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第3話  涙の理由

 昼過ぎのギルドは、一日のうちで最も活気づく時間帯だ。

 受付前には色とりどりの装備を身に着けた冒険者たち、商人風の依頼主たちが列をなし、

 カウンターの中では受付嬢たちの明るい声が絶え間なく響いている。

 私もその一員として、ひとつひとつの依頼に笑顔で応え、書類をさばいていく。

 ――この風景は、とても好きだ。


 その日も、いつものように手元の依頼書に目を通していると、

 ふと、カウンターの端に見慣れない顔が現れた。

 あどけなさが残る少年冒険者だ。ぎこちない動きで列に並び、私の前に立つと、どこか緊張した面持ちで深呼吸をした。


「ご用件をお伺いしますね」


 微笑んで声をかけると、彼は小さく肩を跳ねさせ、

 両手でクシャクシャになった紙を差し出した。


「あ、あの……新規の冒険者登録に来ました!」


「承りました。では、お名前と年齢、それから得意な武器や魔法をこちらにご記入ください」


 彼は一生懸命、欄を埋めていく。

 その手が少し震えていることに気づき、私はさりげなく、ゆっくり話すよう心掛ける。


「ご不明な点があれば、何でもお尋ねくださいね」


 用紙を受け取って内容を確認し、丁寧に手続きを進めると、彼の表情が徐々にほぐれてきた。

 登録証を発行して手渡すと、彼は感激したように顔を輝かせた。


「すごい……本当に僕、冒険者になれたんですね!」


「はい。冒険者は仲間と協力し合って、さまざまな依頼に挑みます。無理のない範囲で、がんばってくださいね」


「ありがとうございます!……あの」


 彼は急に私の顔をじっと見つめた。


「マリエルさんって、すごくきれいですね……」


「……え?」


 突然の言葉に思わず動きが止まった。

 周囲で他の受付嬢たちがちらっとこちらを見ているのが分かる。

 常連冒険者のグレンさんが「お、今日も怨霊ちゃん狙いか?」なんて冗談を言い、

 ミレーヌさんは「来た来た!伝説のナンパタイム!」と手を振っていた。


 少年は恥ずかしそうに下を向いたが、勇気を振り絞るように、

 早口で続けた。


「その……ギルドの仕事、きっと大変ですよね。でも、マリエルさん、いつも笑顔で……僕、こんなきれいな人、初めてで……」

「……もしよかったら、今度、一緒にお茶でも……」


 一瞬、胸の奥がじわりと熱くなった。

 誰かに「きれい」と言われたのは、もうずいぶん久しぶりだった。


「……」


 気づくと、なぜか涙がぽろぽろと溢れていた。


「マリエルさん!? ど、どうしたんですか?」


「……ごめんなさい……取り乱してしまいました……」


 少年はあわてて私にハンカチを差し出そうとしたが、私はそれを受け取らずに小さく頭を下げた。

 カウンターの奥でリナさんが小さく首を振り、ミレーヌさんが「ナンパで泣かすとかやるじゃん!」と茶化している。


「ごめんなさい……本当は、生きているうちに……誘ってもらいたかったんです」


「え……?」


「私、病気で亡くなって……恋も、彼氏も知らないまま死んでしまいました。

気がついたらこうしてギルドの受付に……残っていて……」


 自分で言葉にしながら、また涙が止まらなくなった。


「未練があって、成仏できなくて……ごめんなさい。処女のまま死んでしまったんです……恨めしいです……」


 少年は、驚きと戸惑いの入り混じった顔で私を見ている。


「で、でも……その……デートくらいなら、お付き合いします!」


 私は、ふと口元をほころばせて、少しだけ首を振った。


「ありがとうございます。でも、私と一緒にいると……呪われてしまいますよ?

だって怨霊ですもん」


「……“ですもん”って可愛く言われても……やっぱり、怖いっす……」


 少年は戸惑いながらカウンターを離れ、隣のリナさんの元へ逃げていった。


「新人君、懲りずにまた来るかしら?」

「いや、あの顔はしばらく無理だと思うなぁ」


 受付の仲間たちが楽しそうに囁き合う声を、私は背中で聞きながら、

 深呼吸して気持ちを落ち着かせる。


(どうして……死んでも、こんなに未練が残るんだろう)


 自分で自分が不思議になる。

 だけど、きっと――誰かに必要とされることが、嬉しくてたまらないのだ。


 そんなことを考えながら、私はまたカウンターに立ち、次の依頼者にいつものように微笑みかける。

 ギルドの喧騒のなか、私の日常と未練は、今日も静かに重なっていく。




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