交界での経験を記憶から引っ張り出し、柔和な笑みを浮かべる。

 すると、それまで緊張していた様子の侍女の目が熱を帯びる。呆けたようにこちらを見つめる様子に、テナーは手ごたえを感じた。

「使用人の皆様は、この時間帯、全員出払っているのですね」

 白百合宮のエントランスから二階へ上がりながら、テナーは案内の侍女へ積極的に話しかける。

「い、いえ……白百合宮はもともと使用人が少ないのです」

 侍女は苦笑を浮かべた。テナーはこの話題に、もう少し踏み込む。

「なんと。人員の補充は望めないのですか? 第二王子殿下の宮の使用人が少ないなど、周囲から何と見られるか……」

「ルクル殿下自身が、あまり人を傍に置こうとなさらない方です。ルクエス卿もご存知の通り、殿下は見目が大変麗しゅうございますので」

「……なるほど」

 侍女の含みある物言いに、テナーも苦い表情になった。

 令嬢人形ベベドールのような愛らしい容姿を持つルクルは、常に令嬢たちの関心を引き寄せていた。何かと気苦労も多いのだろう。

 テナーも容姿を理由に王都を飛び出した身だ。ルクルに妙な親近感と共感を覚える。

「殿下、ルクエス卿をお連れ致しました」

 侍女がとある部屋の前で立ち止まる。

「いらっしゃい!」

 中から明るい声が応じた。侍女が扉を開けてテナーへ頭を下げる。テナーは礼とともに、扉をくぐった。応接間だろうか。部屋の中に入ると、ふかふかの長椅子ソファに腰かけていたルクルがこちらを振り向く。

 そのまま、立ち上がるなりテナーへ飛びついてきた。

「で、殿下⁉」

 テナーは咄嗟に己の腰に抱き着くルクルを受け止める。

「本物だ! 本物のルクエス卿だ!」

 心の底から嬉しそうに笑うルクルに、テナーは出鼻をくじかれたように呆気にとられていた。幻覚でも見ているのか。ルクルの周りに咲き誇る白百合が咲いている気がする。

「あ、ご、ごめんね。うれしくてつい……」

 ルクルはサッとテナーから離れる。

 テナーもしっかりと礼法に則ったお辞儀を返した。

「初めまして、ルクル殿下。テナー・ルクエスにございます。殿下の護衛をつとめられること、身に余る光栄でございます。この命に代えましても、殿下をお守りする所存です」

「うん! よろしくね! ぼくの騎士様!」

 無邪気に笑うルクルに、テナーの方が気後れする。

 なんか、妙に懐かれている?

 不信感よりも、驚きの方が勝った。

 テナーは高身長で令嬢としては体つきもしっかりしている。肩幅もそれなりにあり、おまけにやや釣り目がちな双眸も相まって、異性には「生意気面」と揶揄されることがしばしばだ。

 第一印象で、まず好意的な態度を取られたことはない。

 ルクル殿下が社交的な性格だとは聞いているが……ここまで私を歓迎する意図はなんだ?

 テナーがルクルの行動の意図を分析していると、ルクルがテナーの手を取った。

「来て、ルクエス卿。宮内を案内するよ!」

「は? で、殿下が直々にそのような……後程、この宮の侍従に伺いますので!」

 我に返ったテナーは慌ててルクルに告げる。王族に道案内をさせるなど、騎士としてあるまじき行為だ。臣下としてテナーは当然の主張をしたのだが、ルクルは何故かひどく落ち込む。

