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第12話

 荘厳な王宮の大理石の法廷に、重々しい鐘の音が響き渡る。壇上には裁判長をはじめ、王家の顧問官、そして王直属の高官たちがずらりと並んでいた。壁には王国の紋章が金箔で浮かび上がり、空気は張り詰めている。


 傍聴席には、選ばれし貴族たちが上質な礼服に身を包み、優雅に座していた。だが彼らの表情は――どこか余裕に満ちていた。


 なぜなら。


 「証拠となる“ナマズ”は、すでに処分された」


 と、彼らは思い込んでいたからだ。


 だがそのとき、場に微かなざわめきが走る。扉の奥から現れたのは、場違いな娘。そして――彼女が抱えている異様な【何か】


 クラリス・エルメロワ。ギルドの受付嬢にして、今日の重要証人。


 その腕には、異常に派手なバケツ。ショッキングピンクのボディに、きらきらと輝く装飾リボン。蓋の取っ手には、子供が結んだらしい赤い蝶結び。


 傍聴席がざわめき出す。


 「……なんだ、あの証人は?」

 「遊び場と勘違いしているのか……?」


 クラリスは重々しい空気に気圧されつつ、内心で深いため息をついた。


 (……心底、猛烈に、帰りたい。)


 このバケツは、子供組――ノエル、フィオナ、セレスによる渾身の“おめかし”である。


 「これがルルの正装!」とキラキラ笑っていた三人の顔が、まぶたにちらつく。


 (今さら引き返せない……。)


 証言台へと歩を進める彼女に、裁判官が問いかける。


 「……証人、クラリス・エルメロワ。証言を」


 クラリスは一礼し、覚悟を決めて――バケツの蓋を、すっと開けた。


 中から――。


 「え、え〜〜〜、わたしが証言するんですかあ〜〜? いやですねぇ……こういうの、怖〜い話になるんですよぉ……。」


 しゃべるナマズが、ぬるんと顔を出した。


 法廷、騒然。


 「しゃ、喋った!?」

 「いや、今……ナマズが……?」


 壇上の裁判官たちすら、目をしばたたかせる。証人席の近くに控えていた秘書官が、おそるおそる裁判長の耳元にささやく。


 「証人は……ナマズ、のようです。」

 「……確認済みだ。続けさせろ。」

 「……あれはねェ、夜だったんですヨ……月も出てない、闇の中……水路の底でプカプカしてたらね……聞こえたんですよォ……“あの人”の声が……。」


 ルルの語る「あの人」。それは、第三側妃のことだった。


 「“毒の量はごくわずかでいい。体に馴染ませれば、誰にも気づかれません”ってねェ……言ったんですよぉ……いやぁ〜、ゾッとしますねぇ……。」


 貴族たちの表情が、凍りついた。


 「まさか……そんな……。」

 「毒、だと……?」

「でね、“計画書は燃やしておけ”って、その人、言ったんですよ。でもね、落としたんです、バシャーンって。で、わたし……うっかり飲んじゃった♡」


 その瞬間、法廷中に走る絶句。


 クラリスは額を押さえた。


 (ここまでシュールな展開になるとは思ってなかった……。)


