白蛇さんが、私に下さった木彫りの御守り──それを肌身離さず身に帯びるようになってから、私の体調不良は劇的に……とまではいきませんでしたが、ある程度は改善されました。
四六時中、霊障に悩まされるのは相変わらずだったのですが、それによって生じる身体への負荷が、幾分か緩和されたのです。御守りには何らかの特別な力が込められているようで、怪異の多くが特定の距離を置くようになってくれるようになりました。
お陰さまで、殆ど不登校のような状態となっていた学校にも通えるようになりました。頻繁に体調を崩して休みがちなのは相変わらずだったのですが、それでもやはり御守りを頂く以前よりは登校日が明らかに増えていましたので、父母や担任教師から見れば、事態が好転したように見えたことでしょう。
ですが、長らく不登校だった私がクラスの空気に馴染める筈もなく──授業中も放課も、私は独りぼっちでした。
長い黒髪、見るからに不健康そうな青白い肌、薄らと目の下に出来た隈に、
御守りを肌身離さず所持していても、霊障が完全に消えるわけではありません。あくまで緩和されるだけで、肝心要の死者や怪異は一定数私の周りで蠢いていましたから。
いえ、
彼等は何処にでも居ます。日常の中に、当たり前のように居ます。もっと言ってしまえば、人気のない場所よりは寧ろ、人の多く集まる場所に集い蠢く傾向があります。
学校、病院、ホテルに有名な観光名所……そういった場所は、正しく死者や怪異の巣窟です。なので、学校中で蠢く死者や怪異が私という、半ば彼岸に半身を浸した状態にある存在に惹かれて野次馬の如く集まったというのが正しいのでしょう。
とはいえ、死者や怪異が見えるのは私だけ。傍から見れば、真夏日でも冬服を着用している児童が奇異に映るのは当たり前です。
況してやそんな見るからに暑そうな格好であるにも関わらず、汗一つかかず平然としていたなら、何かしらの薄気味悪さを感じるのはやむなしというものでしょう。
斯くしてクラス内で浮いた存在となった私は、その後小学校を卒業し、中学校に入学しても陰で
そんな私でしたが幸い、虐めらしい虐めは殆ど受けませんでした。
たった一度だけ──小学校高学年の時、同級生の男子生徒に白蛇さんから頂いた木彫りの御守りを奪い取られ、何度も執拗に踏まれた挙句校舎の外へと放り投げられたことがあります。
割れてしまった御守りを手にして啜り泣く私を見下ろし、彼が無邪気に笑っていたのを昨日のことのようによく覚えています。
その男子生徒はその日の夕方、帰り道で車に撥ねられました。頭や身体を強く打って即死だったそうです。原型を留めておらず、見るに堪えない状態だったと聞きます。
それを受けて、男子生徒が死んだのは私を虐めたからだ──という根も葉もない噂がクラス内で瞬く間に広がったようで、祟りを恐れて私を虐めようとする動きは一瞬でなくなったのでした。実際は祟りなどではなく、偶発的な事故だったわけですが。
怪異は兎も角、死者は基本的に人畜無害な存在です。此方を見ているだけで、特に何かしてくるわけではありません。
勿論、例外は存在しますが──私に言わせれば、死者よりも生きている人間の方がよほど恐ろしい存在です。死者は人を殺しませんが、生きている人は平気で他人を傷付け、最悪の場合は殺してしまいますから。
そんなこんなで中学校を卒業し、高校に入学した私ですが、ここで一つ問題が生じました。
出席日数が不足していたのです。
このままでは留年──私の今後の去就を如何するのか、家族会議が行われました。留年するのか、それとも中途退学するのか。
学業面では問題なかったので、通信制高校に転入するという案もありましたが、ここで父がある提案を私に持ちかけてきました。
「──お前、神社で巫女さんとして働いてみる気はないか」
父は白蛇さんを祀っている神社の宮司をしていました。ですが、小さな神社の宮司ですのでそれだけで食べてゆくことは出来ません。なので私の通っていた高校で古文の教師として教鞭を執りつつ、空いた時間で神社の管理も行っているというのが実情でした。
社会人と神職の二足の草鞋……そうするとどうしても、神社の管理が疎かになってしまうということで
仕事内容は社務所に住み込みで、日々の神事の執り行いに境内の掃除、参拝者への対応に事務作業。光熱費や巫女装束のクリーニング代、食費といった諸費用は父が全負担。僅かではありますが給料も出すとのことでした。
年頃の娘を一人、宮守として小さな神社で生活させるなどと思われるかもしれませんが、父も母もその点に関しては懸念を抱いていない様子でした。御祭神である白蛇さんに対し、或いは全幅の信頼を寄せていたのかもしれません。
反対する理由など、私にはありませんでした。二つ返事で、私は了承しました。二十歳までは生きられないと言われた私に、無償の愛を注いでくれた両親への恩義に報いる時だと思ったから。
そして何より、長きに渡り自分を守り続けてくれた白蛇さんへの恩義に報いる時だと思ったから。
高校を中退し、長らく住み慣れた我が家から神社の社務所に引っ越した当日──祝詞も、朝拝・夕拝も、巫女舞も何一つ知らず不安に思う私に対し、父はこう言ってくれました。
「良いか、奏──何も知らないからって、別に焦る必要はない。一つずつ、着実に覚えていけばそれで良い。分かったね?」
「──はい、お父さん。私、頑張るね」
御殿の屋根の上に腰を下ろし、興味津々といった様子で此方をじっと見下ろす白蛇さんの顔をちらっと見やりながら、私は父に対して力強く頷いてみせました。
それを見て、安心したのでしょうか。偶には顔を見せるからな、元気でやれよ──と言い残して、父は車を発進させました。
こうして、私と白蛇さんの奇妙な共同生活が始まりました。