除霊騒動から数日が経った。
ギルドは平穏を取り戻し、依頼や冒険者たちの声がいつも通りフロアに響いている。
けれど、私――マリエルの胸の奥には、静かな波紋が残っていた。
カウンターで書類に目を落としながらも、ふいに考えてしまう。
(私は……ここに居て、本当にいいのかな)
神官が去ってからというもの、何度も同じ問いが頭に浮かぶ。
死んだ人間が、受付嬢としてこのギルドに居続ける――
最初は不思議がられたが、今や皆の日常に溶け込みすぎている。
(皆は本当は、どう思っているんだろう)
その日の昼休み、給湯室に集まった受付嬢たち。
ミレーヌさんは大きなカップを両手で抱え、「この前の神官、すごかったね~」と笑っている。
「でもさ、マリエルちゃんが本気出したの、私初めて見たよ」
ユウさんが目を丸くする。
「ラスボスかと思った……けど、やっぱり怖くなかった。なんか……守ってくれてるって思った」
ナナさんはそっと私の顔を覗き込んだ。
「怨霊ちゃん、大丈夫? ちょっと元気ないみたい」
「……私、みんなの足を引っ張っていませんか?」
ふと、本音が口からこぼれていた。
「え?」
みんなが一斉に私を見る。
「死者がいつまでも居座っていて、迷惑なんじゃないかって……。
本当は、そろそろ“成仏”すべきなんじゃないかって……」
しばらく、静かな沈黙が流れる。
やがてリナさんが、苦笑しながら私の肩を叩いた。
「何言ってんのよ、怨霊ちゃんがいなくなったら、うちのギルドどうやって回すのさ」
「ほんとほんと!」
ミレーヌさんが両手を挙げて同意する。
「怨霊ちゃんいなきゃ、事務仕事パンクだし、書類の山で私たち沈むし」
「それだけじゃありません」
ユウさんが静かに続ける。
「マリエルさんがいるから、私、毎日安心して仕事できるんです」
「でも……外部の人が見たら、“受付嬢に怨霊がいる”なんて、おかしいって思いますよね」
「外部の人なんて、どうだっていいじゃん」
ミレーヌさんがぱっと言い切る。
「大事なのは、ここで一緒に働いてる仲間たちだよ!」
「それに……」
リナさんが少し照れたように笑った。
「もし本当に迷惑だったら、とっくに除霊依頼出してるって」
皆がくすくすと笑い出し、私の胸に温かいものが広がった。
その日の午後、カウンターで仕事をしていると、常連冒険者たちが次々とやってくる。
グレンさんは「怨霊ちゃん、昨日の依頼も完璧だった!さすがだな」と親指を立て、
ラルフさんは「うちのチーム、今や怨霊ちゃん以外のカウンター並べって言ってる」と冗談めかして言った。
「なあ怨霊ちゃん、最近ちょっと元気なかったけど……何かあったのか?」
「いえ、大丈夫です。少しだけ、考え事をしていただけです」
その時、不意に小さな女の子がカウンターにやってきた。
彼女はギルド職員の娘で、昔から私のことを怖がらず、よく話しかけてくれる。
「マリエルお姉ちゃん、これあげる!」
手渡されたのは、手作りのリボン。
「みんな、マリエルお姉ちゃんが大好きだって。だから、ずっといてほしいんだって!」
私は思わず涙ぐんでしまった。
「ありがとう……」
カウンターの奥から、他の受付嬢たちや冒険者たちがこちらを見て微笑んでいる。
気づけば、給湯室のテーブルの上やカウンターの引き出しには、
皆からの小さな贈り物やメッセージカードがそっと置かれていた。
「“死者が受付にいるのは当たり前”なんて、変な話かもしれません。でも、
ここでこうして皆さんと一緒にいられるのが、私には一番幸せなんです」
「それでいいんだよ!」
「マリエルちゃんがいるから、ここは“特別なギルド”なんだもん」
夕方、依頼の波がひと段落した頃、
私はカウンターから見えるギルドの風景を静かに眺めていた。
(私は――ここにいても、いいんですね)
死んでいるから、できることがある。
“死にがい”を感じるこの日常が、私にとってはかけがえのない宝物。
その夜、いつものように仕事を終えて、静かなギルドでひとり伝票を片付けていた。
カウンターの上に差し込む月明かりが、私の手を淡く透かす。
「……おやすみなさい。また明日も、皆さんの役に立てますように」
そう願いながら、私は今日もここで、“日常”を守り続ける。