昼過ぎのギルドは、一日のうちで最も活気づく時間帯だ。
受付前には色とりどりの装備を身に着けた冒険者たち、商人風の依頼主たちが列をなし、
カウンターの中では受付嬢たちの明るい声が絶え間なく響いている。
私もその一員として、ひとつひとつの依頼に笑顔で応え、書類をさばいていく。
――この風景は、とても好きだ。
その日も、いつものように手元の依頼書に目を通していると、
ふと、カウンターの端に見慣れない顔が現れた。
あどけなさが残る少年冒険者だ。ぎこちない動きで列に並び、私の前に立つと、どこか緊張した面持ちで深呼吸をした。
「ご用件をお伺いしますね」
微笑んで声をかけると、彼は小さく肩を跳ねさせ、
両手でクシャクシャになった紙を差し出した。
「あ、あの……新規の冒険者登録に来ました!」
「承りました。では、お名前と年齢、それから得意な武器や魔法をこちらにご記入ください」
彼は一生懸命、欄を埋めていく。
その手が少し震えていることに気づき、私はさりげなく、ゆっくり話すよう心掛ける。
「ご不明な点があれば、何でもお尋ねくださいね」
用紙を受け取って内容を確認し、丁寧に手続きを進めると、彼の表情が徐々にほぐれてきた。
登録証を発行して手渡すと、彼は感激したように顔を輝かせた。
「すごい……本当に僕、冒険者になれたんですね!」
「はい。冒険者は仲間と協力し合って、さまざまな依頼に挑みます。無理のない範囲で、がんばってくださいね」
「ありがとうございます!……あの」
彼は急に私の顔をじっと見つめた。
「マリエルさんって、すごくきれいですね……」
「……え?」
突然の言葉に思わず動きが止まった。
周囲で他の受付嬢たちがちらっとこちらを見ているのが分かる。
常連冒険者のグレンさんが「お、今日も怨霊ちゃん狙いか?」なんて冗談を言い、
ミレーヌさんは「来た来た!伝説のナンパタイム!」と手を振っていた。
少年は恥ずかしそうに下を向いたが、勇気を振り絞るように、
早口で続けた。
「その……ギルドの仕事、きっと大変ですよね。でも、マリエルさん、いつも笑顔で……僕、こんなきれいな人、初めてで……」
「……もしよかったら、今度、一緒にお茶でも……」
一瞬、胸の奥がじわりと熱くなった。
誰かに「きれい」と言われたのは、もうずいぶん久しぶりだった。
「……」
気づくと、なぜか涙がぽろぽろと溢れていた。
「マリエルさん!? ど、どうしたんですか?」
「……ごめんなさい……取り乱してしまいました……」
少年はあわてて私にハンカチを差し出そうとしたが、私はそれを受け取らずに小さく頭を下げた。
カウンターの奥でリナさんが小さく首を振り、ミレーヌさんが「ナンパで泣かすとかやるじゃん!」と茶化している。
「ごめんなさい……本当は、生きているうちに……誘ってもらいたかったんです」
「え……?」
「私、病気で亡くなって……恋も、彼氏も知らないまま死んでしまいました。
気がついたらこうしてギルドの受付に……残っていて……」
自分で言葉にしながら、また涙が止まらなくなった。
「未練があって、成仏できなくて……ごめんなさい。処女のまま死んでしまったんです……恨めしいです……」
少年は、驚きと戸惑いの入り混じった顔で私を見ている。
「で、でも……その……デートくらいなら、お付き合いします!」
私は、ふと口元をほころばせて、少しだけ首を振った。
「ありがとうございます。でも、私と一緒にいると……呪われてしまいますよ?
だって怨霊ですもん」
「……“ですもん”って可愛く言われても……やっぱり、怖いっす……」
少年は戸惑いながらカウンターを離れ、隣のリナさんの元へ逃げていった。
「新人君、懲りずにまた来るかしら?」
「いや、あの顔はしばらく無理だと思うなぁ」
受付の仲間たちが楽しそうに囁き合う声を、私は背中で聞きながら、
深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
(どうして……死んでも、こんなに未練が残るんだろう)
自分で自分が不思議になる。
だけど、きっと――誰かに必要とされることが、嬉しくてたまらないのだ。
そんなことを考えながら、私はまたカウンターに立ち、次の依頼者にいつものように微笑みかける。
ギルドの喧騒のなか、私の日常と未練は、今日も静かに重なっていく。