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第2話

 ギルドの昼休みが終わる頃、クラリスは頭を抱えていた。祖母マルセラが、また、やってくれたのである。


 「ほれ、美容にいいって話だぞ。ナマズ!」


 そう言って祖母が放り投げていった銀色のバケツの中で、そいつはぬるぬるとうごめいていた。


 黒光りする体躯、まるまると肥えた胴、つぶらとは言い難いが確かな存在感を放つ目。そして何よりも、妙に人間くさい「間」があった。


 ナマズは、生きている。

 ……いや、それ以上に、しゃべる。


 祖母マルセラは「トライヤング流海峡のリヴァイアサンのたたきが食べたいわ〜!」と叫びながら去っていった。


 正式名称、「麗しき乙女たちの午後茶同盟」。

命名者は11歳のシャーロット。乙女小説にはまった8歳の頃に提案したが、今では黒歴史として姉アデレードにからかわれ、六歳のフィオナに大ウケするという扱いに甘んじている。ちなみにクラリス発案の「食道楽なばぁちゃんと愉快な孫娘の会」は早々に却下された。


 同じ祖母を持つ孫娘たち(祖母の妹孫もいる)の暇つぶしのために始めた貴族ごっこの延長のようなお茶会という名の井戸端会議である。


 紅茶とスコーンがテーブルに並ぶなか、ナマズを収めた銀バケツが会議の中心に鎮座していた。


 「で? これをどうしろと?」


 アデレードが肘をつき、半眼でクラリスを見る。


 「おばぁちゃんがが“美容に効くらしい”とか言って、狩ってきたんだけど……こいつしゃべるの。捌けない。というか気持ち悪くて捌きたくない。」


 「しゃべる?」


 ミーナが眉をひそめる。


「うひょっ、いや〜、驚いた顔するよねえ……でも、こういうのってさ、あるのよほんと。知らない間に連れてこられて、気づいたら食卓直前って……こわいなぁ。」


 クラリスは鍋と包丁を並べた調理台を見やりながら、ため息をひとつ。


 フィオナはバケツを覗き込んで「おさかなー」と笑っている。やめて、怖がって。


 「まさか、祖母さまが“美肌に効く”とか言って、しゃべるナマズを置いていくとは……。」


そう呟いたのは、十一歳のシャーロット。知性を宿した灰色の瞳に眼鏡をかけた、理知的な少女だ。小首をかしげて、ナマズを見つめる。


 「精霊でもないし、魔獣でもなさそう……けれど、意思疎通はできてるみたいですね。」


 バケツの中のナマズが、くるりと体をひねって一回転。まるで見世物のように尾をゆらす。それを見て目を輝かせたのは、六歳のフィオナ。ふわふわの銀髪と丸い頬が愛らしい、わがまま天使。ぬめるナマズに興味津々で、身を乗り出す。


 「クラリス姉ちゃーん、このナマズ、たまご産むの?」

フィオナの問いに、会議室が一瞬しん…と静まりかえった。


 「……聞かないで……ほんとに聞かないで……。」


 クラリスは、バケツを両手でぐいっと遠ざけながら青ざめる。生臭さと生々しさのダブルパンチはもう限界だ。


 だが、そんな彼女の願いは虚しく――。


 「え、産むの? もしかして卵から新しいナマズが? しかも全員しゃべるの!?」


 ノエルが目を輝かせて叫ぶ。


 「え、それめちゃくちゃ画期的じゃないですか。もし会話できる水生生物が量産できたら、戦場の斥候として潜入させたり、外交使節に使えたり……。」


 シャーロットが一気に軍事利用に話を飛ばす。


 「水底から平和を語る詩を綴れば、世界はきっと優しくなる……!」


 ティナは胸元に手を当て、完全に創作モードへ突入。


 「お姉さま、それってつまり、“ナマズで国家転覆”も夢じゃないってことよね?」


 アデレードが妙にノリ気な笑みを浮かべる。クラリスはこめかみを押さえた。


 「……あんたたち、ナマズにそんな壮大な期待しないで……。」


 「ルルって名前にしよう! ね、ルル! あなた、今日からルルねっ!」


 「ルル……悪くないねぇ……。」


 ナマズは、小刻みにヒゲを震わせた。まるで何かを思い出すように、目が遠くを見ているようだった。


「ねえ、これどうする?これさばくの? ……ちょっと、あたし、やだなあ……。」


 クラリスがバケツをつついた。ぷくりと泡が浮かぶナマズ。


 背もたれにどっかりと凭れかかったのは、金糸を巻き上げた高飛車な少女。ふわりとした白のフリルドレスに、濃い青のリボンが目を引く。透き通るような肌と氷のような碧眼。まさに貴族然としたその姿に違わず、態度も王女様。


 彼女――アデレードは紅茶を優雅にすすりながら、無遠慮に続けた。


 「まあ、食材なら仕方ないんじゃなくって? でも……。」


 ふと視線を泳がせ、バケツの中を覗きこむ。ナマズと目が合った。


 ――ニヤリ。


 「ねえ、ナマズさん。アナタ、しゃべれるんでしょう? 面白い話のひとつでもしてみせたら、命の保証、してあげてもよろしくってよ?いかが?」


 しばし沈黙。そして、深く低い声が、バケツの中から響いた。


「……あれは、月のない晩でした。王宮の裏庭、噴水のかたわら。わたしは、ただ……そこに、いただけなんですがね……」


全員が固まる。


「……まさか稲川淳〇風とは思わなかったわ。」


 クラリスが真顔でつっこむ。


「ふたり、いたんですよォ……ひとりは、侍女のユリアさん。ふだんは理知的で通っていた方が、その日は、もう泥酔でしてね……。

もうひとりは、王弟付きの騎士、レオンハルト殿……下戸なのに、無理に付き合って……。」


 「まって、まって。具体的すぎない? これ実話じゃないの?」


 ノエルが素っ頓狂な声を上げる。


 「私その騎士知ってますわ。令嬢の中で顔がいいと話題に出ましたもの。」


 アデレードが思わず身を乗り出す。


 「ど、どこで見てたの!? ていうか王宮!?」


 クラリスも驚きすぎてナマズに問い詰める。


 「王宮の水路で……わたしはねぇ、水の流れとともに……いろんなものを見てきたんですよ……。

その夜、彼女がぽろりと漏らしたんです。“もし私が王子だったら、あなたと踊れたかしら”……ってねェ」


 「うわ、それは詩になりますね!」


 ティナが目を輝かせ、メモを取り出す。


 「いや、なんで侍女が王子なのよ。酔いすぎでしょうよ。その侍女。」


 たまらずクラリスが突っ込む。


「“水路の底でナマズが聞いた、禁じられた恋のものがたり”とかタイトルにしよ!」


 「それ、売れるわよ。ちょっと待って、連載コラムにできるかも」


 アデレードまで乗り気だ。


 「冷静に聞くと、王宮関係の恋愛情報をナマズが収集していたって事実が、じわじわと怖いです……。」


 シャーロットが資料をめくりながらぽつりとつぶやく。


ナマズはバケツの中で、どこか誇らしげにぬらりと動いた。


「……で、これ、どうするの?」


 スコーンを手にしたノエルが聞いた。


「食べ……ないでおこうか」


 クラリスが力なく笑う。


「よかったァ~! ぼくぁ、まだ死にたくないんですよねェ……。くわばらぁくわばらぁ……。」


 バケツの中から、ふうと安堵の吐息がもれた。


「……気持ち悪っ!!」


 全員の総ツッコミが一斉に飛んだ。



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