アルフレッド・カーヴェル侯爵令息。婚約者となった彼の名前を心の中で何度も繰り返しながら、ジュリアは大広間の隅に佇んでいた。華やかなパーティー会場は、彼女の美しさを引き立てる純白のドレスに包まれたジュリアに視線を注ぐ者たちで溢れている。しかし、彼女の心は深い孤独に囚われていた。
「お綺麗ですね、ジュリア様。」誰かが声をかけたが、それに気づく余裕はなかった。彼女の視線は会場の中心で談笑するアルフレッドに向けられていた。アルフレッドは涼やかな表情を浮かべ、重要そうな貴族たちと談笑を続けている。ジュリアには彼が別の世界の住人のように見えた。
「ジュリア様。」声に驚き、振り向くと、アルフレッド本人が立っていた。
「……アルフレッド様。」ジュリアは軽く会釈をする。
彼の冷たい視線がジュリアを貫く。初対面の時と同じ、感情のない目だ。
「今夜のパーティーには意味があります。」アルフレッドは口元だけで笑いながら言った。「私たちが結婚することで、家同士がどれだけ強力な結びつきを持つかを示すためです。」
「ええ、存じております。」ジュリアは表情を崩さないよう注意しながら答えた。
彼の言葉に、彼女の心は冷えるばかりだった。結婚が「家同士の結びつき」以上の意味を持たないことはわかっていたが、それをこうも淡々と言われると、胸の奥に小さな痛みが走る。
「あなたには一つだけお願いがあります。」アルフレッドが言った。
「お願い……ですか?」ジュリアは目を瞬かせた。
「外では完璧な妻を演じていただきたい。それが私の唯一の要求です。」アルフレッドの声には情の欠片もなかった。「私の評判を落とすような行動は控えていただければ、それで結構です。」
「承知しました。」ジュリアは微笑みを浮かべながら答えた。しかしその微笑みの裏には冷たい怒りが渦巻いていた。
「では、あなたにとって結婚は何なのでしょうか?」ジュリアは、抑えきれない衝動に駆られて問いかけた。
アルフレッドは一瞬だけ驚いたように目を細めたが、すぐに表情を戻した。「契約です。それ以上でも、それ以下でもありません。」
その言葉に、ジュリアは完全に自分の中の何かが崩れ落ちる音を感じた。この結婚が愛とは無縁であることは理解していた。しかし、それを本人の口から聞かされることで、現実の冷たさがさらに増していく。
「あなたがそうお考えであるなら、私はその期待に応えるまでです。」ジュリアは毅然とした声で答えた。
アルフレッドは満足げに頷いた。「その態度を忘れないでください。」
その後、アルフレッドは再び貴族たちの輪に戻り、ジュリアをその場に一人残した。彼の背中を見つめながら、ジュリアは自分自身に誓った。
「ただ従うだけでは終わらせない。私の人生は私のもの。」
彼女の中で、冷たい怒りと共に決意の炎が静かに燃え始めていた。
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その後の出来事
その夜、ジュリアは自室に戻り、ドレスを脱ぎながら鏡に映る自分を見つめた。美しく装った自分が虚しく思えた。「外見だけが取り柄だとでも思われているのかしら……」独り言をつぶやきながら、ジュリアは心の中でアルフレッドへの不満を募らせていた。
彼女は机に座り、日記帳を開いた。その日の出来事を淡々と書き連ねる中で、彼女のペンは自然と止まり、次の一言を書き加えた。
「この結婚の本質を覆してみせる。」
その言葉を最後に、ジュリアはペンを置き、深い眠りに落ちた。彼女の心には、結婚の形を取り戻すか、全てを壊すかという選択肢が芽生えつつあった。どちらを選ぶにせよ、彼女はただの駒として終わるつもりはなかった。
この夜、ジュリアの静かな復讐が始まったのだった。