ある日の午後、ギルドのカウンター前がざわついていた。
空気の違和感に気づいたのは、私だけではなかった。
普段は常連の冒険者や受付嬢たちで埋まるフロアに、旅装束の一団が足を踏み入れてきたのだ。
「うわ……あの人、何か雰囲気違くない?」
ミレーヌさんが囁く。
「外部のパーティみたいね。たぶん、遠征帰りか新規の冒険者グループよ」
リナさんも低い声で応じる。
その一団の中心には、銀色の髪と真新しいローブを纏った若い神官がいた。
彼は真剣な眼差しでギルドを見回し、やがてまっすぐ私のカウンターへと歩み寄ってきた。
「……あなた、ですか」
神官は目を細め、私をじっと見据える。
「はい、ご用件をお伺いします」
私は笑顔を崩さずに答えた。
「私は、神殿より遣わされたもの。“不浄の霊”の気配を感じ、ここへ来ました。
このギルドに“怨霊”がいると報告を受けています――あなたがその存在、ですね?」
カウンターの奥でリナさんやミレーヌさん、ユウさんが「やばい…」と顔を見合わせる。
「そうです、私はマリエル。このカウンターで受付をしています」
その瞬間、神官は聖印を胸に掲げ、周囲に向かって高らかに言い放つ。
「みなさん、安心してください!
私はここで迷える魂を浄化し、この地を正しき世界へ戻します!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ナナさんが慌てて神官の前に立ちはだかる。
「怨霊ちゃんは悪い霊なんかじゃありません。みんなの大切な仲間です!」
「そうだそうだ!怨霊ちゃんがいないと、このギルドは回らないんだ!」
ミレーヌさんも強く訴える。
「“悪くない怨霊”っておかしくないですか?」
神官が困惑したように返す。
「……それでも、みんなの役に立ってるなら、私はここにいたいだけです」
私は静かに微笑む。
「ですが――悪霊は悪霊。
私の務めは、魂を浄化することです。覚悟してください!」
神官は聖なる水晶を取り出し、呪文を唱え始める。
カウンターの空気がぴりぴりと震え、周囲の冒険者や受付嬢たちも思わず身を固くする。
「やめてください!」
リナさんが声を上げる。
「怨霊ちゃんに何かあったら、うちのギルドが崩壊するんです!」
「神官さん、悪い霊じゃないって言ってるでしょ!」
「“成仏してほしい”って善意なのかもしれないけど、こっちにとっては迷惑なんですよ!」
神官はかまわず、呪文を完成させる。
そして聖なるアイテムを私に向けて振りかざした、その時――
パシンッ!
空気を裂く音とともに、神官の手の中で水晶が真っ二つに割れて崩れ落ちた。
「な、なんだと……!?」
私は静かに立ち上がる。
カウンターの上に冷気が広がり、照明が一瞬だけ明滅する。
書類が風もないのにふわりと舞い上がり、後ろのロッカーの扉が勝手に開閉を繰り返す。
「……神官さん。
もし、どうしても私を祓いたいというなら――」
私は真っ直ぐ神官の瞳を見つめ、
「末代まで祟られる覚悟があるなら、かかってきなさい」
と静かに言った。
カウンターの後ろで仲間たちが「うわ、本気だ」「ラスボス降臨…」と小さく呟く。
「……う……す、すみませんでした!」
神官は顔を真っ青にして、その場で崩れ落ちる。
「お帰りはこちらです」
ミレーヌさんがにっこり微笑んで出口を指さす。
神官一行は大慌てでギルドを後にした。
しばらくして、日常の空気がギルドに戻る。
「怨霊ちゃん、大丈夫?」
ナナさんが心配そうに声をかける。
「はい、皆さんのおかげで……。
少しだけ、本気を出しすぎたかもしれません」
「いやあれは怖かった!」
「でも、怨霊ちゃんを守れてよかったよ」
「うちのギルドの“最終防衛ライン”だな」
「ラスボスなのに癒し系……」
冒険者や受付嬢たちがくすくす笑いながら、
私のカウンターにいつもの列ができていく。
私は静かに息をついて、
再びいつもの笑顔で依頼書を手に取った。
この場所で、みんなの役に立てるなら――
霊でも、備品でも、ラスボスでも、私はここにいられる。
ギルドの平和な日常が、またゆっくりと流れ出した。