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第2話  普通の風景

 朝。ギルドに一番乗りするのは、私――マリエルだ。

「おはようございます」と小さく声を出しながら、カウンターの椅子に腰掛ける。

昨日の残りの伝票を片付け、今日の依頼書を点検する。ギルドの窓から射し込む光が、手の甲を透かして通り抜けるのも、もうすっかり見慣れた風景だ。


 ギルドの一日は、静かな朝から始まる。

 朝のうちだけは、まだ誰も慌ただしくなく、カウンターに広げた紙とインクの匂い、床を掃く音がゆっくりと響いている。

 私は、そんな空気が大好きだ。


「おはよう、マリエル」


 扉の奥からベテラン受付嬢のリナさんが、ポニーテールを揺らして入ってくる。

 彼女は元冒険者らしく堂々とした雰囲気で、でも受付業務に入るととても頼りになる。

「おはようございます、リナさん。今日もよろしくお願いします」

「今日も一番か。ほんと、あんたがいると準備が早くて助かるよ」

「恐縮です」


 ギルドの受付は、朝イチでやることがたくさんある。

 依頼書のチェック、冒険者名簿の確認、カウンターの清掃。私は、そんな準備が誰よりも早い自信がある。……なぜなら、徹夜しても全然疲れないからだ。


「おっはよー、マリエルちゃん! おお、今日も透けてるね!」


 そこに元気な声。ミレーヌさんが笑顔でやってくる。今日も制服を大胆にアレンジして、リボンやフリルをなびかせている。

「おはようございます、ミレーヌさん。今日の髪飾り、とても似合ってます」

「でしょでしょ? あ、今度はマリエルちゃんにもメイド風とかやってみたいな!」

「……鏡に映らないので、似合っているか分からないかもしれませんが……」

「え?」

「いえ、なんでもありません」


「おはようございます、マリエルさん」


 そっと声をかけてくれるのはユウさん。彼は男の娘だと噂されているけれど、とても丁寧で仕事熱心だ。

「おはようございます、ユウさん。今日は地図作成の依頼も多いようですね」

「マリエルさんにそう言ってもらえると、何だか自信が出ます」

「ふふ、応援してます」


 朝が苦手なミレーヌさんとユウさんも、リナさんの「コーヒー淹れるよ」の一言で一気に目が覚めたように動き出す。


 しばらくしてギルドの扉が開くと、冒険者たちが三々五々やってきて、いよいよ本格的な一日の始まりだ。


「お、今日は“怨霊ちゃん”がカウンターか! この依頼、頼むぜ!」


 常連の冒険者ハロルドさんが、私のカウンターに駆け寄ってくる。

 “怨霊ちゃん”――それが私のあだ名だ。最初は少しびっくりしたけれど、みんなが親しみを込めてそう呼んでくれるなら、悪くない。

「おはようございます、ハロルドさん。依頼の内容をご確認ください」

「怨霊ちゃんだと、絶対にミスないから安心だわ! あ、書類もこっちでサインしとくよ」

「ありがとうございます。今日もお気をつけて行ってらっしゃいませ」


 他にも、グレンさんやラルフさん、冒険者仲間たちが次々とカウンターに並ぶ。

 「今日も頼むな、怨霊ちゃん!」「最近、カウンターの花が一番綺麗に見えるわー」

 皆、私のことを不思議と気にせず、普通に接してくれる。

 時々、「霊の加護か、依頼の成功率が上がる」と冗談を言う人もいるけれど、本気で怖がる人はいない。


 ……ただし、例外もある。


 遠くからやって来た旅人冒険者や、新しく入った新人受付嬢は、私を見ると目を丸くして驚くのだ。


「えっ……今の人、透けてませんか?」


 新人のナナさんが、リナさんに小声で尋ねている。


「大丈夫。うちは“怨霊ちゃん”がいなきゃ仕事回んないから」


「いや、そもそも“怨霊ちゃん”って呼び名もおかしいですよね……?」


「なあに、慣れれば普通だよ。ギルド勤めなんて、慣れがすべてだし」


「普通って何……?(小声)」


 そんなふうに新しい人が困惑しているのも、最初だけだ。

 しばらくすれば、私がこのカウンターにいるのが当たり前だと思ってくれるようになる。

 気付けば、誰も不思議に思わなくなる――死者が受付をしていることすらも。


「さて、そろそろ休憩の時間ですね」


 私は手元の時計を確かめる。正確には、時間の感覚は人間と少し違うのだけど、皆に合わせて“休憩”も取ることにしている。

 徹夜しても眠くならない。疲れない。だから本当は、ずっと仕事をしていてもいいのだけれど――。


 休憩室に入ると、ミレーヌさんがクッキーの皿を差し出してくれる。

「マリエルちゃんも食べる?」

「……お気持ちだけ、いただきます」

 霊体なので味が分からないのが残念だが、それでもこうして皆と過ごす時間が、私はとても好きだ。


 ギルドは、朝も昼も夜も賑やかで楽しい。

 受付の仲間も冒険者も、みんな優しくしてくれる。

 でも、新しく来る人だけは、私を見るとちょっとだけおびえた顔で、そっと他のカウンターに並ぶ。

 ――どうしてなんでしょうね?


 カウンターに戻って、また仕事を始める。

 書類に向かってペンを走らせながら、ふと窓ガラスに自分が映らなくなったことを思い出す。

 でも、私は笑顔を絶やさず、今日も、ここで皆の役に立ちたいと願う。


 この場所で働けていること。

 誰かに必要とされていること。

 それが、私の生きがい――**死んでるから……死にがい?**なのです。


 ――こうして今日も、いつものギルドの朝が始まる。


 死者が受付にいることさえ、当たり前になった不思議な日常の中で。



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