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<4・History>

『トレイシーの気を引きたいなら、やっぱりトレイシーが興味を持っていることについて貴女も知らないといけないのではなくて?』


 ブリトニーは紅茶をたっぷりと堪能した後で、セリーナに告げたのだった。


『やっぱり、自分が好きなことについて興味をもってくれている人のことは……好意的に見たくなるというのが人間というものですもの。それこそ好きなアイドルが同じなら出したレコードの話題で盛り上がれるでしょうし、好きな漫画が同じなら考察や展開予想で話が弾むでしょう?』

『そりゃ、まあそうだけど……じゃあトレイシーが好きなものって?』

『決まっています。今、ゼミでやっているテーマです。トレイシーは、元々この国の歴史に興味があったようだけど……最近は特に魔女の起源についてとても知りたがっているようなの。私も、伯父さんと一緒に古い歴史書を調べたり、遺跡の調査に行ったりはしてるんだけどね……』


 魔女の起源。また難しそうなことが好きなんだな、としかセリーナは感想を持てない。

 一応、この学校でも教養科目の一貫として魔法文化の発生についてはやるし、家でもイーガン家をはじめとした御三家の成り立ちについては学ぶ機会が多いのだが。

 教養として学ぶ以上に、何か調べるべきことでもあるのだろうか。

 一体彼は、何がそんなに気になると言うのだろう?


――ひとまず、本人に接触してみるしかないかしらね。


 木登りに苦労させられた翌日。今日は一限目から講義があった。自分とトレイシーは学部学科が一緒なので、必然的に必修科目も重なることが多い。一限目はそのうちの一つ、エギリア語の授業である。

 真面目なトレイシーが、授業が始まるずっと前に講義室に来ていることは調査済みだった。セリーナも今日はそれとなく早く来て、彼が本を開いている席の隣に座ることにする。


「……何の用だ」


 セリーナが座ると、トレイシーは露骨に不機嫌そうな声を出した。


「お前は俺のことが嫌いだと思ってたんだがな」

「き、嫌いなんじゃないわよ、ムカつくだけ!あんたいつも偉そうだし!!」

「偉そうだなんだと批難されるほど最近お前と話した覚えもないが?」

「う、うるさいわね!喋らなくても上から目線なのがわかるから腹立つのよ、わかる!?」


 ついつい売り言葉に買い言葉になってしまった。これではいけない、とセリーナは首をふるふると振った。自分は何も、トレイシーと喧嘩がしたくて近寄ったわけではない。自分の目的は、継承会議の秘密を解き明かすことと、この男に復讐することなのだから。

 今現在の時点で、トレイシーのセリーナへの好感度は地に落ちていることだろう。なんせお互いいつもこんな調子で、殆まともな会話にならないのだから。

 というか、セリーナがいつも腹を立ててしまうのである。彼ときたら、まともにセリーナと視線を合わせようともしない。イーガン家の歴史でも屈指の美貌を誇るこのセリーナ・イーガンに、興味の一つも抱かないのはどういう了見なのか。

 そう、セリーナがトレイシーにムカつくようになった最初のきっかけはそこなのである。この美しい自分に見惚れることも称えることもせず、むしろ露骨に避けようとしたり嫌悪感を露にするものだから。


――ふん、今に見てなさいよ。二週目の人生の私は一味違うわ。絶対、あんたを私の虜にしてやるんだから!


 とりあえずは、向こうが少しでもセリーナに興味を持つように仕向けなければいけない。するべきことは、彼が興味を持ちそうな話題を振ることだ。


「あんたに訊きたいことがあったのよ、トレイシー」

「何だ」

「あんた、ゼミで魔法考古学をやりたがってるんですってね。そっちの道に入るつもりなの?魔法使いの一族に伝わる歴史以外に、一体何を知りたいって言うのよ。お姉様といい伯父さんといい、何が面白いのかさっぱりわからないわ」


 言ってしまってから、しまった、と思った。好感度を上げに行きたいのに、これでは逆効果ではないか、と。自分が好きなことを貶されて、腹を立てない人間はそうそういないはずである。


