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<24・Trouble>

 トレイシーの父は、名をエイブラハム・パーセルと言う。

 二十六歳と二十歳の息子がいるとは思えないほど若々しく溌剌とした男性で、それでいてユーモラスな話もできる紳士だ。トレイシーいわく「あの人少なくとも十年前から見た目が変わってない気がする」とのこと。流石に成人証明が必要な童顔というわけではないが、それでもまだ二十代と間違われることがあるらしくそれをネタにしているという。

 以前、こっそり三十代オンリー飲み会なるものに参加したところ、入り口で「年齢誤魔化してませんか、貴方二十代でしょ」と突っ返されそうになったらしい。まあ、実際は五十手前なのでそれも詐称と言えば詐称なのだが。


『はっはっは!おじさんもパワフルでないとね、今の時代はね!ふむ、今度はもう少しバレない悪戯をしてみようかな!』


 まあこんな感じの人である。機嫌が良い時は一人称が“おじさん”になる。ちょっとお調子者の面もあるが、セリーナもけして嫌いな人物ではない。そして、息子たちとの仲も良好だと知っている。少々自分と兄を“大人のお店”に連れ込みたがるところがあるらしく、トレイシーは辟易しているという話だったが。


――エイブラハムさんが……怒ってるところなんて想像がつかない。


 だからこそ、セリーナは愕然とする。


――どういうこと?……一体何で揉めたっていうの?


 トレイシーはただ、磔刑の魔女の語源が本当に禁術から来ているのか、そして当主の役目としても危ないものが引き継がれてはいないかどうかを調べていただけのはずだ。

 勿論、サイラスとオードリーの話だけでは、トレイシーが父と揉めた理由が彼の調べ事にあったと断言することはできないが。


「エイブラハムさんと、トレイシーさんが喧嘩するなんて。よっぽどのことをしたとしか思えないんだ。しかも僕達が聴いている前で怒鳴ってたんだよ?あの温厚なおじさんらしくないでしょ、あまりにも」


 サイラスは苦い顔で言う。


「セリーナさん、貴女が何かをしたせいでそんなことになったと決めつけてるわけじゃないんだ……少なくとも僕はね。でも、何か知ってるなら話して欲しいんだよ。僕達、結局のところただトレイシーさんが心配なだけなんだ。知ってそうなのが貴女くらいしかいない。教えてくれないかな」

「…………」


 どうしよう、とセリーナは悩んだ。双子が聴いている前で、トレイシーが父親に怒鳴られていたと。そりゃ、心配になるのも頷ける。ただ。


「……なんて言って怒鳴られていたのか、聴こえたの?」


 正直、迷うところではある。磔刑の魔女という称号が、旧カヴァナー家を滅ぼした禁術に由来するものかもしれない、なんてこと。まだ幼い彼らに話して良いものなのだろうか。

 トレイシーは、恐らくそれを知ったせいで御三家の闇に触れつつある。話したら最後、この双子も巻き込むことになるのではないか。


「私達が傍にいると知ってエイブラハムさんが少しトーンダウンしたので、断片的に一部のキーワードが聞こえただけですわ」


 苛立つようにオードリーが言う。


「『当主をなんと心得るのか』とか。『何でそんなことを知っているんだ』とか、『重要な役目だ』とかなんとか。わたくし達には、何の話をしているのかさっぱりでしたわ。ひょっとしたら、継承会議が関係しているのかもしれないとは思いましたけど」

「タイミングがタイミングだからね、無関係とはちょっと思えなくて」


 オードリーの言葉を、サイラスが引き継いだ。


「本当はいけないんだけど……この際はっきり言うよ。僕達も、恐らく多くの人達も……磔刑の魔女、御三家の当主に選ぶべきはトレイシーさんだと思っている。ずば抜けた魔力に、人望もあり、正義感も強い。まだお若い方ではあるけれど、あの方がトップに立てば御三家を、魔法使いの一族をより良い方向に導いてくれると考えている人は多いんじゃないかな。特に、トレイシーさんには優秀な兄上もいる。不慣れなことは、兄のドミニクさんがきっと助けてくださることだろう」


 なるほど、トレイシーが選ばれやすい背景にはそれもあったらしい。

 トレイシーは兄のドミニクとも良好な関係が築けている。というか、ドミニクが昔から年の離れた弟を猫っかわいがりしているというべきか。トレイシーが当主になったら、頼まれなくてもサポートを申し出ることだろう。


――そりゃ、私に票が入らないわけよね……。


 単なる魔力だけで言ったらセリーナもさほど変わらないはず。だが、セリーナは実姉との折り合いが悪く、兄とも良好というほどではない。セリーナがトップに立っても兄と姉が助けないかもしれない、というか多分そうなるだろう。

 そう考えると、最初からこの勝負は勝負になっていなかったのかもしれなかった。そこまで考えが及んではいなかったが。


「僕達は……両親から、特に誰に票に入れてくれとか頼まれてはいない。誰を当主にするべきか、自分達で考えて入れていいと言われてる。追放者の方も然り。でも多分現在の親密度や好感度を踏まえても、トレイシーさんがトップになったら一番差しさわりがないだろうなっていうのは想像に難くない」

「……そうかもしれないわね」

「それが理解できるならセリーナさん、僕達が何を言いたいのかはわかるよね?今一番、御三家にとって困るのは……その筆頭候補であるトレイシーさん本人が、当主になりたくないと言い出すってことなんだ。流石に、本人にやる気がまったくないのに選ぶってのは本意じゃないから」


