#祠壊し文学 が、終わりつつあった。
一時はSNSで「バズり」の代名詞となり、大学の文芸サークルを中心に沸騰したそのブームも、今では週に数件の投稿があるだけとなった。
かつては熱狂と興奮に包まれていたコメント欄も、今では惰性で書き込まれたような感想と、低品質な模倣作品への冷笑が並ぶばかり。
後発の“祠破壊”作品は、どれもこれも伊坂の模倣にすぎなかった。
画像は曇天の中でピントが甘く、テキストは既視感にまみれた文体をなぞるだけ。かつての鮮烈さも不穏さもなく、ただ“消費されるためだけの祠”が、次々と破壊されていった。
フォロワーたちは、新たな刺激を求めて別の流行へと移り、#祠壊し文学 は、静かに、そして確実に、終わりの予感を漂わせていた。
——それでも俺は、あの裏山へ行くことができなかった。
だが、伊坂だけは違った。
あの出来事以来、彼の目には不気味な熱が灯り続けていた。
ゼミの議論の最中も、居酒屋での雑談の最中も、彼の視線はどこか遠くを見つめていた。
言葉を交わしながらも、心はまるで別の場所——もっと冷たく、もっと先鋭な“風景”を見ているようだった。
そして——それは、春の雨がしとしとと降る静かな午後のことだった。
「新しい祠が見つかった。壊したい奴、募集する」
伊坂の個人ブログに、たったそれだけの文章が投稿された。
そして、その一文は、瞬く間に再拡散された。
忘れかけていた熱狂が、再びSNSを駆け巡る。
だが、俺は知っていた。
祠は、あの一つしかない。
裏山の地形は隅々まで知っている。大学の土地管理資料や古地図にも、それ以上の祠は記載されていない。あの因習村があった場所以外には。
つまり——伊坂は、何かを“仕組んで”いる。
「今度は動画を回す。ライブ配信で、祠が壊れる瞬間を撮る。物語は、視覚に訴えてこそ、だろ?」
講義帰りの廊下で、伊坂がこちらに歩み寄り、そう言った。
彼の瞳は、硝子のように澄んでいた。いや、あれは澄んでいたのではなく、空っぽだった。
そこには、熱でも興奮でもない、ただの“冷たい演算”が宿っていた。
「お前も来いよ。前に“空気が変わった”って言ってたじゃん。そういうの、大事にしようぜ。創作の“核”ってやつだ」
俺は曖昧に笑い、足早にその場を離れた。
だが、夜になってもその言葉が耳から離れなかった。
まるで、音だけが“祠”の奥に残ってしまったような——そんな感覚だった。
そして、数日後——
「行方不明者が出た」という噂が、学内を駆け巡った。
文学部の新入生、三浦恵。
伊坂がライブ配信で“共演”すると告知していた、唯一の協力者だった。
彼女の最後のSNS投稿には、こう記されていた。
「怖いけど、行ってきます。
物語の“中”に入るみたいな感じ。
——伊坂さんについていけば、大丈夫かな」
だが、ライブ配信は行われなかった。
配信開始予定の時刻になっても、画面は「準備中」のまま。
背景が静かに揺れるだけのサムネイルが、更新されずに残り続けていた。
その夜、俺は伊坂に連絡を取った。
返信はすぐに届いた。
「こっちも混乱してる。
三浦、ドタキャンされた。
連絡が取れない。マジでヤバいかも」
だが、その文面は、あまりに整っていた。
絵文字も装飾もない、冷静すぎる言葉の選び方。焦燥も不安もにじまないその文章は、まるで、“書くべき文面”を演じているようだった。
そして翌日、大学に警察がやってきた。
構内はざわつき、ゼミ室では講義が中断され、教授が神妙な顔で事情聴取に応じていた。
事件性の有無は不明——だが、俺は確信していた。
三浦は、“祟り”で消えたわけじゃない。
——そして、事態は炎上した。
「これは本当に行方不明なのか?」
「作り物じゃないのか?」
「#祠壊し文学、とうとう狂ったか」
SNSは再びざわめき始め、YouTuberやライターが「消えた女子大生」を追いかける動画を上げ始めた。
だが、その裏で——俺は、もうひとつの違和感に気づいていた。
伊坂の過去の投稿を遡る。ゼミの集合写真。講義のスクショ。飲み会の記録。
——どこにも、神谷の名前がない。
かつて、オカルトに異様なほど詳しく、伊坂の初期作品を隅から隅まで知っていた男。
壊された祠の夜を境に、ゼミに姿を見せなくなった男。
最後に残した言葉。
「壊してはいけないものがある。
——それを、俺たちは忘れている」
彼の投稿は削除されておらず、ただ沈黙しているだけだった。だが、伊坂の世界からは、完全に“除外”されていた。
——最初に消えたのは、三浦ではない。
神谷だったのだ。
そして俺は、気づいてしまった。
次に消えるのは、もはや“ヤラセ”ではない。
伊坂が壊した祠の奥から——“何か”がこちらを見ている。
それは彼の“計算”を超え、もう制御の利かない場所へと踏み込んでしまっている。
あの祠が壊されたとき、何かが“開いた”。
その穴は今も、黙ってこちらを見つめ続けている。
ひとつ、またひとつと“存在”が消えていくこの世界で、俺だけがその気配に気づいてしまっている。
——次は、誰が消えるのか。
——そして、何が“それ”を呼び寄せているのか。
答えはまだ、見えてこない。
ただ、世界のどこかが、わずかに軋み始めている音だけが、耳の奥に残り続けていた。