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Episode19 「麗しき鎧」

 クレティタン公爵邸は、王城に隣接した中央区、貴族の邸宅が立ち並ぶ一等地の中心に構えている。

 白壁に南方の植物を模した繊細な金の彫り物を施し、柱や噴水に使用した大理石は西方の鉱山で産出されるもので、王宮のエントランスホールにも使用されている。

 門前に掲げられた旗には、鷲に羽ペンの紋章が描かれている。

 王家の紋章が風獅子を掲げているならば、その傍系は鷲の紋章を賜るのが慣例であるからだ。

 公爵邸の円形広場ロータリーに続々と馬車が滑り込む。その中で、白い塗装に、風獅子の紋章が掲げられた馬車が公爵邸の門をくぐった。

 パーティーに呼ばれた貴族たちの視線が白い馬車に集中する。

「おお、久しぶりですな。第二王子殿下がいらっしゃるなんて……」

「暗殺未遂の一件以来、めっきり社交場へ顔をお見せにならなくなりましたものね」

「今度、うちで開かれるパーティーにもご招待したいわ」

 人々の熱い視線が注がれる中、御者によって馬車の扉が開かれる。

 すると、中から鮮やかな青いドレスコートを纏ったルクルが姿を現した。

 口元に浮かべた甘い笑みが、若い令嬢たちの視線をすべて攫ってしまう。

 以前ならば、周囲の令嬢に微笑を向ける彼だったが、ルクルは馬車を降りるなりすぐに背を向けてしまう。

 馬車の中へしきりに声をかけ、腕を差し伸ばしていた。

 何やら押し問答をしていた様子だが、やがて、ルクルの手に揃いの色の手袋をした手が添えられた。ルクルに手を引かれ、馬車から姿を現したのは、見たことのないご令嬢だった。

 長いはしばみ色の髪を緩く編み上げ、恥じ入ったように伏せがちな金糸雀の羽色の双眸が艶めかしい。身体のラインに沿った空色のドレスは彼女の肢体をより際立たせていたが、金糸雀の胸飾りが令嬢としての品を保っていた。

 何より、尾長鳥のように美しいドレスの襞飾りが、彼女の腰から足元にかけて流れるように広がっている。

「まぁ、初めて見るドレスですわね」

「どこのブティックのものかしら?」

 令嬢たちの視線も、ルクルにエスコートされる令嬢に釘付けだ。

「ほら、胸を張って。君は十分、美しいのだから」

 ルクルは緊張で表情が硬いテナーにそっと囁きかける。

「本当に、不格好に見えませんか?」

 テナーはルクルに手を引かれたまま、目があちらこちらに泳いでいる。白百合宮でカロナに身支度を手伝ってもらっていた時からずっとこの調子だ。

「何度も言ったでしょ。君のその高身長こそ、実はドレスを引き立たせるのに最大の武器になるって……ほら、そうやって周囲の視線を気にしすぎると、また猫背になるよ。君は背筋を伸ばして、ただ前を真っ直ぐ見ていればいいんだよ」

