数日後。
セリーナは学校終わりに、とある場所へと足を向けていた。
昔の貴族はどうやらちょっとした距離の移動にも馬車を用いていたらしいが、今の時代からすればナンセンスとしか言いようがない。馬車なんて、道幅が広い道路しか通れないし、何より少しの移動のために人を呼びつけるなんてあまりにも馬鹿げた話ではないか。
そもそも、そんなやり方をしていてろくに歩かないのでは、確実に運動不足になってしまうだろう。散歩というものは大事である。運動よりも絵を描くことの方が遥かに好きなセリーナでもそれくらいは知っているのだ。
今日は美術部の活動もない日であるし、家での訓練も夜しかない。用事を果たすなら絶好の機会であるのは間違いなかった。
――確か、コリンナは私が通っていたのと同じ小学校だったはずなんだけど。
タスカー家の兄弟姉妹は、国立ドレスロッド学園の初等部と中等部に通っている。セリーナが卒業したのと同じ学校で、初等部と中等部は同じ敷地内にあるのだった。
はっきり言って、この広い場所で一人の人間を探すのは相当骨が折れるのは間違いない。それでもセリーナが、「コリンナ・タスカーなら見つけられるかもしれない」と踏んだのは理由がある。最近彼女が、友人たちとある趣味に嵌っていると聞いたからだ。
今日もそれに興じているのなら、グラウンドで遊んでいる彼女たちを見つけるのは難しいことではないだろうが――。
「あ」
幸いなことに。そこまで歩き回らずとも、コリンナを見つけることはできた。茶髪の二つ結びに、カワイイピンクのリボンをつけた少女は――友人達と一緒に、ドッジボールに興じている。学校で今大流行しているらしい。体育の時間でなくてもドッジボールで遊ぶことが、男女問わず少なくないというのだ。
そちらに近づいていったセリーナは、眉を顰めることになる。コリンナは目立つ。しかしそれは彼女が一際可愛いからというより、彼女の身なりが一際良いからに他ならない。動きやすいミニスカートのワンピースとはいえ、コリンナの服は貴族の家柄に相応しい高級品だ。ふわふわのピンクのリボンもシルクで出来ている。対して、一緒に遊んでいる子供達の多くは明らかにコリンナに見劣りするような衣装に身を包んでいた。
人の階級というものは、大体身につけているものを見るだけでも透けてくるというものだ。
今ボールをキャッチした少年は、まだ身なりがしっかりしている方だろう。しかし、ボールを投げた少年の方は、恐らく労働者階級といったところか。スボンには穴があいているし、裾が泥かインクのようなもので汚れている。
その向こうにいる女の子なんかもっと見窄らしい。服もボロボロだがそれ以前に歯がやばいことになっている。殆ど虫歯で溶けてしまっているではないか。あれは、歯磨きの知識がない身分の人間だと思って間違いないだろう。笑い方もなんだか下品だ、背中がむずむずしてしまう。
――確かに、うちの学校は最近になって身分が低い子供でも通えるクラスが新設されたって話だけど。だからって……貴族の、それも魔法使いの一族の御三家の娘が!あんなみすぼらしい下民の子供と遊ぶだなんて!
しかも、ドッジボールだって全然上手くない。
あの見窄らしい少女が転がってきたボールを持った。勝つためには、あの貧相な腕で投げさせるのは控えるべきだ。もっと投げるのが上手そうな者はいくらでもいる。速いボールを投げられる選手の方が、より相手にヒットさせる確率が高いのは道理だろう。
ところが、少女のチームメイトたちは誰も彼女に「他のやつにパスをしろ」と言い出さない。「勇気を出して投げてみなよ」と薦めている始末。同じチームのコリンナでさえ、彼女にボールをパスしてくれとは頼まない。笑顔で「投げてみなよ」と促している。
――いくら遊びとはいえ、勝負は勝負でしょ?何、足手まといに投げさせてんのよ!
