朝のギルドは、いつもと同じ穏やかさで始まる。
私――マリエル――は、今日もカウンターの椅子に腰かけ、依頼書を整えたり、昨日の伝票を確認したりしている。
他の受付嬢たちも慣れた手つきで準備を進め、冒険者たちは朝のコーヒーを片手に気軽な声を交わしている。
この活気ある雰囲気が、私は大好きだ。
「おはようございます、マリエルさん」
ユウさんが笑顔で声をかけてくる。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「うん。あ、昨日の地図、すごく分かりやすいって評判だったよ。マリエルさんのおかげ」
「恐縮です」
心がほんのりあたたかくなる。
そこへミレーヌさんが元気よく飛び込んでくる。
「おっはよー、マリエルちゃん! 今日も透けてるね~! あ、机の上、ちょっと冷えてる!」
「すみません、ちょっと夜のうちに仕事していたので……」
「いやいや、むしろ机が冷え冷えで助かる! 書類がしけらないし!」
そんなやりとりをしていると、カウンターの端に新しい顔――新人受付嬢のナナさんが立っていた。
彼女は昨日からこのギルドに配属されたばかり。まだ緊張の色が消えない。
私はできるだけ柔らかい笑顔で声をかけた。
「おはようございます。ナナさんも朝早いですね」
「おはようございます、マリエルさん……」
ナナさんは私の手元に視線を落とすと、何度もまばたきをした。
「……あの、気のせいかもしれませんけど……マリエルさんって、たまに、手が……透けてません?」
ミレーヌさんがニヤリと横から割り込む。
「気のせいじゃないよー。うちの“怨霊ちゃん”は、ギルド名物の地縛霊だから!」
「え、地縛霊!? 本当に!? 冗談……ですよね?」
リナさんが、コーヒーカップを片手に淡々と話に加わる。
「冗談じゃないわよ。マリエルは昔、このギルドで病気で亡くなって、そのままカウンターに地縛してるの。
でも有能すぎるから、ギルドとしてもすごく助かってるのよね」
「いやいや、“助かってる”とか、そんな理由でいいんですか……?」
「いいの。もう、マリエルはギルドの“備品”みたいなものよ」
ミレーヌさんが明るく笑う。
私は少しだけ苦笑しながら、目の前の書類を整えた。
――“備品”。
そう言われてみれば、確かに私はカウンターから離れられない。
他の受付嬢たちのように応接室へ案内したり、奥の倉庫まで走ったりすることができない。
それでも、この場所でみんなの役に立てるのなら、それだけで充分だと思っていた。
「それに、ほら」
ミレーヌさんが私の手を触ろうとして、すり抜けてしまう。
「あっ、また手が通り抜けた! 今日も絶好調だね」
「……すみません、たまに物理干渉が薄れる日があって」
「いや、幽霊あるあるだよね!」
「普通はないです!」
その後、冒険者のグレンさんがやってきて、
「怨霊ちゃん、今日も頼むぜ。昨日の依頼もおかげで成功したよ!」
と笑顔で手を振る。
私は自然と笑顔になる。
「ご利用ありがとうございます。今日もお気をつけて」
「……ねえ、みんな、本当に怨霊ちゃんがここにいるの普通なんですか?」
ナナさんが小さくつぶやく。
リナさんは肩をすくめて言った。
「もう何年もいるからね。
最初は怖がってた人もいたけど、今じゃ“マリエルがいないと困る”って冒険者も多いのよ」
「そうそう、地縛霊がギルド運営のカギだなんて、ここくらいじゃない?」
「むしろギルドの神様枠」
「……はあ……(困惑)」
ナナさんは納得いかない様子でカウンターを眺め、私はその視線を受けて静かにほほえんだ。
日が高くなり、依頼の受付が一層増えてくる。
私のカウンターだけ、なぜか常連の冒険者がよく並ぶ。
新人や旅人の冒険者は最初こそ驚いて隣のカウンターに逃げるけれど、何度かギルドに通ううちに、「あ、これが普通なんだ」と受け入れるようになる。
「そういえば、マリエルちゃんって、ギルドから離れられないの?」
ユウさんが尋ねてきた。
「はい。……地縛霊なので、このカウンターからは離れられません」
「でも、夜遅くまで残業しても平気だし、疲れないし、最強の受付嬢だよね!」
「……お給料は発生しませんけど」
「ブラックじゃん!」
「……死んでるから、働きがい、です」
みんなで笑い合うその瞬間、
私は「生きていたときより今の方が、もしかしたら幸せかもしれない」と思った。
けれど――
ふとした拍子に、カウンターの外の世界がすごく遠く感じることもある。
仲間や常連たちが“普通”に受け入れてくれているから、私は孤独を忘れていられる。
カウンターに取り憑く“備品”――それが、今の私。
だけど、たまに夢を見る。
――もし、生きていたら。もし、カウンターの外に出られたなら。
そんな「もしも」は、今日もカウンターの中で静かに溶けていく。
ギルドの朝は、今日も穏やかに続いていく。
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