家出を決意したその夜、俺は荷物をまとめて人知れず屋敷を抜け出した。家族はわずか十歳の子供が一人で荷物をまとめて旅に出られるなどとは思っていないだろう。そもそも、ずっと家業を継ぐ気満々で様々なことを学んでいた俺が家出をするなんて考えもしないはずだ。俺もそんなつもりは昨日まで欠片もなかったし。
だが、俺は大人だった前世の記憶を持って生まれた転生者だ。しかも女神から特別な力を授かっている。どんな力かは確認してないけど、その気になれば今すぐにでも伝説の魔獣を退治しに行くことだってできるだろう。そんな俺が目指すのは、ジャガイモもトマトもいない場所だ。
トマトは嫌いだけどジャガイモは大好きだった。毎朝、甘えてすり寄るジャガイモの甲羅をなでてやりながら幸福感に包まれていたんだ。ジャガイモ達と離れるのはとても寂しい。それでも、ジャガイモと共に暮らすならばトマトを捕まえる日々を送らねばならない。そんな生活にはとても耐えられない。
「さよなら、ジャガイモ達。さよなら、父さん母さん」
最低でも三日は生きていけるだけの食料を入れた背負い袋は、十歳の肩にはとても重い。転生者の俺にとっては大した負荷ではないはずだが、肩にかかるのは荷物の重みだけではないようだ。
何不自由なく暮らしていた家を捨てる覚悟。とても優しく、自分に期待してくれていた両親を裏切る罪悪感。なにより、自分にとっての安住の地がこの世界のどこかに存在するという保証もない。
重みに耐えながら足を進める。ジャガイモ達の眠る牧場を横目に歩けば、これまでの十年間が美しい輝きと共に思い出された。後ろ髪を引かれる思いで目を閉じ町を横切ると、一緒に笑いあった友人達の顔が瞼の裏に映る。
「いいんだ。どうせ俺はトマトが這いずり回る世界じゃ生きていけないから」
生まれ育った町だ。目を閉じていても迷わない。真っ直ぐ出口を目指す。全力で町を駆け抜け、居眠りしている門番の横をすり抜けると、俺の頬を風が優しく撫でた。
世界が俺を出迎えてくれたように感じる。
目を開け、深夜の暗い平原を見渡す。ところどころに固まって生える低木の隙間には、何かの獣がじっと身を潜めている。遠くに見える森林は、風に揺れて生き物のようにうねっている。そこに向かってまっすぐ伸びる道は、いったいどれほどの数の人間が汗を流して働いたのだろう、整然と石が敷き詰められていた。
俺は最初の石を踏みつけると、また前を向いて、今度はしっかりと目を開いて、長い道のりを歩きはじめるのだった。