「はぁ……?」

 いまいち納得いってない様子だが、テナーはルクルの助言に素直に姿勢を正した。

「それとも、ぼくの贈ったドレス、嬉しくなかった?」

 ルクルが首を傾げる。上目遣いに見つめてくる彼に、我に返ったテナーは大げさなほど首を横に振った。

「いえ、まったくそんなことはっ! ただ……夢みたいでして……」

 テナーはほんのりと頬を赤く染めている。その双眸には、隠しきれない喜色が溢れていた。

「正直、諦めていたんです。幼い頃から、レース飾りや愛らしいデザインのドレスは、似合わなかったので……苦手だったダンスも、殿下は私に合わせてくださいますし……」

 成人してからは、ドレスそのものに袖を通すことも少なくなった。

 テナーの身長ではどうしても既製品はサイズが合わない。

 何より、ダンス指導の先生からもよく指摘されていたが、テナーは一般的な淑女たちのように歩幅を狭くすることがかなり難しい。

 すらりとした長い手足はそのままなら均整がとれているが、パーティーで男性のエスコートを受ける場合は男性よりも半歩後を進む仕草を意識しなければならない。

 幼い頃からテナーは何度も練習を重ねてきたが、結局、不格好になって終わるばかりだった。

「君が教わったというダンスの指導役が、たいしたことなかったんだよ」

 ルクルがくすくすと無邪気に笑う。

 テナーは同意も、否定もできず、ただ困った顔で己の主を見下ろした。

「……そう、でしょうか?」

 自信が持てず、どうしても窺うような返答になってしまう。

「そうだよ。だってテナーの良さを伸ばさず、自分の基準でしか相手に助言ができないんだもの」

 ルクルの指先が、テナーの手の指先をそっと撫でた。手袋越しに爪先を指の腹で撫で、次いで指の側面を擦るように触れてくる。

 はたからは気づかれない、ルクルのふれあいにテナーは顔が真っ赤になった。

 ルクルの動作ひとつで翻弄される自分にも呆れるが、何より人目のある場所で、人目を忍ぶように悪戯を仕掛けてくるルクルの奔放さにも困ってしまう。

 どう反応すべきか、迷うじゃないか……。

「やぁ、ルクル。よく来たね」

 テナーが一人葛藤していると、喜色を含んだ声がテナーとルクルを出迎えた。

 白薔薇勲章を授与された際にも見た男性が、エントランスホールに佇んでいた。

 両手を広げ、テナーとルクルの傍に歩み寄ってくる。

「叔父上、この度はおめでとうございます」

 癖のない茶髪に黒い瞳の公爵は、その淡い笑みを浮かべて己の甥に応えた。

「ありがとう。ルクエス卿も、またお会いできて嬉しい」

「この度はご招待いただき、ありがとうございます。公爵様」

 テナーはドレスの裾を摘まむと、優雅な仕草で一礼する。

 途中、よろけてしまわないか心配したが、猛特訓したかいがあった。

「見違えたよ。普段の騎士然とした雰囲気のルクエス卿は凛々しく、淑女としての貴女はじつにたおやかだ」

 公爵の言葉に、テナーは愛想笑いで返す。

「お褒めにあずかり、光栄です」

 これ以上、公爵と話をしていたらボロが出かねない。

 テナーは助けを求めるようにルクルを見た。

「では、叔父上。パーティーが始まるまで庭を散策させていただいても?」

「ああ、構わないよ。東の温室付近は招待客の出入りを禁止しているから、そちらで少し息抜きをしてくるといい」

 ルクルの申し出に、公爵も人のいい笑顔で頷いた。人目のつかない場所を勧めてくれたことにテナーはホッとする。先程から、ご令嬢方の突き刺さるような視線に耐えかねていた。

 公爵邸の通路から庭へと通じる回廊へ出る。すると、それまで何かをこらえるように肩を震わせていたルクルが、声を上げて笑い出した。

「ははは、ルクエス卿。これでしばらく君は社交界の話題の中心だね!」

 ルクルがくっくと喉を鳴らす。

 何がそんなに面白いのか。

 テナーは怪訝な表情でルクルを見つめ返した。

「あはは、気付かなかった?」

 ルクルが目じりにたまった涙を指先で拭うと、収まりきらない笑いを必死に噛み殺す。

「ぼくが何故、『社交界の華』なんて呼ばれているか知っている? 普段、ぼくはいかなるパーティーにもご令嬢をパートナーとして連れ立ったことがないからだよ」

「そうなのですか。それはまた、なぜ?」

 テナーはルクルの物言いに首を傾げる。

 ルクルは苦笑した。

「第二王子とはいえ、王族が同伴者を連れていると、『婚約者』として見られるからね。現にぼくはまだ『婚約者』のいない身だ。特定のご令嬢を連れ歩くつもりはない。ある一人を除いて、ね」

 ルクルが片目をつむったところで、テナーは咄嗟にルクルから一歩身を引く。しかし、それを見越したかのように、ルクルがテナーの手を握る力が強まった。

「叔父上も素晴らしい人だよね。ちゃあんっとぼくの意図を察して、あえて二人きりになれる場所を勧めてくれたんだもの」

「お、お飲み物でも貰って来ます!」

 テナーは踵を返すが、腕を引くルクルがそれを許さない。

「あはは、ルクエス卿も諦めが悪いよねぇ」

 心底、この状況を楽しんでいる。

 ルクルは振り向いたテナーに、手袋越しで彼女の手の甲に唇を寄せる。

「そろそろ、ぼくの求愛に応じてくれてもいいと思うんだけどなぁ」

 僅かに手の甲から離した唇から、ルクルはちろりと舌を覗かせる。欠けた銀月の光を受けた彼の横顔は、ひどく艶めいていた。

「殿下……私はあなたの護衛騎士。それ以上でも、以下でもありません」

 テナーは恥ずかしさからルクルに視線を外し、明後日の方へ顔を向ける。

「今回は、護衛する上で殿下のパートナーであった方が、何かと都合がいいという利点での一致でご一緒したまでです」

 早口でまくしたて、自分の言葉に胸がツキリと痛んだ。その痛みに、必死で目をそらす。

 命令することもできるのに、あえてこう回りくどいやり方をされると、テナーはルクルにどう接するべきかわからなくなる。

 いっそ、命じてくれたなら楽だったかもしれない……。

 王族であるルクルが、「婚約者になれ」とテナーの意思を無視して命じてくれていたなら、身分の低いテナーは命令に従わなければならない。悩まずに済むのだ。

 しかし、ルクルは残酷にも、テナーに選択の余地を残す。

「ぼくは、君の口から『答え』を聞きたいんだ。もちろん、君の意思なら、ぼくを拒んでくれても構わないよ」

 薔薇園でテナーの力が暴走した時、彼は両手に傷を負いながらもそうテナーに囁いたのだ。

 以来、テナーはルクルの傍にいると落ち着かない。

 ルクルがテナーに普段通りに接してくれているから、表面上取り繕うことはできているが、それも徐々に難しくなっている気がする。

 私も、乙女のように胸を弾ませることができたんだな……。

 テナーは齢十七にして、己の意外な一面を知った。


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