チリン、チリンと神楽鈴の音が聞こえたかと思うと、一陣の清らかな風が私たちの傍を吹き過ぎてゆきます。
それと共にシュー、シューという音が断続的に聞こえてきました。アオダイショウという日本最大級の蛇が、威嚇する時に気管から噴気して音を出すのですが、それによく似ていたように思います。
音は少しずつ此方へと近付いてきて、それに混じってカタカタカタという独特な音も聞こえ始めました。これも、アオダイショウが相手を威嚇行動を取る際に発する音に酷似していました。アオダイショウは威嚇する際に尻尾を細かく地面に叩きつける習性があるのですが、この際カタカタカタと音が鳴るからです。
「──此は一体、如何なることか」
やや舌足らずで可愛らしい、それでいて何処か深い威厳を感じさせる声。それが耳に届くと同時、私の足首を掴んでいた怪異が大きく怯み、私から手を離しました。
母に抱きとめられ、顔を上げた私が見たもの。それは──
「……綺麗」
──それは浮世離れした神秘的な美貌を持つ、巫女さんのような格好をした一人の女の子の姿でした。
歳の頃は十五、六くらいでしょうか。ぴったりとした白の小袖に緋袴を着用しており、その上から龍神の描かれた真っ白な打掛を羽織っていました。小さな足には純白の足袋と赤い鼻緒の草履を履いており、ほんの少しだけ宙に浮いているようでした。
何よりも特徴的なのは、その容貌でした。雪のように真っ白な髪と肌……感情の読み取れない、光のない緋色の瞳。目鼻立ちも端正で可愛らしい部類なのに、纏っている雰囲気は歳不相応で超然としています。ミステリアスなその容貌は正しく白い蛇を彷彿とさせました。
アスファルトの中よりぬるりと、私の足首を掴んでいた怪異が姿を現します。その見た目はたとえるなら餓鬼に似ていました。痩せこけた小さな身体に不釣り合いな、異様に大きく膨れ上がった腹部。口端からは涎を垂らし、血走った目を忙しなく四方八方へと動かしています。
敢えて餓鬼との相違点を挙げるなら、足が明らかに人間のものではなく、鳥の足に形状や特徴が酷似していることでしょうか。また、全身の至る所に目があり、それらは不規則にギョロギョロと蠢いていました。
怪異が、何かを訴えるように巫女姿の少女に向かって鳴き声を発します。発音に規則性があったので、或いは言葉だったかもしれません。
怪異が少女に対し何を訴えたのかは、私には分かりませんでした。ですが少なくとも、怪異の言動が少女の逆鱗に触れたことだけは間違いない様子でした。
「──何の力も持たぬ弱き者を弄び、あまつさえその行いを正当化しようとするか。何たる罪深き行い、何たる愚行か。実に不快なり、不愉快此処に極まれり」
抑揚のない声でそう呟くと、少女は恐怖に震える怪異のか細い首を無造作に片手で掴み、そのまま音もなく握り潰してしまいました。目が全てあらぬ方向を向いており、怪異が絶命したのは誰の目にも明らかでした。とはいえ、私にしかその惨状は見えていなかったのですが。
怪異が塵となって霧散すると、少女はくるりと、私と母へと向き直りました。風が吹く度、チリンと神楽鈴に似た音が鳴ります。
ふわふわとほんの少しだけ宙に浮いた状態で少女は私と母の傍へ寄ってくると、そのまますっと腰を下ろして私をじっと見つめてきました。
「────」
不思議と、恐怖は感じませんでした。先程、自分を襲った怪異が、少女の手によってどのような目に遭ったのかを目の当たりにしているにも関わらず。
この時まだ小学校低学年で幼かった私は知る由もなかったのですが、彼女は自分に敵意がないことを示すために、わざわざ私と同じ高さの目線まで腰を落としてくれていたのでした。
近くで見れば見るほど、少女の完成された美貌に惚れ惚れとしました。月並みな感想ではありますが、まるでお人形さんのよう。若干のあどけなさが残っていましたが、それが彼女の美をより強く引き立てていたようにも思います。
ですが──やはり"白蛇"という言葉が、彼女という存在を言い表すのに最も適しているのではないでしょうか。
「────」
そんな彼女が如何にも興味津々、といった様子で、つぶらな両目で私を見てくるのです。細い指先でむにっと、私の頬をつまんでみたり、そうかと思えば怪我がないかと心配そうに私の足首を優しく撫でたり……その度、彼女の髪や身体からお香のような心地よい匂いが漂いました。
どうやら母には彼女の姿が見えていないようで、母は少女ではなく御殿に向かって一心不乱に頭を下げ、ひたすら感謝の意を口にしていました。すぐ傍に、助けてくれた張本人がいるにも関わらず。
「……あり、がとう。助けてくれて」
少女に向かって私がそう言うと、少女は初めてにこっと笑ってくれました。お礼を言われて照れくさかったのか、真っ白な頬をほんのりと紅潮させながら。
去り際、少女は私に一つの木彫りのお守りをプレゼントしてくれました。達筆で何と書いてあるかはさっぱり分かりませんでしたが、このお守りが後々、私の日常生活の支えとなってくれる、文字通りの
チリン、と鈴の音を響かせながら、少女は夕暮れ時のそよ風と共にふっと姿を消しました。その場にはお守りを手にしてぼうっと佇む私と、再び御殿へと手を合わせにゆく母の姿のみが残されました。
これが──私と