——やっぱり、伊坂だった。
壊された祠を前にして、確信が胸に沈んだ。
足元に転がる石片や割れた木札が、月明かりの下でぼんやりと白く光っていた。
伊坂——あいつの仕業だとしか思えなかった。
“祠壊し文学”に取り憑かれたように執着し、「物語と現実の境目を壊す」と繰り返していた男。
自宅に戻った俺は、大学の掲示板や文学部関連のSNSを片っ端から漁った。
伊坂の名前ではヒットしない。だが、あの文体を忘れるはずがない。
夜の二時、ようやく見つけた。匿名掲示板の“創作系”スレッドに投稿されていたひとつのスレタイ。
【速報】実際に祠壊してみたwwwwww【#祠壊し文学】
心臓が跳ねた。
そこには、件の祠が崩壊していく瞬間を撮影した複数の画像が添えられていた。夜間モードで撮られたそれらは、どこか不穏な静けさを孕んでいた。
崩れる祠。崩れない空気。
まるで「壊れてはいけない何か」に手を伸ばしたような映像だった。
キャプションには、伊坂の“あの文体”で短い言葉が綴られていた。
文学は現実に干渉してナンボ。
俺が壊した瞬間、空気が変わった気がした。
——これはもう、創作ではない。報告だ。
バズらないわけがなかった。
午前三時の時点で、投稿には三万を超える「いいね」と二万件近いリポストが付いていた。深夜なのに、タイムラインは凍りついたような異様な熱を帯びていた。
「やばい、マジで壊してる……」
「これ、演出じゃないよな? 本当に……」
「映像、なんかおかしくない? ノイズ混じってんのに“聞こえる”気がする……」
コメント欄は興奮と困惑の入り混じった声で埋め尽くされ、まとめサイトや考察系YouTuberが飛びつくのに時間はかからなかった。
「実際に祠を壊した男」は、瞬く間に“ネットの神”へと変貌した。
映像の中で祠は、静かに、しかし確実に崩れていく。それは物理的な倒壊というより、世界の「構造」がほつれていくような、妙に滑らかな連続だった。
風もないのに、葉がざわめき、虫もいないのに、耳鳴りのような高音が聞こえる。
不自然な静寂。なのに、やけにリアル。画面越しでも、背筋がじわじわと冷えていくのを感じた。
音声はノイズ混じりで、どこか遠くの水音のようなものが微かに聞こえていた。それが逆に“本物らしさ”を強調していた。加工されていない、荒削りの“現実”。
翌日、大学でも話題は持ちきりだった。
特に文学部の一部では、#祠壊し文学の再評価が進み、伊坂の過去の作品が引き合いに出された。
「これは革命だ」「フィクションが現実に踏み出した瞬間だ」
そんな意見が飛び交い、“模倣者”たちが次々に出てきた。
画像投稿、音声朗読、実録風の小説まで、“祠”というモチーフは瞬く間にネットミームと化し、肥大していった。
だが、伊坂の投稿だけは、他と何かが違っていた。
それは作品ではなく、行為だった。観察でも演出でもない。ただ「壊す」という意志。
彼は語らなかった。正体も明かさなかった。それがまた、ネットの妄想を燃やした。“沈黙”は“真実”よりも雄弁だということを、伊坂はよく知っていた。
数日後、大学の構内で伊坂とすれ違った。変わらない風貌。相変わらず寝ぐせ頭で、襟の曲がったシャツ。だが、その目だけは別物だった。
以前はどこか他人事のような焦点だったのに、いまの伊坂の目は、何かを“見てしまった”人間の目だった。
「……お前、やったのか?」
俺は思わず口にした。
伊坂は、少しだけ口角を上げてから、肩をすくめた。
「何の話?」
「祠を。壊した、あの動画」
「さぁな。誰が壊したんだろうな」
彼は立ち止まりもせず、歩きながら言った。
「でも、見ただろ? バズった。物語は、ちゃんと動き出した」
その言葉が、やけに重たく聞こえた。
その夜、ふたたび投稿があった。
「まだ“ある”らしい。壊されずに残ってる“別の祠”。場所は……まあ、近いうちに“発表”されるかもな」
コメント欄は騒然となった。
「次も頼む」「場所晒してくれ」「今度は俺が壊す」
加速する欲望。壊すことでしか“存在”を証明できない者たちの、狂気の連鎖。
だが、俺にはどうしても気になることがあった。
あの祠が壊された日を境に、ゼミの神谷がパタリと姿を見せなくなったのだ。
神谷——オカルトに詳しく、祠壊し文学の初期の背景にまで異様な執着を見せていた男。
彼が最後に残したSNSの投稿には、意味深な言葉があった。
「壊してはいけないものがある。
——それを、俺たちは忘れている」
その投稿を最後に、更新は止まった。アカウントは消えていない。けれど、まるで“主”だけが抜け落ちたように、静まり返っている。
……気のせいかもしれない。
けれど俺には、それが祠の破壊と無関係には思えなかった。