「ぼくが案内したいんだ。ルクエス卿は、迷惑だった?」

「い、いえ! 断じてそのようなことは……ただ、殿下の御手を煩わせるわけには――」

「なら問題ないね! ぼくが案内したいんだもの! ついてきて!」

 テナーの腕を引き、ルクルが執務室を飛び出す。

 テナーは咄嗟に侍女を振り向く。ここに来るまでやや硬い表情だった彼女は、目を大きく見開いてこちらを凝視していた。

 侍女の異様な態度を疑問に思いつつ、テナーは話しかけてきたルクルに意識を戻す。

「まずは三階ね。ここには書庫とぼくの執務室、応接間がある」

 テナーはすぐさま宮内の見取り図を頭の中に叩き込む。ルクルは上機嫌で、テナーの質問にも律儀に答えてくれた。

 まるで、新しい護衛騎士おもちゃに夢中の幼子のようだ。

 テナーは自分の手を掴むルクルの手を見つめる。剣など握ったこともないような、綺麗な手だった。柔らかく、幼子のように艶々している。

 ルクルの袖口や襟を彩る繊細な透かし模様が、愛らしい彼の容姿にぴったりだ。

 本当に、憎らしいほど愛らしい方だ。

 テナーの中でまた、苦いものがせり上がってくる。

 ヴァネッサで焼き捨てた令嬢人形も、透かし模様をふんだんにあしらったドレスを身に着けていた。自分が纏うにはあまりに不釣り合いなものを、目の前の異性は平然と着こなしている。

 この人は、自分の容姿に絶対の自信を持っているのだろう。だからこそ、自由に溌溂と振舞えるのだ。

 テナーはグッと唇を噛み締める。

 こういう人間が、一番嫌いだ。

「ルクエス卿? 今までの説明で分かりづらいところでもあった?」

 押し黙ったテナーを不審に思ったのか、ルクルがこちらを振り返った。

「いえ、殿下の案内はとてもわかりやすいです」

 テナーは即座に社交的な笑みを浮かべる。

 いけない。感情に振り回された。

 今は仕事中である。私情で頭を悩ませている場合ではない。

 テナーは気持ちを切り替えた。

 ルクルの案内のおかげもあり、白百合宮内の見取り図はなんとなく把握した。あとは、ルクルの公務に付き添う際での護衛の数や使用人の配置などを把握すればある程度のことには対処できるだろう。

「何かわからないことがあったら、いつでも声をかけてね」

 ルクルの言葉に、宮内を見回していたテナーは視線を彼に戻した。

「ぼくのわがままで、ルクエス卿は赴任地から王都に帰還して間がなかっただろうし、ゆっくり休めてなかったよね。今回は初日だし、まずはルクエス卿が納得するまで、自由に動いてくれて大丈夫だから」

 ルクルの無邪気な笑みを前に、テナーはつきかけたため息をグッと堪える。

 やっぱり、この人は苦手だ。

 騎士として、私情で相手を評することは礼儀に反するが、それでもルクルの真っ直ぐな厚意にテナーは戸惑ってしまう。

 初めてとはいえ、護衛騎士に対してここまで親身になって接する主などいない。

 ましてやルクルは王族だ。

 何かテナーから得たいものがあって、打算的な考えで行動している可能性もあるが、辺境地ヴァネッサから帰還したばかりのテナーから得られるものなど大した価値もない。

 何より、初対面の異性から親切にされることが、テナーには不思議で仕方がなかった。

 学生時代も、やれ「俺の女に手を出すな」とか、「女のくせに生意気だ」とか、いきなり喧嘩を吹っ掛けられてきたからなぁ……。

「殿下のご厚意に感謝いたします。では、しばし宮内を散策させていただきます」

 テナーは事務的に、そう伝えるのがやっとだった。

 仕事として割り切らなければ、目の前のルクルの厚意を常に疑ってしまう。

 本当に質が悪い。

 天使と呼ばれるほどの微笑を向けられては、誰もルクルに悪感情を抱かない。兄であるルトがルクルの身を過剰なほど案じるのも納得がいく。

 そんな本人の気持ちとは関係なく、周囲の人間によって翻弄されるルクルや王太子の様子は、貴族や平民たちからしても同情を誘うのに十分だ。

 ルクルを警戒するテナーですら、常に暗殺の危険にさらされている彼に言い知れぬ憐憫の情を抱いたほどだ。

 せめて、兄弟が互いに剣先を向けることがないよう、私にできることをしよう。

 テナーは自分の気持ちを引き締めた。

 剣を振り回しているせいですっかり硬くなった手のひらに、ルクルの柔らかい手のぬくもりが伝わってくる。

 私はいつだって「守る側」に立つ人間だ。それを忘れてはならない。

 自戒も込め、テナーは前を進むルクルの先に広がる、うっすらと陰になった宮内の廊下を静かに見据えたのだった。


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