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第二話 宗教都市ティラーズ

 王国西部を南北に走る大山脈セトン・ファガラート。

 都市シェハールティラーズは、その中央部の高原に作られた宗教都市である。

 峡谷を抜けた先に広がる緑の高原。

 荒涼とした砂漠に慣れた目には、鮮やかすぎる色彩であった。


 麦の穂が揺れるその先に、白い尖塔が見えてくる。

 美しきティラーズ。

 かつては、王都であった時代もある。


「ティラーズは初めてかい、嬢ちゃん」


 暗殺者の若者は、黒装束から商人のような平凡な服装に着替えている。

 巻き毛の金髪と絶やさない笑顔で、いかにも害のなさそうな市民に見えた。


「へえ。うちは東部のアレイヴァの出身ですんで、西部の都市はセパーハーンしか行ったことはないです」

「王都は遊ぶところがないからなあ。あそこは、敵の侵攻を防ぐための軍事都市だ。行ってもつまらんだろう」


 主に少女の話し相手になってくれたのは、意外にもティグヘフである。

 この若者は、知識も豊富で口も回る。

 金に細かく博打好きのようだが、会話の相手としては面白かった。


「ティラーズの神殿マブドは、王国最大の権威を持っているんだぜ。前線をセパーハーンに持っていったときに英雄アールマーンエスファンディアルが神官長カンパネザムになったが、もともとはティラーズ神殿の長が神官長になる規則だった。導き手ヘダーヤトフィルーズが、いまの神官長さ。お嬢の父親だ」


 口うるさいじじいだと、ティグヘフはこっそり耳打ちする。

 少女は、くすりと笑った。


「悪い人ですね。キミヤー様に叱られますよ」

「女神の公正な目にかけて、ザーミーン。正直なところ、どんなに内緒にしても、お嬢に隠し事はできない。なぜか知っているんだよ。絶対に、勝てない。それを胸に刻んどけよ」


 軽口で慰めてくれているのがわかる。

 ザーミーンの尊敬する父、エスファンディアルはもういないのだ。

 人類の英雄と称えられた大魔術師も、百年前の大戦で多くの騎士サバルカールとともに戦死した。

 それを知らされたとき、ザーミーンは幼児のように大泣きした。

 父を手助けしたくて、田舎から出てきたのだ。

 父の横を並んで駆けるのは、誇らしかった。

 だが、もうそれも過去の話となってしまっている。

 戦場で散った同胞たちは、女神のもとにも還れず双角神クァーニアンの餌食になっただろう。

 そう考えると、腸が千切れるほど悔しい。


吸魔の砂漠コビール・ベドン・ジャドの影響で、人は神殿のある都市以外では暮らせなくなったんだ。神殿には、女神アレイエ魔力の泉ファバレフ・ジャドがあるからね。都市の周辺では、魔力が尽きないんだぜ。だから、ほら」


 ティグヘフが少女の影に立つ。

 すると、その身体が次第に影の中に沈んでいくではないか。


「でーれー!」


 驚愕のあまり、ザーミーンが叫ぶ。


影隠れサイエ・バルヴィードじゃっど? 昨日の夜、いきなり現れたのはこれですか?」


 ザーミーンの驚きを見て、ティグヘフは満足そうに笑いながら影から出てくる。


「ああ。あそこは砦の跡だから、まだ魔力が残っているんだ。だから、少しなら使えるのさ。ザーミーンも、聖鱗モギアス・アレイエが使えたんだろう?」

「ええ……まあ。砦ってのはなんですか?」

「ああ。連中、魔力を吸われるのを嫌がって蟲人ハーシャレフ以外は砂漠に入ってこないんだが、魔力を供給できる拠点ができると前進してくるんだよ。それが、砦ってわけさ。作られると厄介だから、できたらすぐ潰しに行くんだ。あそこはこの間潰した砦の跡さ。双角神の黒炎珠アルナール・サウドを破壊したから、だんだん魔力が砂漠に吸われて消えていくのさ」


