多分、コリンナに嫌われていたことがショックだった、というのとは違うだろう。
いや、それも間違いではないのだが少しばかり語弊がある。というのも、セリーナは自分に票が集まったのは何かの陰謀や裏工作があったからだとばかり思っていたからだ。まさか、タスカー家でも一番幼いコリンナが、自分の意思でセリーナを追放者に選んでいたかもしれないなんて考えもしていなかったのである。
無論、現時点で確実にそうだと決まったわけではない。継承会議まであと一年あるのだ。その間にコリンナの考えがどのように変わるかなんてわからないことではあるし、ひょっとしたら最終的に指示が出た可能性も否定はできない。指示があったのに、コリンナが“自分の意思で入れたと言いなさい”と言われて従っている可能性もあるだろう。
でも。
少なくとも現時点では、コリンナは極めて雄弁に、自分の意思で“誰が魔女に相応しく、逆に同胞として相応しくないか”を語った。それが一年後に大きく覆ったとは、正直思い難い。実質、現時点で彼女が追放者に選ぶべき人物をセリーナだと考えているのは確かなことなのだろう。
――他の……タスカー家の三人も、そうだということ?メルヴィンと、サイラスとオードリーの双子も、みんな?みんなそれぞれの理由で、私のことを嫌っていて投票したかもしれないっていうの?
追放者は処刑されると知らなければ。
そして親たちから本当に指示が出ていなければ。自分にとって“嫌いな人間”に票を入れたくなるのは道理と言えば道理である。セリーナだって正直なところ、ほとんど自分の感情だけで追放者にトレイシーを選んで投票したのだから人のことをどうこうは言えない。
わかっている、それでもだ。
――殆ど話したこともないのに、あんなに嫌われているなんて。
自分は、陰謀ではなく本気で多くの少年少女達に嫌われて、追放者として選ばれてしまったのかもしれない。その事実が、ずっしりとセリーナの肩にのしかかっていた。それがこんなにショックなことだなんて、自分でも思ってもみなかったことなのである。
自分は、想像していた以上に嫌われていたというのか。大して話したこともない相手に、一体何故?
階級制度を肯定していたから?身分が低い下民どもを蔑んでいたから?でも、それは貴族としては珍しくない考えではないか。最近はコリンナのように、身分など関係なく友達を作るべき、対等であるべきと考える貴族も増えてきているのは事実だが。
――私、間違ってないでしょ?
コリンナと別れて、自宅へ戻る帰り道。信号待ちをしていたところで、ぽつり、と足元に雫が落ちたことに気が付いた。
空を見上げると、いつの間にか重たい雲が覆っている。今日の天気予報は夜まで晴れだと言っていたのに、大嘘つきではないか。
――私、間違ってないわ。貴族は、選ばれし人間だから貴族なのよ。生まれつき、下民たちを支配することを許された階級。ましてや、私は魔法使いの御三家に生まれたセリーナ・イーガン。魔法も使えない、身分も低い下民どもを蔑んで何がいけないっていうのよ?
納得いかない。
理解できない。
コリンナはただ、身分が低い子供達と一緒に遊んでいただけではない。自分より弱く、ドッジボールが上手でもない少女を仲間に迎え入れて、足手まといでありながらも仕事を回そうとする。彼女の成長を促そうとする。まったくもってわからなかった。何故役立たずと仲良くする必要があるのだろう。使えない人間なんて、さっさと切り捨てればいいではないか。さっきのドッジボールだって、あのキャサリンが仲間でなければきっとコリンナのチームが勝っていたはずなのに。
「ああ、もうっ……!」
ぽつり、とさらに頬に当たる雫。これはまずい、と信号が変わると同時にセリーナは早足で歩きだした。
最悪だ。天気予報を鵜呑みにしたせいで、今日は傘を持ってきていない。
「なんのよ……本当になんなのよ、どいつもこいつも!」
無理やり気持ちを怒りに持って行こうとした。そうしようとしている自分に気づいた。
そうでなければ、泣いてしまいそうな己がいたから。
***
嫌な予感は的中した。
歩いているうちに、どんどん雨粒は大きくなり――結果、セリーナは途中の雑貨店の前で雨宿りを余儀なくされることになったのである。携帯電話はあるので、一応迎えの車を用意して貰うことはできるが、今日はまったくそんな気分になれなかった。この顔を、誰にも見られたくない。雨宿りでもなんでもいいから、少しでも長く一人でいたかったのだ。
そう、思っていたというのに。
「折り畳み傘くらい、普段から持ち歩いたらどうなんだ」
「……何よ」
何故、このタイミングで現れるのか、トレイシー・パーセル。紺色の傘を持って、厭味ったらしい言葉を投げかけてくる。
確かに、この通りは大学から真っ直ぐ家に帰ろうとすると通る道だ。パーセル家とイーガン家は屋敷のある場所も近いので帰り道も大筋で被っていることは知っている。
「酷い顔だな」
眉を顰めて言うトレイシー。そう思うなら、何で話しかけてくるんだと思う。嫌がらせだろうか。
「……急に雨に降られて不機嫌なだけよ。悪かったわね、傘を忘れる間抜けで」
「そこまで言っていないだろう。……コリンナからメールがあったんだ。少しきついことを言い過ぎたかもしれないから、セリーナさんに謝罪を伝えてほしい、と」
