分厚い木扉が、静かに閉じられる。
香ばしい紅茶と焼き菓子の匂いをわずかに纏ったまま、ライオネル・ヴァレンシュタインは報告書を手に執務室へ戻った。
王都騎士団第七部隊。
内偵と諜報を専門とするこの部署の副隊長である彼に課せられた任務は――奇妙な噂の追跡だった。
第三側妃が探しているしゃべるナマズ、ナマズ美容、香水屋の混雑、香辛料に似た薬草、妙に元気な国王。
(……何かが、おかしい。)
クラリスという受付嬢の祖母が、突然ギルドにナマズを持ち込んだ時も。
ギルドの裏で女子たちが紅茶片手に“お茶会”をしている場面に出くわした時も。
情報の断片が、少しずつ頭の中で軋む音を立てていた。
「……で、またギルドの裏で盗み聞きしてきたのか?」
低い声に顔を上げると、隊長が机の向こうで腕を組んでいた。
隣に立つのは、表情の読めない男性補佐官だ。既にメモ帳を開いている。
ライオネルは咳払いして姿勢を正す。
「誓って不可抗力です。例のナマズをどうにか確保できないかと尾行してたら……。」
「正式名称は?」
「……麗しき乙女の午後茶会、だそうです。」
「……それ、公式文書に書けと?」
「略称で記します。」
「略称は?」
聞かれてライオネルはそっと視線をそらせた。
「うるティ―。だそうです。」
隊長がこめかみを揉んだ。
「で、進展は?」
「こちらとしてはありません。が、奇妙な点がいくつか。」
ライオネルはページをめくる。
「まず、彼女たちは今回の事件に明確な関与はない。あくまで偶然事件に関連するうわさ話を巷で聞いたとか――ギルドの依頼を通じて接点があっただけですね。第三側妃側の共犯者はありえないかと。」
「……ほう。」
「しかし、お茶会の中で、薬草の市場変動、香水屋の品切れ、辛味貴族の詩の流行まで、我々が掴んでいた要素がほぼ全ての要素を話題にされていました。」
「……ほう?」
「その上、第三側妃に関する“恋歌”まで話題にしており……なんというか、ほぼ核心に近いんです。たった一週間で。」
隊長はペンを置いた。
「つまり、どういうことだ」
「“あいつら偶然だけどめちゃくちゃ引きが強い”って感じです。」
補佐官がふっと鼻を鳴らす。
「……ライオネル。君は真面目で実直だ。だが報告にもう少し戦略的表現を…だな…。」
「あと、ナマズの件ですが。私が追っていたルートで、王宮水路にいた“喋るナマズ”を発見しました。魔法師団長が前にこっそり魔界から持ってきた魔界ナマズを城の池に放置していたようです。それを――クラリス嬢の祖母が勝手に釣って持ちさったようです。手続きなしで。ギルドの依頼とか関係なく。」
隊長の手が止まった。
「そもそも違法すれすれの持ち込みで許可もなく飼育?してたんだからこっちは強くでれん……。だがあの婆さん。何者だ。」
「一応、記録を調べたところ――異世界から来た勇者と聖女の子孫らしく……その孫娘たちが暇つぶしに集まってるお茶会のようです。」
「お茶会が国家的遺伝子爆弾じゃないか……。」
「正確には、要注意人物の孫娘たちが暇つぶしに集まってティータイムしている状態です。」
「二度も言う二度も。俺たちプロと暇つぶしの捜査状況一緒とか自信なくすだろうが。」
隊長は地図を眺めながら白目をむいた。
「……おかしい。最近、国王がやたら元気だ。だが目が落ちくぼんで、顔色は土気色。物理的に怖い。誰も直視しようとしないし。」
「……事実、何かが起きている可能性は高いです。ただ、現時点で決定的な証拠はありません。薬師長の厚で医局も非協力的で徹夜のせいとしか言いませんし。」
「なら――。」
「第三側妃だけ先に幽閉しておいて、裁判までに時間を稼ぐべきかと。なにか物証がどこかにあるはずなんですが……。」
まじめに戦況をつぶやくライオネルに対し横の男は天井を見上げながら呟く。
「いっそのこと、従妹会の誰かが勝手に見つけてくれるたらラッキーなんすけどねぇ。」
「戦略が情けなさすぎる……だが、現実的なのが怖い。」
補佐官がうん、とメモを取る。
「最後に、念のためですが、彼女たちが何らかの能力を持つ者がいる可能性も――。」
「それはさすがに妄想だろう。」
「はい、根拠はありません。たぶん。」
「とにかく。任務の方針を修正する。今後は“孫娘の会”の行動を、半歩引いた位置から追跡する。あわよくば捜査協力を願い出てナマズを譲ってもらえ。魔法師団長はあとでぶっ飛ばしとく。」
「了解。」
「……あと差し入れに茶菓子もってけ金をかけろ。何が情報を引き出すかわからん。」
「銘柄のリスト、用意します。」