実に腹立たしい。案の定、みすぼらしい少女が投げたボールはあっさり敵チームの少年にキャッチされてしまった。少年はそのまま反撃に出て、コリンナにボールをぶつけて外野に退場させてしまう。
ああもう!と見ていたセリーナはつい足を踏み鳴らしていた。自分だったらキャッチなんかされないし、あんなボールくらいあっさり捕ってみせるのに、と。
愚図な少女に投げさせた結果、戦力だっただろうコリンナが外野に抜けてしまった。とんだ失態だ。本来ならどれほど激しく責め立てられても文句は言えないはずなのに。
「どんまい、キャサリン!」
「気にしないで!」
「う、うん。ごめんね、次頑張る!」
「そうそう、その意気、その意気!」
少年少女達は、笑顔でキャサリンと呼ばれた下層階級らしき少女にエールを送っていた。
――何なのよ。
理解できない。
――何だっていうのよ。
自分は何を見せつけられているのか。しばし、セリーナは途方に暮れたのだった。
***
結局、コリンナのいたチームは負けてしまったようだった。友達と別れて帰ろうとしていたところで、セリーナは声をかける。もしも自分がコリンナのメールアドレスか携帯電話番号を知っていたなら、わざわざ尋ねる必要もなかったのだが。生憎、セリーナは連絡先の交換をするほど、コリンナと親しいわけではない。まあ、コリンナどころかその兄や姉たちの連絡先も自分は知らないわけだが。
こっちは時間がないのである。少しでも早く、少女たちが大人たちからどのような指示を受けたのか、そして現状で彼らの票を変えることはできるのかどうか、情報収集をしておかなければなるまい。
「……なんの御用なの、セリーナ……さん」
話に応じるつもりではあるようだ。学校の敷地内に設置されていたベンチで、セリーナの隣に座ってくれたのだからそういうことだろう。しかし、随分と警戒されている。この子に直接何かをした覚えはないのに不思議である。
「いくつか尋ねたいことがあったのよ、貴女に」
回り道は嫌いだ。よって早々に本題に入らせて貰うことにする。
「コリンナ、貴女……継承会議のことは知ってるわね?次の磔刑の魔女を選ぶ会議のことよ」
「……知ってるけど」
「その会議では、継承者と追放者を一名ずつ選ぶことになっているわ。貴女、現時点で誰に入れようとか決めてたりするわけ?自分には投票できないことは知ってるわよね」
セリーナの言葉に、コリンナは困惑したように眉間に皺を寄せた。
「……誰に投票するのか、決めていても継承者同士で言っちゃいけないってルールじゃなかったっけ。セリーナさん、知らないの?」
どうやら、その規則は知っていたらしい。ていうか、まるで私が無知みたいな言い方しないでよ、とセリーナは舌打ちをする。幼いコリンナはこのへんのルールを破ってくれるかもしれない、あるいは知らないでいてくれるかもしれないと思ったが、流石にそれは甘かったようだ。
腹立たしいが、子供を相手にこの程度でマジギレするこど幼いつもりはない。セリーナは無理矢理笑顔を作って「貴女を試したのよ」と言った。
「誰にするかを言えって言ってるんじゃないわ。でもその様子だと、誰に入れるのかは大体決めているって顔ね。お父様とお母様に何か言われたの?」
「違う。投票権があるのは、あたしだもん。あたし自身の考えで、誰を選ぶのか決めないと意味がないって思ってる。お父さんとお母さんも納得してくれてる。あたし達みんな、自分の意志で誰に入れるか決めていいよって。困ったらアドバイスはするとは言われたけど、あたしが断ったの。自分の心に素直でいたいから」
「……!」
両親の指示を受けていない?今度はセリーナが混乱する番だった。てっきり、タスカー家の面々は全て両親の意思で動いているとばかり思っていたのに。
「じゃあ、どういう人を継承者に選ぶべきだと思うの?あんまり話したことがない人間もいるんじゃなくて?」
セリーナは遠回しに、ろくに知りもしない人間を選んだりしないよな?とカマをかけてみることにした。もしもコリンナの言葉が本当ならば、彼女は前の世界、自分の意思で継承者にトレイシーを、追放者にセリーナを選んだということになる。