 まあ、そりゃあそうだろう。セリーナは前の世界を思い出す。

 実のところ継承会議では、継承者の方はどうしてもなりたくないなら一応意見は考慮されることになっているのである。というか、自分達が話し合いでそうしたのだ。絶対に嫌!な人に無理強いできるような役目でもないからである。――今思うと、当主としての仕事をやる気もないのによく自分は辞退しなかったものだと思ってしまう。選ばれる快感と優越感が、当主の重責に勝ってしまっていた結果ではあるのだが。


――トレイシーに、今のところ当主になるつもりがない……というのは、何度も聴いているから明らかなんだけど。


 少なくとも、継承会議のはじめに「どうしてもやりたくない人は挙手をして」と言った時。トレイシーは、手を挙げるということをしなかった。

 あれは彼にとって「どうしてもやれと言われるなら自分がやるしかない」と思っていたからなのか。あるいは「やっぱり自分がやるしかない」と心変わりしたのか、一体どっちだったのだろう。

 やっぱり、こう考えると時間を遡る前にやるべきことがたくさんあったような気がしてならない。せめてもっと、情報収集しておくべきだった。最後にトレイシー本人と話す機会もないわけではなかったというのに。


――こうして考えると、トレイシーが当主になった方が都合が良いと考える人間は元々多かった、ということになるわね。……むしろ、トレイシーがどう足掻いたところで、そうそう票の流れは変わらなかったかもしれないわ。


 そして、追放者の方も。

 トレイシー本人が仮に「セリーナを魔法使いの一族から自由にしたい」という理由で皆に票が集まるように頼んでいても、いなくても。セリーナの嫌われぶりを考えるなら、票が集まった可能性は相当に高かったことだろう。

 まったく、自分の浅慮さが嫌になる。この状況をちっとも知らずに、トレイシーが自分を罠にハメたとばかり思っていたのだから。


「セリーナさん?黙ってばっかりじゃわかんないんだけど!」


 オードリーがやや声を荒げた。


「何かを知ってるなら教えなさいよ!わたくしたちだって暇じゃなくってよ!」

「オードリー落ち着きなって」

「でも!」


 セリーナが考え込んでしまったために、しびれを切らしたのだろう。

 決断しなければいけない。自分が知っていることを話すか、話さざるべきか。


――そうだ、結局どうしてトレイシーが、あんなにも当主になることに積極的になったのかまったくわかってない。それに、私を追放者にしたいだけなら、あんな嫌われ者を演じる必要があった?


 他の兄弟はともかく、トレイシー本人はセリーナのことをそこまで嫌っていなかったことは現在の言動で明らかになっている。

 やはり、本人に訊きだすしかないのか。今まで、いろいろと尋ねられずに黙っていたことを。あるいはもういっそ、逆行してきたことを話すべきなのか――?


――それに、ひょっとしたら磔刑の魔女の真実について、未来のこの子達も知った上で票を投じていたのかも。


 考えた末。セリーナは決めた。


「サイラス、オードリー。貴方たち、秘密を守るのは得意?」

「え」

「此処から先の話。他の人に話すというのなら、これ以上私から何かを言うことはできないわ。ひょっとしたら、大人達が何かを隠しているかもしれない……私とトレイシーはそれに気づいて、今調べているところなのよ。この話を聴いたら貴方達も無関係ではいられなくなる……いえ、継承会議に参加する以上既に無関係ではないのでしょうけど」


 この双子にとって、セリーナの信用が地に落ちていることはわかっている。いくらそういう話をしたところで、双子が自分の話を信じてくれるかどうかは別問題。そして、黙っていてくれと頼んだところで、それを守るかどうかは彼ら次第なのだ。

 セリーナは周囲を見回す。この部屋に、自分達以外の人間はいない。執事のマイルズは部屋の前で待機しているだろうが、それだけだ。彼には会話が漏れ聞こえる可能性もあるし、なんなら盗み聞きしていてもおかしくはない。重鎮の執事頭、信用できるだろうか?既に大人達側の人間という可能性はないのか?


――……万が一マイルズが敵だったら勝ち目はないけど。ここは、信じるしかない。逆に味方に引き込めればこれほどまでに頼りがいのある人もいないのだし。


「トレイシーを継承者に選ぼうと思っているなら尚更、考えるべきことではあると思うの。実のところ私も……何もないなら、御三家の当主になるべきは彼だと思っていたから。本人が望むのなら、の話だけどね」

「……サイラス」


 オードリーが困ったようにサイラスを見る。それが少しだけ意外だった。彼女は兄よりも、セリーナを信用していない。そんな話をしてまたたぶらかすつもりなんでしょ!と怒鳴ってくるかと思っていたからだ。

 ところが、兄に判断を委ねた。本人が、セリーナの言葉を嘘と決め付けなかった証拠である。


「……話さないかどうかについて、確約はできない。話の中身を知らないと判断がつかないからね」


 サイラスは少し考えた末、真剣なまなざしでセリーナに告げた。


「それでも、セリーナさんの話が秘密にするべきもの、トレイシーさんのために沈黙するべきものだと感じたら約束は守る。それでいいなら話して。僕達も、継承者に関わることは関係者だ。覚悟を決めて話を聴くよ」

「お兄様がそう言うなら……わたくしもとやかく言いませんわ」


 なんとなく、この二人の関係性がわかったような気がした。妹がいつも強気に前に出るようでいて、なんだかんだ決断するのは兄という構図なのだろう。

 セリーナは頷き、話し始めた。


「私とトレイシーで、ナナコタウンの方に日帰り旅行に行った日よ。私が、カヴァナー家の地下遺跡でアレを見たのは」


 自分があの場所で見た、一部始終を。

 そして追放者は殺される、という話を。

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