「は?……何でその連絡が、あんたに行くのよ」
コリンナに、十歳の少女に気を使われてしまった。それもだいぶ惨めな事ではあるのだが、それ以上に何故コリンナがトレイシーにそのメールをよこすのかがわからなかったのだ。
正確には、パーセル家の人間に伝えたくなるのはわからないではない。イーガン家と家が近いし、言伝を頼むこともできなくはないだろうからだ。が、あのコリンナが懐いているのはトレイシーではなく、その兄のドミニクの方だったと記憶しているのだが。
「セリーナの連絡先をコリンナが知らなかったからだろう。兄さんと俺はコリンナとも共有チャットをやっているし、そういうメールが来るのも自然だと思うが」
「いや、自然じゃないわよ。むしろ共有チャットをやるくらい、あんたあの子と仲良しなわけ?」
「時々あの子にドッジボールを教えているだけだ。そこまで親しいわけじゃない」
どうだか、とセリーナは腐りたくなる。そもそも、共有チャットに招かれるくらいの仲であるのは間違いあるまい。
そして、腹立たしいが一つ謎が解けてしまった。コリンナは元々、トレイシーとも親しくしていて彼のことをよく知っていたわけだ。そりゃ、継承者に推薦もしたくなるだろう。ドッジボールを教わるくらいだから、それなりに尊敬していないはずがないだろうし。
「……別に、コリンナに悪口言われたとかじゃないわよ」
何だか、誰でもいいから八つ当たりしてしまいたい気分である。雨のせいで、余計気が滅入ってしまっている。
「そもそも、十歳の子に気を使われる筋合いはないわ。ただ、継承会議についてちょっとあの子に訊いてみたくてそうしただけなんだから。それと、ドッジボールをしてた話を聴いた。それだけよ」
雨音に、自分の声が随分と湿っぽく響く。傘を持って立つトレイシーの後ろを、貴族や庶民を問わず何人もの通行人たちが通り過ぎて行く。この大通りは、まっすぐ左に行けば駅へ繋がっている。右の方にはセリーナたちの学校をはじめとしたいくつもの学校や学生寮があるということもあって、この通りは元々学生たちが通ることが多いのだ。駅の反対側には大きなショッピングモールもあるから尚更である。
忌々しい、と舌打ちしたくなった。今の時間、通り過ぎる学生たちの多くが“一人”ではない。友達と一緒だったり、恋人と一緒だったり。楽しそうに話をしながら歩いていく者達が目につく。時には、一つの傘に笑顔で身を寄せあいながら。
自分には、そんな存在はいるだろうか。どうしてもそんなことを想ってしまう。
己はもっと、尊敬されているとばかり思っていたから。魔法の素質があり、誰よりも美貌を誇り、リーダシップにも優れていると思っていたから尚更に。
「……お前は」
やがて、トレイシーが口を開いた。
「コリンナのことを、親の思い通りに動いている子供だと侮っていたんじゃないのか」
「何ですって?」
「お前がどういうつもりで、継承会議についてコリンナに尋ねたかは憶測になるがな。一番幼いコリンナが、自分の意思で継承会議の票を決めるつもりでいるなんて、思ってもみなかったんだろう?」
「…………」
完全に図星なので、黙るしかない。トレイシーはさらに畳みかける。
「誰に最終的に投票するつもりでいるのかについては、タブーだからお前に話すことはしなかったはずだ。それでも、お前も想像がついただろう。彼女が誰かの言いなりではなく、自分の意思で継承者と……この一族に不要な追放者を選ぼうとしていることに。ひょっとしたら、自分はそれになるかもしれないということに。納得いかないけれど、ショックは受けている。そんなところじゃないのか」
「……わかったようなクチきかないでよ」
ギリ、とセリーナは奥歯を噛み締める。何でこう、いつもいつもこいつは偉そうに自分に説教してくるのか。己は正しいと言わんばかりの態度なのか。
気に食わない。セリーナだって、己に恥じるよなことは一つもしてこなかったつもりだったのに。どうして、あんなろくに話したこともない女の子に、あそこまで露骨に嫌われなければいけないというのか。
「私、間違った事なんかしてないし、考えてないわ。おかしいのはコリンナじゃない。なんで、継承者に選ぶ基準が『魔法の素質より思いやり』みたいなぼんやりしたものになるわけ?下民と仲良くできるような人間が、娼婦みたいな汚らしい商売を尊敬できる人間がどうして正しいなんてことになるのよ。意味わからないわよ……!」
思いきり足を踏み鳴らした瞬間、水たまりが大きく撥ねた。泥水には、今まで自分でも見たことがないくらい情けない顔をしたセリーナが映っている。
「どうして、私のそういう考えがコリンナに知られてんのかもわからないし、そもそもどうしてそんなことで嫌われなくちゃいけないのかもわからない!わからないし、納得できないってのに……なんで、何で私は悔しいのよ。意味不明よ!」
悔しい、ではなく。本当は悲しい。それを認めたくなくて言葉を避けた。
本気で泣きそうだ。どうして、こんな惨めな思いをさせられなければいけないのか。
「……セリーナ」
やがてトレイシーが、呆れたように呟いた。
「お前も、自分の間違いに気づくべき時が来た。そういうことだ」