せめて、基準だけでも知りたかった。トレイシーとコリンナがどれほど交流があるのかはわからないが、少なくともセリーナがコリンナと殆ど話したことがなかったのは事実なのだから。
「……あたし」
コリンナは、少し迷った末に、口を開いた。
「いじめっ子とか、意地悪な人は嫌いなの。好きなのは、それをやっつけてくれる人。どんなに魔法の力があっても、心が優しい人じゃなかったら魔女に選んじゃ駄目だと思うの」
例えば、と彼女はグラウンドを指さした。そこは、さっきまでコリンナが友人たちとドッジボールをしていた辺りである。まだ、消石灰で引かれた白線は残ったままになっている。
「あたし、気がついてた。セリーナさん、あたし達の試合見てたでしょ」
「見てたわよ。それが?」
「あたし達が、キャサリンにボール投げさせた時に苛々してたでしょ」
「!」
セリーナは目を見開く。まさか、そこまで気が付かれているとは思っていなかったからだ。
「セリーナさんの話は、みんなから聞いてる。貴族だけがニンゲンで、それ以外の人はニンゲンじゃないと思ってるって。でも、それだけじゃないよね。力や立場が弱い人に、味方する必要はないと思ってるよね。キャサリンのことも好きじゃないでしょ」
あのね、とセリーナは言う。
「キャサリンのお母さんは“しょうふ”なんだって。男の人に体を売る仕事をしてたって。キャサリンが学校に入れたのは、お母さんが一生懸命稼いでくれたからだって。あたし、子供だけど、体を売るってことがどういうことなのかは大体知ってるよ。キャサリンからいろいろ聞いたから。……セリーナさんは、汚らわしいって思うんでしょ。キャサリンのことも、そのお母さんのことも。でも……キャサリンのお母さんは身分が低くて戸籍がないから、普通のお仕事なんかできなくて、仕方なかったんだよ。それは、キャサリンのお母さんが悪人だからだとか、犯罪者だからとかじゃない。何も悪くないのにそう生まれついてしまったってだけなの」
少女は彼女なりに、懸命に言葉を紡いでいく。
「本人にはどうしようもならないことを、気持ち悪いとか汚いとか言うのはおかしなことだってあたしは思う。キャサリンのお母さんは、そういうことをしてでもお金を稼いでキャサリンを学校に行かせてくれた。それってすごいことだと思うし、むしろあたしは尊敬するべきだと思う」
「……娼婦がどういう仕事かわかってるんでしょ?それでも?」
「それでも。仕事の内容がどうとかじゃないの。そうやって、誰かのために本気で頑張る心が尊いと思うの。……そのお母さんを尊敬して、自分も誰かの役に立てる人間になろうって頑張ってる、キャサリンのこともね。だから、あたしはキャサリンと一緒に遊ぶし、キャサリンのことも大好きなの」
コリンナは。
その大きな瞳で、まっすぐにセリーナを見て。
「セリーナさんは。誰かのために、本気で何かをしようと思ったことある?」
「!」
問いかけた。その瞳の純粋さに、真摯さに、セリーナは何も言えなくなる。考えたこともなかったからだ。他人のために自分の誇りや魂をかけて戦おう、なんてことは。
「あたしが、継承会議で選ぶとしたら。キャサリンや、キャサリンのお母さんみたいな人がいいと思うの。誰かのために一生懸命になれる人。思いやれる人。守るために戦える人がいい。逆に……いなくなって欲しいと思うのは、そういう人達に意地悪をする人だよ」
それは、ほとんど答えのようなものだった。コリンナの声に少なからず混じる侮蔑。彼女はどうやら前々からセリーナの思想を知っていたらしい。
そして、ほぼ間違いなく自分の意志で選んだのだ――セリーナを、追放者に。一族に要らない人間として。
――何よそれ。わからないわよ。
セリーナは、拳を握りしめて暫く動くことができなかった。
真正面から嫌い、と言われるより。余程ショックを受けている自分に気がついたのだ。まさか、話したことも殆どない小さな女の子に、ここまで敵意を向けられるとは思ってもみなかったから。
――私は、意地悪な人間だっていうの?要らないって、本気で思うの……!?
己の力に絶対の自信があったセリーナ。だからこそ今になって、初めて気がついたのである。
セリーナは今までの人生で一度も、己の人格や人徳を誇りとしたことはなかったということに。