「……分かってないな」


 しかし。意外にも、トレイシーはさほど機嫌を損ねた様子もなく口を開いた。


「魔女の起源。魔法使いの歴史。これほど謎に満ちたものはない。自分の家にも関わることだ、興味を持つのは当然だろう」


 パタン、と彼の手元でエギリア語の教科書が閉じられた。


「元々、この世界に魔法はなかった。正確には細々と勉強の土地で伝えられていた魔法らしきものはあったが、殆どが科学文明に圧されて退化の一途を辿った。何故だがわかるか?」

「えっと……科学のほうが扱いが簡単だったから、じゃなくて?魔法は使う人間の素質が要求されるけど、科学はシステムさえ構築されれば誰でも支えるものだから、でしょ?」

「正解。テレビなんかが良い例だな。スイッチひとつで、いつでも動く映像を楽しむことができるし、情報の入手もできる。テレビを作るのは簡単なことではなかったが、作ってしまえば誰でも使えるのが科学技術の凄いところだ。大きな身体的障害でもなければ、テレビのスイッチを押すのに特別な資格や素質は必要ない。電話も、車も、銃も然りだ」

「まあ、そうね……」


 そのへんは、セリーナも授業でやったところだ。

 人々は、よりユニバーサルに使えるものを求めて魔法より科学を選んだ。魔法はどんどん、選ばれし者しか使えないレアな技術となっていき、文化としてはどんどん廃れていったというわけだ。


「しかも、魔法文明に決定的な打撃を与えるような出来事が起きた。第二次エギリア戦争だ」


 トレイシーの手が、ぽんぽんとエギリア語の教科書の表紙を叩く。

 自分達が今使っている言語は、このフランシア王国の公用語であるフランシア語だ。が、世界的な公用語とされているのは、大学でも必修として学ぶことになるエギリア語である。現在はエギリア連邦という名前の小国に過ぎないその国は、フランシア王国と海峡を挟んで向かい側に位置している。そして、かつてはエギリア帝国という名前で、世界を席巻した大きな国であったのだ。

 エギリア帝国は世界中の国々に戦争を仕掛け、大量に植民地を獲得していった。

 今はその植民地の国々の殆どがエギリア連邦から独立してはいるものの、未だにエギリア支配の名残は強く残っているのだ。主に言語に。元植民地の国々の殆どが、現在でもエギリア語を公用語として使っているのである。

 結果、エギリア語は世界で最も多くの国に使われる言語であることに変わりなく、世界の公用語としても採用され続けているという背景にあるのだ。我がフランシア王国でも必修科目として義務教育から高校、大学に至るまで取り入れられているのはそのためなのである。

 話は戻るが。

 かつて世界を股にかけたエギリア帝国が、現在小さなエギリア連邦になってしまい、殆どの植民地を失った原因。それは、第一次、第二次と呼ばれるエギリア戦争――内乱によるものだったのである。


「この世界に僅かに残存していた魔法使いたちは、みんなエギリア人だった。それが……エギリア戦争に巻きこまれた結果、殆ど壊滅といっていいほどの状況に陥ってしまったんだ」


 眉を顰めるトレイシー。エギリア戦争での死者は、何千万人にも上るとされている。本土が、東西南北に分かれての泥沼の戦争であり、現在の首都にさえ素粒子爆弾が三発も落ちてきたと言う話だ。どれほど悲惨な状況に陥ったのか、については様々な資料によって伝えられている。

 人の死に心を痛めるほど繊細ではないセリーナさえ、小学生の時に見てしまった博物館の資料は衝撃を受けたものだった。なんせ、当時の写真が一部とはいえ残っているのである。――頭が半壊して座り込んでいる男の写真に、腸をはみ出させた状態で這いずっている女の写真。理性を失って、獣のようになって女子供をレイプしようとしている浮浪者の写真など、正直見るに堪えないものばかりであったのだ。