 「いやぁ〜、わたしねェ、別に悪気はなかったんですけど……拾い食いって、やめられないですよねェ〜。証拠隠滅とか言われたら、ちょっとねェ……。」


 大人たちはぽかんとするばかりだった。


 裁判官は一度深く目を閉じ、そして開いた。


 「……本件について、証人“ルル殿”の証言は、極めて重大な意味を持つと判断する。」


 法廷の空気は、ルルの稲〇淳二風の怪談口調で凍りついたままだった。


 【第三側妃による毒殺未遂の目撃証言】


 それが、ピンクのバケツに入ったナマズの口から語られたというだけで、すでにこの場は“異常”の一言に尽きる。


 「いやぁ、こわいですねぇ……人ってのはね、裏の顔があるもんで……ふふっ……。」


 その低く湿った声が、法廷の石壁に不気味な余韻を残す。傍聴席のあちこちで、誰かが小さく咳払いし、椅子をわずかにきしませた。


 緊張と混乱が入り混じり、誰も次に何が起きるかを想像できずにいた。そんな中、クラリスが証言台で静かに口を開いた。


 「……以上が、このナマズ……ルルの証言です」


 小さくうなずき、次の瞬間、クラリスの瞳が鋭くなる。


 「そして――これから、証拠物を提出します。」


 ざわっ、と法廷にざわめきが走った。


 「証拠物……だと?」

 「まさか、本当に……あるのか?」


 クラリスは一歩前に出て、静かに言った。


 「ルルのお腹の中には、“毒入りの小瓶”と、“計画書を丸めた羊皮紙”が入っています。それを――今ここで取り出します。」


 沈黙。空気が、凍りついた。


 そして裁判官が、絞り出すような声で問い返した。


 「……ま、まさか、今ここで“捌く”というのか?」


 「はい。立会いのもと、明確に証拠として取り出します。……ライオネルさん。」


 その名を呼ぶと、傍聴席脇から――ライオネルが現れた。 彼の手には、場違いなほど輝く“出刃包丁”。左手には木製のまな板と桶。さらに、丁寧に包まれた医療器具一式まで抱えていた。


 ……完璧すぎる準備だった。


 「何をするつもりだ、この騎士は!?」

 「いま捌くって、あの魚をか!?」

 「いや、ここは……裁判所だぞ!?」


 貴族たちがざわめき、ある者は口元を押さえ、ある者は席を立とうとして衛兵に止められる。


 だが――クラリスは微動だにしない。


 彼女はまっすぐにルルを見下ろし、目を合わせた。


 「や、やるんですね!? ほんとに……ここでぇ!? 見世物ですよコレぇ……もうね、冷や汗と血が混じったら、すごい味になるんですよ……こわいですねぇ……。」


 「……大丈夫。ちゃんと、元に戻すから。信じて。」


 クラリスの低く、まっすぐな言葉に、ルルは一瞬だけ口を閉ざす。


 その大きな目が、ゆっくり瞬きした。

 「……じゃあ……なるべく、怖くない感じでお願いします……ね?」


 ライオネルがすばやく動いた。


 証言台にまな板を設置し、白布を広げる。クラリスは静かに手袋をはめる。彼らの所作には無駄が一切なかった。

法廷が、沈黙する。


 ──まさかこんなにも神聖で荘厳な場所で、


 一匹のナマズを開腹して証拠を取り出すなど、誰が想像しただろう。剣戟でも政治劇でもない、“料理”による決着。刃がわずかに光り、クラリスの手が動き始めた。


 その瞬間――。


 「ひっ」と悲鳴を上げて、貴族のひとりが椅子から転げ落ちた。


 遠くの席で、子爵夫人がハンカチを噛んで顔を背ける。


 裁判長の右隣にいた書記官が、口元を引きつらせながら震える手で記録を書き続ける。


 ライオネルが静かに呟く。


 「……まさか法廷でナマズの解体ショーをする羽目になるとは……。」


 「いやぁ〜……やめてぇぇ……怖いぃぃ……でも、これが正義ってやつなんですよねぇ……。」


 クラリスが、心を無にして刃を入れた。


 手元を見ずに、小声で呟く。


 「……麻酔、間に合わなくてごめんね」


 「ほぎゃぁあああああああ!!」


 その叫びが、法廷の天井にこだました瞬間。


 全員が――この国の司法史上最も“胃の痛くなる裁判”を目撃した。


 やがて――血のにじまない、精密な切開ののち、クラリスの手に握られたのは、濡れた羊皮紙と黒い小瓶。クラリスはそれを布に包み、裁判長へと差し出した。


 「……こちらが、“第三側妃による国王毒殺未遂”の証拠です。」


 裁判長は震える手でそれを受け取ると、言った。


 「……この裁判を、再開廷とする。証拠提出をもって、審問を続行する……」


 そして、静まり返った法廷に再び――。


 「う〜〜〜〜〜ん……生きてますかねぇ……これ……。こわいなぁ。こわいなぁ。」


 震える声が、バケツの中から響いた。


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