 砦をいくつも作られると、大軍が前進してきて砂漠が防壁として機能しなくなる。

 それで、セパーハーンは陥落したそうだ。

 当時は大戦で騎士も傭兵も失い、王国も砦を攻略する戦力がなかったのだ。


導き手ヘダーヤトが、神官も傭兵も束ねている。というか、神官を傭兵に合流させたのは彼さ。傭兵だけだと、砂漠を旅できないからな」


 神官は聖印アラーメトから、水を出すことができる。

 聖印に蓄えられた魔力は、砂漠に吸われることがない。

 だから、神官は傭兵に同行し、その命を繋ぐのだという。


「お話が弾んでいるようね、ティグヘフ」


 キミヤーはべバールと先行し、麦畑を耕していた農民たちと話していた。

 用事が終わったのか、女神官がゆっくりと歩いてくる。

 暗殺者は、ばつが悪そうに頭を掻いた。

 通常、先行して哨戒するのが彼の役目だ。

 だが、いまはそれを怠けているとも言える。

 キミヤーに何か言いたげに見据えられると、いつも居心地が悪くなるのだ。


「い、いやあお嬢。ちょっとティラーズの説明していただけですぜ。ザーミーンも、いまの状況を知らないといけないですし」

「そうね。口うるさい父に小言を言われないためにも、しっかりと教えておくといいわ」

「あいた」


 ぴしゃりとティグヘフは自分の額を叩いた。

 そして、少女にこっそり耳打ちする。

 お嬢には隠し事ができない、と。


「ティラーズは特に変わった様子はないようよ。べバールは、先に父に報告に行ったわ。わたしたちも、神殿に来るようにと」


 傭兵を束ねるのも、神官長であるフィルーズだ。

 隊長であるべバールに報告の義務はあるが、神官にもそれはある。

 だが、キミヤーは少女と同行することを優先した。

 それだけ、ザーミーンを重要視したのだろう。


「少しは目の赤さも取れたようね。ザーミーン、胸を張りなさい。気持ちはわかるけれど、守護者ハーファザートと呼ばれたあなたには相応の責務があるわ。人前では、自分の心を見せるべきではないのよ」


 キミヤーの言葉は厳しい。

 その言葉の強さに、一瞬ザーミーンもうつむいてしまった。

 だが、女神官に悪意がないのはわかっている。

 これは、少女のために言っているのだ。


(大人の厳しさじゃ)


 父の庇護の下にいたザーミーンは、それなりに甘やかされていた。

 加護もあり、優遇されていたと言っていいだろう。

 キミヤーも同じ父の手の中にいる娘のはずだが、彼女に甘さはなかった。

 大人の女性の凛とした強さというものを感じる。


(きれいな御方じゃ。まっすぐで、強くて、芯が通っておるけん。憧れるわあ。うちもこんな感じになれたらなあ)


 波打つ小麦の間を抜けると、城門が見えてくる。

 山間に屹立する堅牢な城壁。

 そこに、巨大な門が作られている。

 門は開放されていたが、衛兵が二人立っていた。


「よう、暇そうでいいな」

「なんだ、帰ってきたのか、悪党」


 ティグヘフが手を上げると、衛兵がにやりと笑った。

 若者は顔が広いようだ。


「意外と早かったじゃないか。他の都市まで行かなかったのか?」

「ああ。今回は近場でね。ほらよ、神殿の印章」

「確かに。キミヤー様も、無事で何よりです。そちらは?」


 衛兵が、ザーミーンに目を向ける。

 神官の衣装をまとっているので、怪しむ様子はない。


「別の都市の神官さ。ティラーズを訪ねてきたそうだ。ほら、ザーミーン、聖印を持っているだろう」

「へえ。これがうちの聖印です」


 少女は胸元から聖印を取り出し、衛兵に見せる。

 衛兵は少し凝視した後、首を捻った。


「確かに聖印だが……なんかティラーズのとは違うな。他の都市だとこうなのか?」

「そうよ。聖印も、神殿ごとに特色があるの。それに、この聖印は特別なの。かつての王国でも、十個しか作られなかったものよ」

「そりゃすげえですね、キミヤー様。いや、キミヤー様がいる以上、疑う余地もありませんや。どうぞ、お通りください」

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