 エギリア帝国はバラバラになり、人口は絶頂期の三分の一まで減少した。その結果、多くの植民地の独立を止める余力が残らなかったのである。


「……あれ?待って」


 ここまで話を聞いたところで、セリーナもようやく何かがおかしいことに気がついた。


「エギリア戦争が起きたのは三千年ほど前のことのはず。そして、魔法使いの一族はほぼ壊滅したはずだわ。じゃあ、今魔法使いの一族を名乗っている私達は何だっていうの?」

「そう、そこが我々のミステリーなんだ」


 少しだけ楽しげに、トレイシーが笑った。


「我々御三家の発生は、ほぼ千年前に起源を持っている。すべての家が、このフランシア王国の出身。だが、フランシア王国に元々魔法使いがいたという記録は残されていないのだ。そもそも、フランシア人には魔法使いの素質が生来なかったとされているわけで」

「素質がなかった?」

「エギリアの魔法使いたちが滅ぶよりも前、同胞を求めて世界中を旅した形跡がある。しかし、エギリア以外に魔法使いを見つけることはできなかったのだ。当然、このフランシア王国も然り」

「ということは、エギリアの魔法使いたちが滅ぶよりも前、もしくは僅かに生き残った魔法使いがフランシア王国に渡ってきて血を繋いだということかしら?……って」


 いや、それもない。セリーナも気がついた。

 そもそも、エギリア帝国とフランシア王国は大昔から犬猿の仲ということで有名であったのである。時には何度も戦争をした。直接海峡を跨いで殴り合ったこともあれば、それぞれが持っている植民地を使った代理戦争を起こしたこともあるほどである。

 今は昔ほど険悪な仲ではないが、国交が回復したのはわりと最近になってからのことだったりするのだ。少なくともエギリア戦争が起きた三千年前くらいともなると、ほぼ断絶に近い状態であったはず。エギリア人が、フランシア王国に渡ってくることが出来たとは考えにくい。

 もっと言えば、エギリア人はフランシア人を“お高く止まった下品な連中”とバカにしていることが多いのだ。仮に逃げ延びたとて、亡命先にフランシア王国を選ぶことはまずないだろう。


「エギリア人たちがかつてこっそりフランシア王国を訪れて同胞を探した時。フランシア王国の人々に、生来魔力が殆どないことを術によって知り、魔法の布教を諦めたという記録が残っている。……では、魔法の素質もなく、エギリアの魔法使いに習うこともなかったであろうフランシア王国になぜ……我々のような力ある魔法使いの一族が生まれたのか?」


 そこが解明されていない謎なのだ、とトレイシーは語る。


「いくつかの説はあるが、どれも立証されていない。そして、我々魔法使いが……少数とはいえ、科学文明と共存して生き延びて来られた理由についてもわからないことが多々あるのだ。それらを知るには、三千年前から千年前くらいにかけての、多くの古代遺跡を調査する必要がある。今地上に残っている文献だけでは、わからないことが多いからな。……どうだ、少しはこの題材の面白さがわかったか?」

「え、ええ……」


 セリーナは、呆気にとられて頷いた。

 確かに、魔法使いの歴史についてはミステリーが多い。調査、研究対象として興味深いのは間違いないだろう。トレイシーが面白いと考える理由が、少しはわかったような気がする。

 しかし、それ以上にセリーナが驚いていたのは。無口だと思っていたトレイシーが、興味のあるジャンルだとここまで喋るようになるという事実だった。


「……あんた」


 思わず口にしていた。


「普段から、それくらい喋ったらどうなの。最低限しか口を開かないから、色んな人に誤解されるのよ」

「誤解か」

「ええ」

「別に、俺自身は誰にどう思われてもいい」


 セリーナの言葉に、トレイシーははっきりと注げた。


「人の上辺や外見だけを見て決めつけたり、偏見を持ったりするような相手に……どう思われたって、俺は傷ついたりしないからな」


――何よかっこつけちゃって。……ていうかそれ、私のことじゃないでしょうね?


 セリーナは少しだけムッとしてしまった。

 自分に当てつけるようなトレイシーの言葉に。それから――ちょっとだけ、そんな彼を恰好よいと思ってしまった自分自身にも。

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