白蛇さんを御祭神として祀る神社の宮守となって一週間……まだまだ不慣れな部分が大半を占める中でも、少しずつではありますが基本的な暮らし方が分かってきたように思います。
朝──夜明けの少し前に起床すると、まずは全力疾走で国旗掲揚に向かいます。この時、靴を履くよりも手っ取り早いので草履を履き、草履を速やかに履けるよう足袋ソックスを就寝時に予め履いておきます。
偶に、暇を持て余した様子の白蛇さんが何故か、旗竿を使って華麗にポールダンスをしていますが、そのようなことを一々気にしたら負けです。
国旗の掲揚を終えた後、再び全力疾走で社務所まで戻り、寝間着のジャージと下着、足袋ソックスを乾燥機付き洗濯機に放り込んで洗濯機のスイッチをオン。軽くシャワーを浴びて、寝ている間にかいた汗を洗い流し身を清めた後、姿見の前で巫女装束に着替えます。
因みに、本職の巫女は下着を履かないなどという不気味な都市伝説が巷では囁かれているようですが、残念ながらそんなことはありません。ちゃんと和装下着を着用しています。
白足袋を履き、肌着を纏い、更にその上から襦袢と白衣を着ます。その後、緋袴を着用という流れです。武道……剣道などを経験した方なら分かるでしょうが、袴の後部にはずり落ち防止のヘラが付いており、動き回っても袴がずり落ちてこないようになっています。
着替えを終えたら、おかしなところがないか姿見の前で一通り確認し、その後白蛇さんに再度入念なチェックをしてもらいます。そうして及第点を貰ったら、白蛇さんに後ろ髪を和紙で一つに結わえて貰います。
最初は着方が全く分からず、白蛇さんに着付けを手伝って貰っていましたが、数日ほどで一人で着られる程度には成長しました。我ながら自分の成長速度が恐ろしいと思ったものですが、残念なことに白蛇さん曰く、誰でもやり方を覚えればすぐ出来るようになるとのことです。
着替えが終わったら居室兼寝室の清掃を行い、その後軽めの朝食を摂ります。白蛇さんお手製の大きな塩むすびと、菜っ葉の入ったお味噌汁です。元々食が細いので、これだけあれば満腹になれます。
食後に歯磨きを済ませたら、手水舎で手と口を清め、朝拝のため御殿の中へと入ります。
二礼・二拍手・一礼の後諳んじるのは"
前半部分は日本神話の内容から天津罪、国津罪といった種々の罪穢れについて説明し、それらを祓い清めることの重要性を説きます。
後半部分では祓戸大神と呼ばれる四柱の神様たちが登場し、如何にして罪穢れを祓い清めるかについて具体的な説明がなされます。祓戸大神と呼ばれる神様はそれぞれ
この大祓詞というのが中々の曲者でして、肺活量の弱い私にとっては苦行でしかありません。そもそもどのタイミングで息継ぎをすれば良いのかも分からないので、どんなに上手く奏上しようと試みても、何処かたどたどしいものとなってしまいます。
息も絶え絶えといった状態で大祓詞の奏上を終えると決まって、白蛇さんが褒めて下さるのが唯一の救いでしょうか。言葉こそ無闇に発しませんが、良く頑張ったねと言わんばかりによしよしと、何時も頭を撫でてくれるのです。
白蛇さんに言わせれば、宗教も祝詞も所詮は人間が勝手に都合よく作り出したもの。自分たち産土の神々からしたら、人間の都合で生み出されたそれらには何の意味もないとのことです。
なので白蛇さんからしたら、私は無意味な祝詞の奏上をして、勝手にぜぇぜぇと肩で大きく息をしている滑稽な存在なわけですが、その頑張り
さて、朝拝が終わったら、本格的な一日の始まりです。
基本的な私のお仕事は、境内の掃除と参拝にいらっしゃった方への対応……なのですが、小さな神社ですので参拝にいらっしゃる方は何時も数える程しかいらっしゃいません。土日や祝日は若干増えますが、それでも雀の涙程度です。
なので、暇さえあれば箒を片手に落ち葉やゴミを集めて境内や鳥居前を清潔な状態に保つのが、私に課せられた主な役目です。
大きな竹箒を手に鳥居へと向かうと、真っ赤な一つ目の巨大な黒牛が、何故か馬のような嘶きを高らかに発しながら目の前を駆け抜けてゆきました。恐らくはというか間違いなく怪異……なのでしょうが、特に危害を加えてくるわけでもなく、ただ決まって午前七時頃に出現しては、鳥居の前を疾風の如く駆け抜けてゆくだけなので、恐らくは無害なのでしょう。残念ながら確証はありませんが。
何故なら、私は白蛇さんから頂いたお守りを肌身離さず常に所持していますので、余程のことがない限りは怪異が積極的に襲ってくるなどという事態がまず発生しないからです。
鳥居を一礼して潜ると、私は手にした竹箒で鳥居前に散乱している落ち葉や土埃を可能な限り丁寧に一箇所に集め、ちりとりで回収するという一連の作業を、白蛇さんがオーケーのサインを出すまでひたすら繰り返します。
朝拝を終えて鳥居前の掃除を始める時間が、ちょうど通学・通勤時間と被っているためなのか、色々な人が鳥居の前の道を通ります。地域の人と交流出来るこの時間が、私は好きでした。
集団登校する小学生の子供たちに、自転車で爆走する中学・高校生。徒歩で歩くサラリーマンに、徹夜明けなのか何処かくたびれた表情をしたOLのお姉さん。
片手を軽く挙げてひらひらと振りながら笑顔で挨拶をすると、人々の反応は実に様々です。元気よく挨拶を返してくれる人もいれば、無視してそのまま通り過ぎる人もいます。或いは、返事はしなくてもこちらに対し会釈をしてくれる人も。
中には、今日もとても可愛いね、なんて仰って下さる方もいて、自分の容姿に自信のない私ではありましたが、そのように仰って頂けるとやはりちょっぴり嬉しくなってしまいます。
尤も──そう仰って下さった方は、自分が死んだことにまだ気付いていない様子の死者でして、後からそのことに気が付いた私はたいへん肝を冷やしたわけですが……。
「──あら?」
ふと視線を感じ、手を止めて顔を上げると、見慣れた顔がそこにはありました。宮守になってから毎日のように顔を合わせる、四十代前後のかなりやつれた様子の男の人です。
土埃で薄汚れた服装から察するに、恐らくは農家の方なのでしょう。挨拶をしても返事はしてくれません。ただ、愛想笑いを浮かべながら軽く会釈をしてそのまま去ってゆく……そんな、不思議な人でした。
「ふふっ──おはようございます」
空いた手を軽く挙げ、にこっと笑いながら何時ものように挨拶すると、男の人もまた愛想笑いを浮かべながら片手を挙げ、軽く会釈をして去ってゆきました。
何時もと同じ光景……いえ、何時もとは若干違っていたように思います。心做しか、男の人が私の顔を縋るような目で見ているような気がしましたから。
何故でしょう──私には、彼が……あの男の人が私に対し、何かを伝えようとしているような気がしてなりませんでした。そして、その考えは奇しくも的中していたのです。