朝。ギルドに一番乗りするのは、私――マリエルだ。
「おはようございます」と小さく声を出しながら、カウンターの椅子に腰掛ける。
昨日の残りの伝票を片付け、今日の依頼書を点検する。ギルドの窓から射し込む光が、手の甲を透かして通り抜けるのも、もうすっかり見慣れた風景だ。
ギルドの一日は、静かな朝から始まる。
朝のうちだけは、まだ誰も慌ただしくなく、カウンターに広げた紙とインクの匂い、床を掃く音がゆっくりと響いている。
私は、そんな空気が大好きだ。
「おはよう、マリエル」
扉の奥からベテラン受付嬢のリナさんが、ポニーテールを揺らして入ってくる。
彼女は元冒険者らしく堂々とした雰囲気で、でも受付業務に入るととても頼りになる。
「おはようございます、リナさん。今日もよろしくお願いします」
「今日も一番か。ほんと、あんたがいると準備が早くて助かるよ」
「恐縮です」
ギルドの受付は、朝イチでやることがたくさんある。
依頼書のチェック、冒険者名簿の確認、カウンターの清掃。私は、そんな準備が誰よりも早い自信がある。……なぜなら、徹夜しても全然疲れないからだ。
「おっはよー、マリエルちゃん! おお、今日も透けてるね!」
そこに元気な声。ミレーヌさんが笑顔でやってくる。今日も制服を大胆にアレンジして、リボンやフリルをなびかせている。
「おはようございます、ミレーヌさん。今日の髪飾り、とても似合ってます」
「でしょでしょ? あ、今度はマリエルちゃんにもメイド風とかやってみたいな!」
「……鏡に映らないので、似合っているか分からないかもしれませんが……」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
「おはようございます、マリエルさん」
そっと声をかけてくれるのはユウさん。彼は男の娘だと噂されているけれど、とても丁寧で仕事熱心だ。
「おはようございます、ユウさん。今日は地図作成の依頼も多いようですね」
「マリエルさんにそう言ってもらえると、何だか自信が出ます」
「ふふ、応援してます」
朝が苦手なミレーヌさんとユウさんも、リナさんの「コーヒー淹れるよ」の一言で一気に目が覚めたように動き出す。
しばらくしてギルドの扉が開くと、冒険者たちが三々五々やってきて、いよいよ本格的な一日の始まりだ。
「お、今日は“怨霊ちゃん”がカウンターか! この依頼、頼むぜ!」
常連の冒険者ハロルドさんが、私のカウンターに駆け寄ってくる。
“怨霊ちゃん”――それが私のあだ名だ。最初は少しびっくりしたけれど、みんなが親しみを込めてそう呼んでくれるなら、悪くない。
「おはようございます、ハロルドさん。依頼の内容をご確認ください」
「怨霊ちゃんだと、絶対にミスないから安心だわ! あ、書類もこっちでサインしとくよ」
「ありがとうございます。今日もお気をつけて行ってらっしゃいませ」
他にも、グレンさんやラルフさん、冒険者仲間たちが次々とカウンターに並ぶ。
「今日も頼むな、怨霊ちゃん!」「最近、カウンターの花が一番綺麗に見えるわー」
皆、私のことを不思議と気にせず、普通に接してくれる。
時々、「霊の加護か、依頼の成功率が上がる」と冗談を言う人もいるけれど、本気で怖がる人はいない。
……ただし、例外もある。
遠くからやって来た旅人冒険者や、新しく入った新人受付嬢は、私を見ると目を丸くして驚くのだ。
「えっ……今の人、透けてませんか?」
新人のナナさんが、リナさんに小声で尋ねている。
「大丈夫。うちは“怨霊ちゃん”がいなきゃ仕事回んないから」
「いや、そもそも“怨霊ちゃん”って呼び名もおかしいですよね……?」
「なあに、慣れれば普通だよ。ギルド勤めなんて、慣れがすべてだし」
「普通って何……?(小声)」
そんなふうに新しい人が困惑しているのも、最初だけだ。
しばらくすれば、私がこのカウンターにいるのが当たり前だと思ってくれるようになる。
気付けば、誰も不思議に思わなくなる――死者が受付をしていることすらも。
「さて、そろそろ休憩の時間ですね」
私は手元の時計を確かめる。正確には、時間の感覚は人間と少し違うのだけど、皆に合わせて“休憩”も取ることにしている。
徹夜しても眠くならない。疲れない。だから本当は、ずっと仕事をしていてもいいのだけれど――。
休憩室に入ると、ミレーヌさんがクッキーの皿を差し出してくれる。
「マリエルちゃんも食べる?」
「……お気持ちだけ、いただきます」
霊体なので味が分からないのが残念だが、それでもこうして皆と過ごす時間が、私はとても好きだ。
ギルドは、朝も昼も夜も賑やかで楽しい。
受付の仲間も冒険者も、みんな優しくしてくれる。
でも、新しく来る人だけは、私を見るとちょっとだけおびえた顔で、そっと他のカウンターに並ぶ。
――どうしてなんでしょうね?
カウンターに戻って、また仕事を始める。
書類に向かってペンを走らせながら、ふと窓ガラスに自分が映らなくなったことを思い出す。
でも、私は笑顔を絶やさず、今日も、ここで皆の役に立ちたいと願う。
この場所で働けていること。
誰かに必要とされていること。
それが、私の生きがい――**死んでるから……死にがい?**なのです。
――こうして今日も、いつものギルドの朝が始まる。
死者が受付にいることさえ、当たり前になった不思議な日常の中で。